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グラインダーの向こう側


10年ほど小劇場の役者を続けたあと、40代で初めて正社員になったのは義肢装具の会社だった。

小劇場の役者をしながら何か手に職をつけたいと色々と模索をしていた時に、エピテーゼ(人工ボディパーツ)を作っている会社の番組を見て、一瞬で魅了され、その想いは1年経っても変わらなかったので義肢装具の職業訓練校に通い始めた。


卒業して、運良くその番組に出ていた会社に試験的に採用されて、2日目には「甘い」と言われ、憧れの日々は1日であっけなく終わった。

何が甘いのか分からなくて、自分の一生懸命が「わかるけどそう見えない。」と言われた昔の居酒屋のバイトの事とか思い出したりして、泣きじゃくりながら電車に乗ってそのまま当時通っていた立ち飲み屋さんに行って、大将や常連仲間のおっちゃん仲間にティッシュをもらいながら、わんわん泣いたあの日。

今の会社の製造課に入って修理の仕事をするようになった。
1年目は本当にへっぽこで、何をしても遅いし下手くそで、2年目を過ぎてからだろうか、ようやく少しずつ、仕事をちゃんと仕事として出来るようになってきた。
あの日「甘い」と言われた言葉の意味が、少しだけ分かるような気がした。

そして今は6年目になった。
へっぽこだった私は、装具の修理をメインで任せてもらうようになった。気づいたらエピテーゼがやりたかった気持ちはすっかり無くなっていた。

うちの会社は製販分離で、製造勤務の私は直接お客さまとお会いすることはない。でも、いつも忘れないようにしていることがある

その装具の向こう側にいる人のことを想う。

古くなってぼろぼろになった、使い込まれた装具も多い。全てがぼろぼろなのに1箇所しか修理指示がないことも多くて(もうすぐ作り替えだったり、色んな事情があるのだと思いますが)、なんだか切なくなる。
そんな時に私は、許容範囲の時間の中で、補修出来る部分を探して直す。お客さまや介助者のご家族が、「綺麗になったねぇ。」と修理から戻ってきた装具を見て、喜んでもらえてたら、笑っていてくれてたらいいなぁと想う。

仕事として入ってきた装具は“1つ”という数だけれど、その1つの装具の向こう側は、ひとつひとつの家族や暮らし、毎日という日々があることを忘れないように。



稀に来社で受け取りのため、修理後の装具の納品でお客さまに立ち会わせていただくことがある。どきどきして、うれしくなる。想いだったものがちゃんと身体の中に、血となって流れ、巡り、生きていくような。

きょうも顔にはたくさん粉塵が付いて荒れ気味の手の爪の中はきょうも真っ黒で、でもそんな自分は嫌いじゃない。
 私は修理というこの仕事が大好きだ。



#仕事の心がけ



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