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公園にて (短編小説)

 リストラされたサラリーマンが昼間に向かうのは公園と、昔から相場が決まっている。
 たまに、失恋した男が公園に向かうこともある。今の僕がそれにあたる。
 失恋といっても最近の話ではない。もう三年前の出来事だ。この公園に来ると彼女のことをよく思い出す。最近は思い出すために公園に来ている節もあり、この行為が目的なのか手段なのか自分でもよく分からない。
「まだ忘れられないの?」と、周りの人間はよく僕に言う。
 忘れたくないという想いが根底にあるかは置いといて、物事というのはいつだって単純だ。「よく思い出すことは忘れない」これだけの話である。

 この公園に特別彼女との思い出があるわけじゃない。近所を散歩していて少し休憩をと、一度ベンチに座ったことがあるくらいだ。思い出で言えば行きつけのレストランとか、駅前のカラオケボックスとか、一緒に通った学校とか、東京タワーとか。そちらの方がよっぽどある。それでもこの公園にくると彼女のことをふと思い出してしまうから不思議だ。

 ふれあい公園という何の変哲もない名前の公園は、僕の自宅と駅とのちょうど中間あたりにある。普段から人はほとんど居なく、その名前とは逆に人とふれあわない所が僕は好きだ。
 小さなすべり台と小さな砂場が一つずつ、ブランコと鉄棒が二つずつ、そしてベンチが三つ設置してある。大きすぎず、小さすぎず、そのサイズ感も僕好みである。
 今日も公園には誰もいない。僕がこの公園に来てはじめにやることはブランコだ。それも全力で。立ち漕ぎしながら体が地面と平行になるぐらい思い切りやる。たまに通りすがりの主婦が僕のその姿を見ると、すぐに目を逸らして行ってしまう。先月ハタチになった僕は一応大人になったのだが、大人の男が全力でブランコを漕ぐ姿というのは違和感があるらしい。でも、悪いことをしてるわけじゃない。僕は堂々とブランコを漕ぐ。
 今日も真っ先にブランコへと向かう。振り子運動は徐々に大きくなっていく。助走とでも言うべきか、この少しずつ大きくなっていく状態にブランコの良さは集約されていると思う。妹の佳奈が公園の前を通った。こちらを一瞥すると、わかりやすく他人のフリをして早足で通り過ぎた。時間的に塾にでも向かっているのだろう。

 思春期真っ只中、中学生の妹は家でも反抗期が始まっている。最近は特に兄である僕への嫌悪感もちらつき出して、あまり口もきいてくれない。
 大学受験に失敗し、浪人生という肩書きで家に居座る僕はただでさえ肩身が狭い。勉強に集中したいと言う理由でアルバイトもせず家のご飯を食べている僕は引きこもりと大差はない。肝心の勉強はと言えば、バツが悪いので一応机には向かうものの正直頭には入っていない。大半の時間、僕の部屋から流れるYouTubeやゲームの音で家族も薄々気づいているかもしれない。一応、次志望校が駄目だったら大学にはいかず就職活動を始めるということで家族とは話はついている。母親はランクを落としてでもどこか大学に入りなさいと言っていた。父親は、もう大人なんだから自分で決めなさいというスタンスだった。
 こんな兄だから妹は疎ましく思っているに違いない。きっと、こうはなりたくないという気持ちで今から勉強に励んでいるのだろう。実際、学校の成績は常に上位らしい。大した奴だと心の底から思っている。

 振り子運動は続いている。力を弱めても惰性で振り子は止まらない。そのままブランコに座り、揺れに体を預けた。
 ふと、靴飛ばしをやってみようかと思った。今の自分がやれば公園を飛び出し道路まで届くだろうと思い、取りに行くのが面倒になって止めた。ブランコも止まった。
 ベンチに座ると同時に手の匂いを嗅いだ。ブランコの持ち手が鉄なため、鉄棒と同様終わった後に条件反射で嗅いでしまう。鉄の匂いがした。正確にはこれは鉄の匂いではないらしい。汗をかいた手の皮脂成分が金属と反応した匂いで「ケトン」と呼ばれる物質の匂いらしい。これは最近見た雑学系YouTubeで知った知識だ。まったく、こんなことを覚えるなら英単語の一つでも覚えろよと自分でも思う。

 別れた彼女とは中三の夏に付き合った。初めての彼女だった。違う高校になったけど交際は続いた。だが、高二の秋に「好きな人ができたの」という理由でフラれてしまった。
 文字にすれば三行で済んでしまう、どこにでもある恋物語だ。だが多くの恋物語がそうなように、僕にとっては特別なものだった。初めての彼女、同時に初めての別れを脳も体もうまく処理できなかったんだと思う。この公園にはないけれど、一緒に乗っていたシーソーの相手が突然いなくなって一人取り残された気分だった。

 別れてから彼女に三回ほどメッセージを送った。一回目は「別れるのは嫌だ、もう一度会いたい。話しがしたい」というシンプルな気持ちを送った。これに対しては「もう会えない、ごめんね」と返事がきた。二回目のメッセージは僕がどれだけ悲しいか、そしてどれだけ君を想っているかという内容を少し長文で送った。これに返事は来なかった。三回目は少し時間を空けて、すごく気さくな感じで友達としてということを強調しつつ、また会いたいという内容を送ったら、ここでブロックされた。
 すごくショックだったけど、ここで初めて僕は「別れ」というものを理解した。それ以来、彼女とは一度も会っていない。同じ学区内なのだから偶然に会うことがあっても良さそうだけれどそれも無かった。それに最近は、浪人生という名目の引きこもりのような生活だから偶然の確率を求めるまでもない。
 それでも偶然に、今彼女がこの公園に現れたらどうするだろうと妄想してしまう。もしかしたら、逃げ出してしまうかもしれない。近況報告をするような内容もないし、昔話でも始めてそれを拒まれたらと思うと怖くなる。それでも、もし現れたらと妄想は止まらない。

 昨日、中学時代の友達からメッセージがあった。
「成人式はスーツで行くだろ? 俺、スーツ買ったぜ」という内容だった。「正直あまり行きたくないから、どうしようか考えてる」僕は素直な感情を返した。すると、「そんなこと言うなよ、一生に一度なんだから。それに昔の彼女とも会えるぜ」との返信があった。
 これに対しては、まだ返信していない。

 偶然公園に入ってきたのは、制服姿の高校生カップルだった。向かいのベンチに座ったが、会話までは聞こえない。何をしゃべっているのだろう。
 僕は彼女の声が好きだった。特に電話の声は聞いているだけで安心した。しゃべり方も好きだった。心が温かくなるような、優しい気持ちになるような、そんな声だった。
 それがどんな声だったのか、どうしても思い出せない。当たり前だが、もう一度その声を聞けば思い出すだろう。その時はまた温かい気持ちになるんだろうなと、そんな気がした。

 向かいのカップルが公園を出て行った。その手はしっかりと繋がれていた。
 一度だけ大きく息を吐いた。
 英単語を覚えないと。そう思って僕も公園を出た。


(了)

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