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メモリー不足

「例外」への対応回数、なるほど。

教員一年目にして「退職願」を書いたわたし。
先輩「達」から言われていたのは
「あんたはまだ若いから。今に分かるようになる」でした。

わたしから見ると、
効率よく「例外」に対応するだけでなく、
効率よく手を抜く方法を身に付けるように
求められた気がしました。

その結果、20年もせずに飛び出しました。

例外がなくなったら

「例外がなくなったら」新しい居場所への移り時。

不登校対応の仕事は、例外ばかりの仕事でした。
ケースの数だけ、
人の数だけ対応方法が違って来ます。

もしかすると、記憶力が弱いから、
前例をイメージして重ねることはあっても、
その時はどうしたか、おさらいすることができず、
身に付けた対応のパーツを
その都度組み合わせて対応する方法しか
持てなかったのかもしれません。

サポート、ありがとうございます。もっと勉強して、少しでもお役に立てる記事を送りたいと考えております。今後ともよろしくお願いいたします。