小説『琴線ノート』第22話「煮詰まる」
髪はボサボサで無精髭の姿のまま
コンビニでホットコーヒーを買って帰ると
パソコン前の定位置に腰を下ろし
一口飲んでから横に置いたミニテーブルに置く
音楽家はコーヒージャンカーが多く自分も
それにもれずいつもコーヒーだ
自分で淹れた方がコスパがいいのだけど
自室に篭りがちの作曲家には何かと理由をつけて
部屋を出るようにしないと体も固まるし
それなりに気分転換ができるので
年間通すとそれなりになるコーヒー代も必要経費だ
と言っても気分転換が必要となるのは
大抵曲作りに根詰まっている時で
さっきまで作っていた曲を改めて聞いてみても
やっぱりクソ曲だった
作曲は作れば作るほどスキルアップはしていくが
何曲かに一回は何をやっても変な曲しかできない
プチスランプに陥るとこがある
今まさにその状態で苦し紛れに投入したコーヒーも
冷静にクソ曲をちゃんとクソ曲と判断できるように
してくれただけだった
今日はもう何をやってもダメかもしれない
デモ曲の締切までギリギリになっちゃうけど
明日また一からやり直すことにした
締切が押し迫ると集中モードにならざる得ない
それに賭ける事にして音楽作成ソフトを閉じた
デスクトップには先日ヒナ太が仮歌を入れてくれた
デモ曲が置いてありそれを開いて再生する
自分的に気に入ってあれから何度となく
ことある事に聞いている
自分の曲にヒナ太の声は合っている気がして
他の曲だったらどうなるのだろうとかを考えてしまい
またヒナ太がを呼べるような案件が来るのを
待ち望んでいた
明日の作曲作業に備えて早めにパソコンの電源を落とすと
スマホに着信が入る
「お疲れ〜今日予定あるか?
なければちょっと飯を食べないか?」
明るくて元気で社交性の塊のような声が聞こえる
バンド時代から目をかけてくれて
解散後もこの業界に引き入れてくれた恩田さんからだ
作曲の案件を紹介してくれるのも
自分のデモ曲を提出するのもこの人だ
メジャーの作品にたくさん関わっていて
アイドルに提供した「七色スマイル」も
恩田さんが振ってくれた案件で採用された曲
「ちょうど煮詰まっていたとこなんで嬉しいっす!」
「わははは。下北のいつもの店。20時な!」
音楽制作事務所も経営している凄い人だけど
付き合いも長いしお兄ちゃんのように接してくれるから
音楽の事も作曲の事もなんでも相談できる
二つ返事でOKと答えいつもの下北沢に向かった
恩田さんにこの間のデモの感想と
ついでにヒナ太の歌をどう思ったかも聞きたい
一人で盛り上がっているだけかもしれないし
業界の人から見た印象にもすごく興味があった
いつものように終電まで呑むことになるだろうから
締切が厳しくなった明日の作業は過酷になる
でもこれも気分転換だし外に出たほうが
予想外の刺激を受ける事もあるし
恩田さんもそれが大事と言っていた
初めてヒナ太のSNSを見つけたのも
恩田さんと下北で飲んだ帰りの電車だったな
下北へ向かう電車の中は
やっぱりバンドマンを良く見かける
ついこの間までの自分が重なって見えた
次回へ続く
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