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世界の転換期 人生の転換期

この度、旦那が農業を始めると言ってきかない為・・・いつでも離婚できる体制を整えるべく・・・働きにでなくてはいけません。

とはいっても、正社員をしていたのは今から10年以上前。心身ともに働ける自信がないのが正直なところ。年末までにはどこか安定したいと思ってる今日この頃・・・毎日鬱々とした日々を送ってます。HSP気質が100%に近く出ているので、頭が常にフル回転すぎて正直疲れています。何をしているわけでもないけど・・・

日本人は働きすぎ!!!っという現実に直面していて・・・それに耐えられる自信が全くといっていいほどない。

何故ここまで日本人が働きすぎなのかとまだ働いてもない私が考察する。


社会全体で求める サービス精神

これが日本で当然のように横行してるから。買ったものはキレイに包装されて当然。笑顔で対応当然・・・など当たり前だと思ってることが海外では当たり前ではなかったり・・・。海外の映画や、ドラマでしか知らないけど・・・アメリカのコンビニは座って雑誌読んでてもいい。ホテルマンやウェイトレスは最低賃金だけど、サービスも最低限。もっと良くしてほしけりゃチップよこせ的な。最低限の賃金だから、最低限のサービスしか提供しません!!それ以上なら金払え的なね。そんな印象です。もちろんそればっかりではないだろうけど・・・。配達員も自宅の前に商品を置いて帰るし、なんなら壊れてても知らんぷり。空港の荷物もそう。ガサツに扱う人多し。それが普通なんでしょう。

しかし日本はこんなことは許されません。最低賃金でも高級ホテルと違わぬサービスを要求したがる。“お客様は神様”だと言ったことで勘違いの神が多く現れ、そこへはっきりものが言えない日本人気質の 穏便に、自分が我慢すればといった毅然とした対応ができないことでさらにそれが助長されている。本来サービスとは提供者が決めることであって、受け取る側が決めることではないという定義だと思う。しかしサービスを過剰に求め、それに応えることが是として社会全体に蔓延している。ここが日本を代表する象徴でもあるけどね。単にサービスが悪いとは言ってない。しかしそれは提供者が決めることであるという定義を改めて持つべきことなのではないかと思う。


働き方だけではない 同調圧力

幼い頃から、一つの教室でみんな仲良く!!なんていう枠の中で育つことで、幼いながらも人と違うことはしてはいけない。みんなと同じじゃないとというものが身につく。一方的な授業で発言しないことが多い。人と違うことを言って笑われる。そもそも人と違う発言をすることが”悪”といった風潮があるのではと思った。前に見たYOUTUBEのアメリカの高校生の1日では、グループワークの多さ、前に立って発言することの多さにびっくりした。自分の意見を言う、人の意見を聞く、それをすり合わせるといった作業あった。しかし日本の授業ではそういった機会は少ないのではないか。そうした中で個人の発言、違う意見に耳を傾けるといったことが育たないのは頷ける。

そしてそれが社会全体に蔓延している。会社一つとっても良くしていく為に働きやすさなどを含めた改革に乗り出し、社員の声に耳を傾ける会社は果たしてどれだけあるだろう。こうした発言ほど疎ましく思われ、生意気だのと叩く社会が今の日本だ。周りが言わないから言わない。みんながしてるから仕事をするといった個の部分が同調圧力によって消されてしまう。そして個人主義という定義がない。もちろん会社はチームワークで成り立っている。それぞれの部署の人たちの連携が会社の利益に繋がっている。しかし個の集団という概念がないように思う。個々の集まりで成り立っているというわけではなく、一つのものとして捉える傾向にあると思う。米国は個人主義社会プラス効率重視社会。会社の中でもそれぞれの与えられた仕事を個人のペースで進めていく。仕事さえできていれば、いつ休憩しようが、それは関係ないように思う。そして、効率化を図る為の改革には非常に迅速に対応する能力がある。それは、個が働くという前提で、能力の違う人々が仕事をするにあたって、無駄なことを削ぎ落し、仕事が捗るようにするマネージメントが都度行われるイメージだ。

一方日本では”一つ”からはみ出したものを排除していくシステムが構築され、それからはみ出さないように必死に個を押し殺して生きていく。”一つ”なので、みな一様に休憩を取り、同じように仕事ができるという概念だ。ひと昔前まではそれで良かった。しかし昨今、個を主張する者に寛容になってきた時代で、個性で飯が食える時代を生きる若者。私たちも含めた者にとってそれが合わない。一つとしての認識の社会と、個を求める若者だからこそ、余計に生き辛い社会となっていると感じる。


