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ASOBIJOSの珍道中⑰:モントリオールジャズフェスティバル

 モントリオールに来てから5ヶ月ほど、7月になりました。
 海外生活もこれだけ長くなってくると、色々な変化が起こります。まず第一に、私の足が強烈に臭くなりました。これは別に海外がどうのこうのという問題ではなく、単純にレストランでの仕事が12時間に及ぶ立ち仕事どころか、走り仕事でしたので、毎度帰宅して靴を脱げば、むわっと、便所の虫もたじろがん、とばかりの悪臭を放つのでした。
 もちろん、きちんと石鹸で洗えば一時は収まるものの、しばらく経つと、やはり、ぷわんと臭い立ってしまい、MARCOさんに再々叱られ、手を洗うほど頻繁に足も洗わねば、まともに同じ部屋で息もできぬという悲しい事態に陥ったのでした。
 しかしそれ以上に悲しくてたまらなかったことは、愛すべきMARCO姫が、完膚なきまでに腋臭(ワキガ)になってしまったことです。
 思い当たる原因は、チキンの食べ過ぎでした。MARCOさんは、美しき瀬戸内海を擁(よう)する大都会松山で生まれ育ったため、日ごろ魚ばかりを食べて育ちました。ホゴ(カサゴ)にカンパチにタイ。とりわけタイは驚愕の安さで投げ売られているのが松山。海沿いの野良猫でさえタイの身で腹を太らすのが、美しき瀬戸内海の恵みの国、伊予国・愛媛なのです。

 そんなところで生まれ育ったMARCOさんは、カナダでは魚が非常に高値なので、
 ”今日の晩御飯、何にしましょうか”と尋ねれば、
 百発百中、
 ”チキン焼いてほしい”
 と答えるのでした。
 幸い、私たちの狭いアパートのキッチンにも大型のオーブンがあり、電気代は家賃に含まれているため、お構いなしで、毎日毎日オーブンを使って、ジャガ芋や、ビーツ、にんじん、ブロッコリー、などなど季節の野菜と合わせて、骨つきの鶏モモ肉を焼いたものでした。
 日本以外の多くの外国では往々にしてそうなのですが、鶏肉はモモ肉よりもムネ肉の方が高級品です。なので貧乏な私たちの日常の贅沢こそが、このもも肉のローストチキンでした。ニンニクをすりおろしたり、スパイスを擦り込んだり、時には新鮮なタイムやローズマリーで香り付けをして、なんとか飽きないように味を変え、焼き加減を工夫し、皮をパリっとさせて、ふっくらと焼き上げた骨つき肉に、猫も呆れるほどの満面の笑みで、MARCOさんは毎夜毎夜、飽きずに齧り付いてくれたものでした。

 きっとそうした鶏たちの祟りに違いありません、MARCOさんの脇からは、どうにもスパイシーで、時に酸っぱくてたまらない、刺激臭が立ち込めるようになってしまったのです。私の鼻の毛も異常な早さで伸び出し、刈っても刈ってもその日の夕方には飛び出してしまうほどでした。
 ついに困り果てたMARCOさんは、市販の制汗剤を手当たり次第に試す事態となりしましたが、なんと、どれを脇に塗ってもてんでダメで、数時間後には、ぷぅ〜んと、鼻に刺さるものが立ち込めてしまうのでした。が、本人は、それを、さも面白い話のネタができたと、嬉しそうにニヤニヤと、昼寝をする私に嗅がせてきたりしながら、結局、薬局の店頭に並んだ十数種の内、なんと、一番値段の安い、たった1種類の制汗剤しか効き目がない!ということを突き止めると、それをまるで、世紀の発見をしたかのごとく、喜び、飛び跳ね、自慢げにインスタグラムで報告してしまう有様なのでした。

