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弥生時代の青谷は国際的だった❤

鳥取市青谷町で発見された青谷上寺地遺跡は弥生時代に
日本海を行き交う人が集い、交易の拠点として賑わった港湾集落でした
遺跡からは中国や朝鮮半島からもたらされた土器や銅鏡などの
金属製品も発見されています
…またこの遺跡に暮らしていた人々の骨や脳、彼らが制作し使用していた
土器、石器、鉄器、木製の容器や農具、骨や角で作った漁具
美しい石やガラス製の装飾品など様々な道具が出土していて
1353点の出土品が国の重要文化財に指定されています…
とパンフレットにありますが
弥生人の行動範囲と交流範囲は予想以上に広く
土地に定住する稲作だけの地とは異なったドラマが見て取れるようです

漁船と共に外国交易の船も出ていたことでしょう


弥生人のDNAは現代人とほぼ同じ


鉄器と管玉を交換していた


この交易の広さに驚きます


鉄とヒスイの交換が青谷で行われていた

という説明を見て、帰り道にはこんな風景が

勝部川の中流の岸に漁船が上げられています
外国までは行けないようですが

これは弥生時代から2000年続く伝統の風景なのかもしれません😅

ジャケットの写真は、「青谷かみじち史跡公園」の愛称が
「ヤヨイーネ」と決まった時のニュース映像で
弥生と稲を合体させた見事な愛称に知事も満足そうです😍


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