あんたの名前さえ忘れなきゃいい
高齢の実母は幼い頃から病弱ですが、現在も近所のかかりつけ医のところへ2週間に1度一人で通院しています。
さらに80歳を超えた頃からめまいを感じ、月1回脳神経の病院にも通院するようになり、その病院のお医者様が家族の付き添いが必要とおっしゃるので私が毎回連れて行っています。
前回の通院で母の脳のCT検査をしていただき、今日母と共にその結果を聞いてきました。10年前の写真と比較して、認知機能に支障が出始める溝が大きくなっていましたが、年齢相応なので日常生活で困ることなければ今のすぐに生活を変える必要がないと言っていただき、ほっとしました。
お医者様の話を静かに聞いていた母ですが、帰りの車の中で
「私はあんたの名前(私のことです)さえ忘れなきゃいいから」
と一言。
母なりに呆けも自覚しつつ、耳が遠くなっているようでも聴こうと思うことは全神経を集中させているのだなと、改めて老いることの深さを見せつけられた気がしました。
ひっそりと、静かに、穏やかな死を皆が望んでいますが、望まなくても寿命が延び、死に至るまでに呆けという山を越えねばならない時代です。
その見本をすぐそばできちんと見届けねばと心した1日でした。
今日も読んでいただき、ありがとうございました。病院の通院日は丸1日母に付き合うことになるので、読書が進みませんでした。明日じっくり向き合いたいと思います。
お疲れさまです。おやすみなさい。夢で逢いましょう!
いつも読んでいただき、ありがとうございます。これからも励みますね。