 さて、7月はモントリオール国際ジャズフェスティバルが開かれます。世界最大のジャズフェスティバルとも言われ、10日間にわたって、200組以上のアーティストが世界中から招かれ、街中がジャズまみれになるのです。
 中心となるプラスデザール周辺は、連日昼間から深夜まで人でごった返して、お祭り騒ぎ。野外の特設ステージがあちこちに設けられ、ビックバンドもモダンジャズも、ラテンジャズも、ジャズファンクも、アフロビートも、新旧や風味の東西南北もごっちゃまぜで、まさに、世界中の音楽の融合や分離抽出、置換反応に結晶精製、といった化学実験さながらの開拓を繰り返しながら、絶えず進化を続けてきた、ジャズの歴史の万華鏡のような世界となるのでした。

 これに合わせて、私の友人がカナダの西海岸から訪れました。私が以前、愛媛県の久万高原町にある山奥の古民家に暮らしていた時に、お遍路として流れ込んできた青年です。このユウタという名の青年は、LA(ロサンゼルス)で生まれ育ったものの、両親ともに日本の血を引いた日系人でした。
 お遍路の半ばでコロナの流行に見舞われ、札所も閉鎖してしまったため、行く宛のなくなった彼は、そのまま私の家に住み着いたのでした。
 かれこれ一年ほど一緒に生活を共にしたのでしたが、一緒に山野草を摘みにいったり、ウコッケイの卵を温めてヒナを孵(かえ)したり、イノシシやハクビシンを解体して料理したり、といった山の生活を共にしたのでした。

 ある時には、私が近所で布袋に入れて捕まえたアナグマの子供を見せると、
 ”殺すのは可哀想だから私の部屋で育てる”
 と言い出し、
 農業用の大きなプラスチック製の箱に入れたものの、エサをやろうにも拒絶されるわ、猫の足音にさえ怯えるわで、四六時中、何もかもを怖がり、全く懐くどころか、人間から差し出されるあらゆる優しさを拒絶しながらブルブルと震え、怯えながら、しまいには糞尿を漏らす、という有様を見つめ、
 ”なんだか私を見ているみたいだ、、、”
 とこぼす、聡明で繊細な心の持ち主なのでした。
 彼はその後、サニーという彼の友人女性がこの山奥の家に数日ほど遊びにきたのを機に、突然、
 ”私、サニーと結婚する。カナダへ行く。”
 と言い出し、その翌月には本当に飛んでいってしまったのでした。

 そのユウタとサニーと、ここモントリオールで2年ぶりに再会したのでした。私は家の近くの肉屋やチーズ屋で、いつもより少し奮発して、オリーブや生ハムに、リオペルチーズという、ケベック州特産のチーズ(これはバイト先のフレンチレストランのキッチンの仲間が、度々仕事中につまみ食いさせてくれたもので、トリプルクリームのブリーチーズのような濃厚なクリーミーさと、ほどよい塩加減、そして鼻から抜ける上品でまろやかな香りに、幾度も唸らされたものでした)、それから、ユウタの大好物のトンカツ用のヒレ肉とロース、それに色とりどりの香り付けがされたクラフトビールを買い込んで迎えました。

 私たちの狭い部屋の小さなバルコニーに花束を飾って、グラスを傾けて再会を祝うと、それから連日、一緒にジャズを聴きにいくのでした。

 前年に5度目のグラミー賞を獲って、脂の乗り切った「Snarky Puppy(スナーキー・パピー)」というバンドは、中世風の劇場を改装して作られた広いダンスフロアがある会場を若い観客で埋め尽くし、ファンクやロックの影響の強い、グルーヴや爆発力のある演奏で、古い板作りの床が抜けないかと心配するほどの熱狂を生み出していました。

