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イングランドの風

小説家には精神疾患の人の割合が高いと、何かで読んだ。
私も、文章を書いて食っていけて、世間的にも評価してもらえるのであれば、病的でもいいからもっとおかしくなってもいいかなと思う。
日本社会の労働環境に属さなくても大手を振って生きていけるなんて素晴らしいことはない。
例え、自分にしかわからない苦しみにもがく日々で死にたくなったとしても。
きっと才能もない私だが、今までだってそんな時間を数え切れないほどに過ごしてきた。
中途半端に苦しむくらいなら、いっそ椿のように才能をブワッと開花させて、眩しい陽を。

新しい環境に行って少し慣れた頃になると、十中八九「変わっているね」と言われる。
幼稚園から中学校まで一貫校に通っていて気が付かなかったが、高校に入ってから何回もそんなことがあった。
アイデンティティを持てたように感じていたし、持ち物やファッションも自分からキャラに合わせるように独特になっていった。
今考えると苦々しい思い出だが。

高校のクラスにRちゃんという変わった子がいた。
その子は入学して2日でクラスの男子の大半がドン引きして一線を引いてしまうほどの強烈さだったが、私は好きだった。
正確には、Rちゃんを許容できる自分と、気難しいRちゃんと仲良くできている自分が好きだったような気もする。
Rちゃんは文芸部に所属していて、何かものを書いていたらしい。
私はさほど興味がなかったのだが、ある日校内誌に有志の投稿で掲載されていたRちゃんの文芸作品をたまたま読んだ。

衝撃だった。
自分には一生思いつかないようなコミカルでロマンチックな筋書きと表現力。
今でもあらすじを鮮明に覚えているが、思い出すたびにすごいなと思う。
恋人や家族に最近話してみたことがあるが、皆爆笑しながら褒めていた。
私は誇らしくなった。
そんな才能ある子と仲良しだった自分のことが。

結局彼女と私は、社会人になってから距離を置くようになった。
Rちゃんは就活でうつ病を発症し、良い企業に結局就職が決まっても、性格がどんどん過激になっていった。
私への甘えもあったのだろうし、辛かったのは紛れもなく本当だったのだろうが、無理難題を色々とぶつけられて嫌になった。
彼女の文章力は私や、きっと他の人を非難する長文LINEにのみ発揮されるようになっていた気がする。

うつ状態のRちゃんを励ますために、
「私、Rちゃんのあの小説、忘れない。今でも面白いと思うし、また新しいものが読みたいと思ってる。」
と言ったことがある。
Rちゃんは、「もう書けないんだ」とだけ言った。
共通の友人から聞いた話、Rちゃんは恋人について行ってイングランドに住むことになったらしい。
ぴったりだと思った。
大自然に癒されて、外国の言葉で吐き出せないもどかしさを小説に落とし込めば、Rちゃんはモンゴメリ顔負けの作家になれると私は信じている。
そしたら私はまた自分の周りに触れまわるのだろう。
もう友達じゃないのにね。

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