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この頃水利共同体のことばかり書いていて
肝心の床屋コレクションはどうなっているのかという
お叱りの声が聞こえそうなので
私がアメリアのシェービングマグコレクターの会に
入っていた頃を思い出してみると😅
ある日、コレクタークラブの編集長G氏から
「珍しいマグが手に入ったから1500ドルでいらないか」と
手紙が来た
「良いものはいつも金のない時現れる」と
私の作ったコトワザ通りだった😅
電話をするとあいにく留守だったので
留守電に「8月まで待って欲しい」と入れた

40代の私と、真ん中がギリシャ系の床屋さん、右がG氏でアル中の人のソーシャルワーカーです

結論を先延ばしにしたつもりだったが
8月になりG氏から「アレはどうするか」と催促が来た
その頃、円が5円近く安くなっていたので
「100ドル安くしてもらえれば買えるのだが」と返事をした😅
G氏の価格はいつも相場より高めだったこともあった
するとまたG氏から手紙が来て
「私は君の友人として8月まで待った
値段の件は最初の電話の時点で了承済のはずである
マグの価格は日々上がっていて価格は値下げしたものである
送料は私が負担しよう
君が紳士の合意を守り、紳士に恥じない行動をすることを望む」
とあった😮
英語に訳すのに一番難しいのは「そこをなんとか」だと聞いたが
氏の言葉にはそんな甘えを許さない厳しさがあった😮
私は自分を紳士だと思ったことはないが
「紳士たれ」という氏の問いかけはショックで
慌てて氏の言う通りの額を送金した😅
あるイギリス人が、日本の高校の細かすぎる校則をみて
「これは紳士たれ」の一言で済む」と言ったとか
紳士から連想する言葉は
信義・礼節・品格・ユーモア、それに粋などだろうか
はるかアメリカの70歳を越えるG氏の「紳士たれ」という言葉が
私の胸に刺さったということは、私達が世代や文化の違いを越えて
共通の理想的男性像を持っている証でもあるだろう😅
現代では紳士という言葉もそれを支える徳目も
共に死語になってしまったようだ
果たして紳士という大人像は私達の社会でどの辺りまで
共有されているのだろうかと、考えたのはかなり前
今はオオタニさんのような世界が認める若い紳士もいるし
「そこをなんとか」という甘えは
日本独自の水利共同体の
相互依存的な関係から来たのでは考えるようになりましたが
やはり水利共同体に戻ってしまったのかい😂

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