 私が最も感動したのは、チュニジア出身のAnouar Brahem(アヌアル・ブラヒム)という、アラブ音楽とジャズを見事に融合させた、ウード奏者のカルテットの演奏でした。アラブ音楽とジャズの融合は、この人に限らず、Dhafer Youssef(ダファー・ヨーゼフ)等、様々な演奏家が素晴らしい音楽を作っていますが、彼はその先駆者の一人です。バスクラリネットやウードの非常に奥深い音色を活かした、東洋情緒あふれる旋律の数々。複雑なリズムの反復で、遠くの異世界へと意識を誘い出すタブラ。絶妙な余白やかすれ、ざわめきに満ちた即興演奏の数々は、どことなく懐かしい心地にさせられたり、人の心の中で最も澄みわたった、祈りの精神状態に連れていかれたり、単に陽気だとか哀しいなどは決して言わせない、複雑で、滋味深い味わいの音の数々なのでした。
 やはり、巨匠。と、すっかり心を奪われていると、クラシック用の大きなコンサートホールを埋め尽くした観衆からは、拍手が止まず、アンコールに応えて、照れながらもウードを片手にひょいひょいと幕から急ぎ足ででてきたAnouar Brahem氏は、深くお辞儀をすると、早速もう一曲披露しました。
 それでも観客の喝采はやまず、またひょこひょこと幕間から照れながらでてきて、へこへことハゲ頭を下げる姿に、
 ”なんかかわいいね、あの人”
 と笑い合って見ていた私たちでしたが、
 結局3度もアンコールを受けても、さらにさらに、と聴きたがる聴衆にスタンディングオベーションで見送られるという、大好評ぶりでした。
 
 最終日には、御年83歳という、もはや生きた伝説とも言うべき、ハービー・ハンコックのライブも観にいきました。
 実はこのライブには前座の演奏があり、「Domi and JD Beck」という、恐らく私よりも一回りも若い、天才二人組のライブが非常な圧巻でした。その真っ白に脱色された髪や奇抜なファッションもさることながら、ベースラインもキーボードも、パッドの音色も、両手足を蛸のごとくに、鮮やかに操って弾きこなすという脅威的な演奏技術といい、ゲーム音楽を思わせる軽やかで空想的な旋律や、最近のR&Bやヒップホップに影響を受けたかのような、独特なグルーヴで緩急をつけながら、どんどんと展開に展開を重ねて時空をうねらせ、グイグイと聴衆を珍しい色世界へと引きずり込んでしまうのでした。
 なんとも悲劇的なことに、たった30分ほどの演奏中に4、5回も突如キーボードの音が出なくなるという機材トラブルに見舞われながらも、めげることなく、むしろ、その異様とも取れる曲の展開が、デタラメなどでは決してなく、きちんと書かれたものであることを証明する絶好の機会となって、彼らはどれだけ難解な転調や質的展開の途中で、突然曲をぶった切られたとしても、完璧に再開できるという、感嘆すべき能力を見せつけ、聴衆をどよめかせたのでした。

 それから満を辞して登場し、大喝采と熱狂に迎えられたハービー・ハンコックは、
 ”機材トラブルこそ、ミュージシャンとしての本当の即興力が試されるよね”
 などと、軽やかに聴衆にはにかむと、すぐさま演奏を始めたのでした。ひょっとしたら、杖でもついて出てくるんではないか、と心のどこかで心配していた私たち聴衆を完全に裏切り、信じれぬほど表現豊かで白熱した一時間のライブを、難なく演奏しきってしまったのでした。
 ライブが終わって、観客の前に立ったハービー・ハンコックは、もはや黒人教会の宣教師さながらの出立ちで、光と喚声と大喝采に包まれながら、会場のあちこちに向かって手を振り、そのまま鳴り止まぬ聴衆の拍手や叫び声に対して、ひたすら微笑み続けると、終いには、
 ”Thank you, thank you. You. You. You."
 と一人一人を指差し、
 ”Thank you for being born.(生まれてきてくれてありがとう)"
 と、聖者のごとく、微笑むのでした。
 そして、颯爽と大きなショルダーキーボードを肩にかけると、自身の代表曲『Chameleon』を弾き出し、興奮した聴衆に雷を落とすかのごとく、狂気錯乱、絶頂の渦に飛び跳ねまわらせてしまうのでした。

 

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