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流刑囚の映画百物語~第82回『ヘラクレス』(’14米)


私流刑囚がその時々で見た映画を紹介するコーナー。今夜ご紹介するのは『ヘラクレス』。

本作の5点満点評価は…

コンセプト…3.5点
カメラワーク…3点
ビジュアル…2.5点
脚本…3点

総合評価…3点


英雄ヘラクレスとその仲間たちの冒険の物語。

うーん、意外と(?)面白いね。登場人物のキャラクター性にそれぞれの個性があってありきたりではない。類似作(?)でもある『バーフバリ』がその点において全くダメだったのと比べると対照的だ。やはり腐ってもアメリカはこの手のエンターテインメント的な「物語」を作るにあたって最大公約数的に共感を生むためのノウハウの蓄積があるんだろう。

本作の裏テーマは「神の時代から人の時代へ」ということなのだろう。これもなかなか興味深い。本作の劇中においては「神」の存在が社会から消え去ったわけではないものの、「神の世界」と「人の世界」が分離されている。そのうえで両者を繋ぐために用いられるのが「語り」なのだ。それは預言者のそれでありヘラクレス伝説を広める甥のそれである。クライマックスにおいてヘラクレスが文字通り超人的な力を発揮するのはその語りによってトリップ、自己暗示がなされたためであり、要はイタコが霊を降ろすのと同じである。

古代ギリシア人たちは文字を用いつつもそれ以上に歌や演劇による「語り」による伝承を重視していた。と言われている。歌手や役者による語りには神性が宿ると考えられた。そうした神の力を目の当たりにすることによって人々はこのツマラナイ「人の社会」をなんとか凌いでいく活力を身に着けていたのである。

しかしそうした「語り=伝承」によって社会を運営できた時代もいつしか終わりが訪れることになる。古代ギリシャの政治が腐敗し、文明が衰退していくに従い、プラトン的な「記述」を基礎に置く学問が重視され、歌や踊りや演劇は軽視されていく。本作はそうした一連の時代の流れの一部を切り取ったものであり、表面的には荒唐無稽だが実際にはかなりリアルに古代人の感覚を描写し、観る者を追体験に誘おうと試みているのではないか。

ただ本作の残念な点はCGに頼りすぎていること、そしてそのCGのクオリティがイマイチな点だろう。最初のヘビや怪物退治の部分は題材的にも難しいし「伝承パート」なので百歩譲るとしても、クライマックスの女神像を倒す場面などはアナログ特撮のショットを増やしたほうがもっと迫力が増したのではないか。レイアウト的にはなかなか光るものがあるだけになおさらCGのクオリティが高くないのが残念に思える。そういう細かな部分での安っぽさが「追体験への没入」を妨げているというか…。先に述べた「語りから記述へ」の流れと同じく「新しいもの」が常にあらゆる意味で「よいもの」とは限らないのだ。


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