生きる目的 多様化する生き方とお金

ひと昔前までは、

結婚して、子どもを育てて一人前

というレールが一般的でそれから外れる者は少なかったように思う。歳がくればお見合いして、結婚して、子どもを育てて・・・そして老いていく。そのレールを走ることが社会で認められるという証左。旦那はお金を稼いで、妻は子育てをする。そうした役割分担が決まっていて、それが普通と呼ばれるものだったが、最近では男女平等が謳われ、仕事も家事も育児も男女平等という時代になっている。しかし根底には男女平等などというのは幻想だと誰しもが思っている。これは日本人が古くから受け継がれてきた 男は仕事をし女は育児をするもの という価値観がまだある。そして最近では主夫という単語が浸透してきたとはいえ、結局それは男女の役割が入れ替わったにすぎず、男女平等という幻想を具現化する為には日本はもう少し先になりそうだと思う。

次いで、お金の価値観が現代において変わろうとしている。ひと昔前はお金が価値を決め、持つ者と持たざる者への明確な線引きがあったように思う。持つ者はモテ、持たざる者は見向きもされない。極論にはなるがそういう風潮があった。3Kと呼ばれる 高身長・高学歴・高収入 を皆欲しがった。それがステータスでヒエラルキーの頂点に君臨できると。高度成長期でバブル時だったこともあり、お金の価値が上がったように思う。終身雇用で一度大手に入れば安泰。そこに嫁ぐことができれば女性も安泰。ということで、女性も必死に結婚相手には3Kを要求したと思う。お金がどんどん湧いて出てくるような幻想がそこにあったんだと思うしだからこそ貪欲に皆が欲し、手に入れようと必死になっていたような気がする。


現代はこれが、4Tになった。低姿勢・低リスク・低依存・低燃費

現代社会はヒエラルキーの三角形が崩れ、中間層が多い。それに終身雇用もなくなり、将来安定した会社はなくなりつつある。そしてお金の価値が下がった。デフレに入り賃金も安く、物の値段は下がった。海外へ生産拠点が移り、安く作れるようになった。早期退職を余儀なくされたり、倒産のリスクなど社会的安定がなくなった。そしてこのリスク社会は社会全体に暗い影を落としている。今までのお金の価値を求めようとしても根本のお金が入らない。そうなれば人は心の余裕を失くす。ネット社会が進み、誰とでも繋がれる時代が来た。それが余計に人と比べる機会が増え、自分の不満、社会への不満を燻ぶらせる者が多くなったように思う。ひと昔前なら自分の道しか照らされておらず、それしか知らない。比べようがなかった。しかし現代は自分の道以外も照らされており、選択肢の多さや他の人の道を知る中で自分の在り方や眩しい人生を謳歌する者と比較しやすい現実と情報過多の時代で本当の幸せとは何なのか??お金より大事なものは??といった哲学的な問いをする若者が増え、社会が不安定だからこそ、精神への安定を求める者が増えたんだと思う。お金があれば幸せなのか??若者はそれを提起している存在なのだろう。

人生一度きり。自分の人生を謳歌しよう。そんなフレーズが当たり前のように聞こえる時代。個性を売りにしてYOUTUBERなる職業もある。その中で自分にしかできないことなど精神的な面を満たす生き方を模索する若者が多い。お金が少なくても、自分の時間が確保され、趣味に時間を割きたい者・好きなことを仕事にする者など、いろんな生き方が溢れるようになり、自分らしく生きられる世界を模索し体現する若者が増えた。そこに楽園を見、そして具現化しようとする若者が増えたように思う。


ひと昔前は、”将来の為に今を生きる” という定義が一般的だった。


しかし現代は、”将来は暗い。だから今を生きる” に変わった。


現代社会は非常に生きにくい。

私もそう思ってる。

便利さを追求すれば、楽になると思ってたんだろう。

しかし現実は全然楽にならない。むしろ苦しくなっている。

人間の欲は貪欲で、恐ろしい。それが今の世界だ。

この世界の中で生きていくのは容易ではない。

だが、生きていかなくてはいけない現実との狭間に苦しむ若者が多いのが現状だろう。

何が正解で、何か間違ってるとかは分からないがもう少し社会全体がグレーの部分の寛容さを認められる社会になればいいのにと思った。






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