NO 選挙, NO LIFE

選挙ルポライターである畠山理仁氏の、2022年参院選東京選挙区および沖縄県知事選の取材に密着した前田亜紀監督のドキュメンタリー。本作は映画に先行して、TV番組(フジNON FIX)でショートバージョンが放送されたが、映画の方が、候補者を多くじっくり紹介できているだけ、より主張が明確になっていると思う。

映画では、まず畠山氏の熱心な、というより選挙取材に対する以上な執着が目につく。何しろ、東京選挙区34人を全員取材するという。本当にそれを実践し、最後に残った蓮舫さんが東京では会えないので、コメントをもらうためだけに長野まで出向いていく。蓮舫さんに「長野も着てるの?」と言われるシーンは予告編にもあるが、この前提を知っていてこその笑いどころだ。これを弁護士の三輪記子さんは、「狂気」と表現したが、的確な表現と思う。このような彼の狂気は今に始まったことではない。私が畠山氏を知ったのは、彼の「弟子筋」である、ダースレイダー、プチ鹿島両氏を通じてだったが、ずっと前からこのような取材をあちこちでしているとの事だ。なんと、台湾総統選にも行ったことがあるそうだ。なぜ、候補者全員に取材するのかは、畠山氏の著書『コロナ時代の選挙漫遊記』に詳しいので、未読の方は映画と合わせてぜひ読んでいただきたいが、簡単に言うと、「泡沫候補と呼ばれる人達は、当選できないからといって、立候補することに意味がない訳ではない。そしt彼らの声を聞くことにも意味がある』ということで、それはこの映画のメッセージとも一致する(と私は思った)。

で、この映画の対象となる二つの選挙のうち、参院選である。私も実は東京選挙区の有権者だった。が、この映画に登場するどれだけの人のことを知っていただろうか。ほぼゼロである。そして、そういったインディーズ(泡沫ではない)候補の人達の声を聞いてみると、「私は宇宙人」と言っていたりする一方で、うなずける主張も多い。そしてほぼすべての人が正直で、真剣なのだ。彼らは300万の供託金を払い、得票率が基準に達しなければ没収されるのだ。それは真剣でないはずがないのだ。彼らがうそ\は言ってないというのは、候補者の一人「トップガン政治」の中川さんが出てくるラストシーンで示される。途中で登場したとき、中川さんは「バッティングセンターに行って、170kmの球を打っている」と言っていた。それは我々は宇宙人並みに「はいはい」と聞き流していた。が、ラスト、バッティングセンターで我々は実際に中川さんが170kmを打つのを目撃する。「あ、本当だったんだ」とこちらが恥ずかしい気持ちになった。

ここまで観ると、候補者全員に取材することの意味を理解する。そして鑑賞前の「なぜ彼は候補者全員に取材するの?」という疑問は、「なぜどのメディアも、候補者に等しく取材することをしないのか?」に変わる。彼一人でできてしまったのである。メディアにできないはずはないではないか。だからこの映画は実は既存マスメディアに対する強烈なカウンターであると思う。そういう意味では今年のネツゲンユニバース映画(『劇場版センキョナンデス』『シン・ちむどんどん』『国葬の日』と本作、どれもネツゲン製作)の中でも、一番キツイのではないか。

もう一つ、この映画は重要な事実を明らかにしている。これも有権者の私も知らなかったことだが、主張の違う候補者の何人かが、NHK党の公認を受けていたこと。これは供託金の負担軽減を狙ってのこと。前述の通り、一定の得票を得ないと供託金が没収されてしまうからだ。NHK党のやり方は賛否あると思うが、インディーズ候補の立場にしてみれば、供託金負担や助成金を共有できるのはありがたいから、大樹の陰に寄るのは理解できる。むしろ、こういうやり方が出てくるのは必然のことだと、供託金の仕組みを知ってからはそう思える。

最後に、本作のパンフレットは、監督と畠山氏のインタビューだけではなく、映画の内容を丁寧に追ってくれているので、鑑賞後に思い返すのに役立つのでおすすめ。

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