小説『琴線ノート』第17話「下列車」
仮歌の録音後に小川さんに駅まで送ってもらい
大きい体の割に小さく手を振るその姿に
「今日はありがとうございました」と頭を下げ
ホーム行きのエスカレータに乗った
来るときは上手く歌えるか心配で
視野が狭くなっていて見れていなかった
見慣れない駅からの景色を見渡す
ファーストフード店やファミレスに居酒屋
私の地元のベッドタウンと呼ばれる駅に比べて
だいぶ賑やかな駅前の景色が見下ろしていると
お腹の音が「ぐ〜」と鳴った
今日一日何も食べていなかったし
緊張の糸も切れたみたい
でも録音中じゃなくてよかった
それにしても小川さん良い人だったな
仮歌を録る時間よりも長い時間
作曲について色々話してくれた
情報量が多くて覚え切れなかったけど
「あれだけカバーをたくさんやっていたら
下準備は十分あるからあとは0から1に踏み出すのに
ビビらないこと、そして慣れること」
と言っていたことだけは心に残っていた
確かにコード進行に合わせて何かメロディを
自分で作ろうとすると音を外したり
変なメロディになっちゃったりして
それで恐る恐るになって喉が閉まっていく感覚だった
「最初は誰だってうまくいかないものだよ
ちなみに自分はいつも同じようなメロディに
なりがちなのが悩みどころかな」
と小川さんだって悩んでいるみたいだから
私がそんなにスイスイと完璧なものが作れるはずないか
“とりあえずなんでも良いから1曲作ってみる”
これが小川さんが提案してくれた私の課題だ
目標が一つできただけで音楽の世界に一歩
足を踏み込めた気がする
ホームに滑り込んできた帰りの電車に乗り込み
父からもらったヘッドホンを付け
スマホで帰りのお供の音楽を探したけど
今日の余韻がどうしても強くて仮歌を覚えるために
小川さんが送ってくれたデモを改めて聞いていた
何度も歌った曲なのでメロディはもう完璧に覚えた
仮歌だからもう歌うことはない
でもこの曲に初めて歌を乗せたのが私なんだという
小さな嬉しさがあって何度も聞いてしまう
1分半ほどのデモを繰り返し聞いているうちに
それまでメロディを覚えるために必死で
ふんわりとしか聞いていなかった伴奏も
今だったら自然に聞けるようになっていた
改めて聞くと伴奏、いや小川さんの言う“オケ”は
私の聞いてきた音楽に比べるとDIY?のような
ちょっとスカスカな印象を感じた
小川さんが作曲提供して私がカバーした
「七色スマイル」はもっと華やかで迫力ある
オケだったのになんでこんなに印象が違うのだろう
その辺が今度は妙に気になってきた
今までに感じたことのない音楽での疑問が出てきて
父に“空っぽ“と言われた私の器に色んなものが
注がれていく感覚だ
帰ったら編曲で関わっている父に聞いてみよう
でもそもそも編曲とは一体何をしているのだろうか
スマホで調べてもイマイチ何を指しているのかが
分からない
わかったのは“アレンジ“とも言うことだけだった
「お前の音楽は空っぽ」と言われたのがいまだに癪だけど
あの人に聞くのが最適解だ
それにしても私よっぽど根に持っているみたいだ
次回へ続く
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