福田村事件

関東大震災から今年(2023年)9月1日でちょうど100年。この記念すべき日に森達也監督の映画『福田村事件』が公開された。この映画は関東大震災時に流布されたデマのせいで朝鮮人虐殺が起きた際、日本人も誤って殺されていた千葉県福田村の事件を扱ったものである。この題材の選択だけでも(単純に朝鮮人虐殺そのものとしないところが)ひねっていて、公開日をこの日に合わせてきたのもいかにも森監督らしい。本作は森達也監督の初の劇映画ということで、どんなものを見せてくれるんだろうと、私自身も非常に期待していた。鑑賞してみて、正直ちょっと拍子抜けだったのは否めない。なんというか、面白いのだが、「普通に面白い」のだ。ひねりが効いているのは前述のテーマ設定や公開日だけで、中身はいたってまっとう。これは私がよく試聴するニコ生主のDr.マクガイヤーも同じ感想を抱いていた。そうなのかー期待しちゃいけなかったか。

といってもこの映画に罪はない。なお、今回、私はそれなりに(ネタバレはないがレビューなど)事前情報が入った状態で鑑賞した。その立場でこれから述べる。事前情報完全になしでの鑑賞の場合と、多少でもある場合とでは、かなり感想が違うのではないかと思っている。私は今回は、事前情報をもとに、ミステリとして本作を楽しむことにした。
その視点で観ると、本作の脚本が実によく出来ていることに気付く。まず、本作は事件が起きるまでの各登場人物(加害側、被害側)の生活ぶりをじっくりと見せていく。これには2つの意味があると思う。1つは、加害側も被害側も特別な善人や悪人ではない、当時としては普通の人々であること。しかしその普通の生活の中にも、現代にも通じる様々な差別構造を内包していること。朝鮮人、穢多、そして女性。また、不倫関係になることでアウトサイダーになってしまった人々もいる。不倫をする渡し守役に東出さんをもってくるなど、キャスティングも絶妙。
でこの差別構造をはらんだまま、事件が起きるべくして起きる。フェイクニュースにおどらされる人々。それも、現代に通じる問題だ。で、例の「誰が殺しの口火を切るか」は、町山智浩氏がTBSラジオ「こねくと」で、「意外な人物」と言っていた。この情報を得た上で、物語を追っていくと、ちゃんとここも動機の伏線がはられているので、犯人はすぐわかった。後に殺される永山瑛太さんが朝鮮の女の人から朝鮮の扇子をもらうシーンもあり、こちらは結末を知っている身だから、「やめとけー」と思ってしまう。でも、クライマックス(発火点)に近付くにつれ、観ているこちらとしては、「これは森監督も言うようにフィクションだし、最後に『イングロリアス・バスターズ』みたいな、歴史改変大逆転がないかと密かに期待するのだが、残念ながらそこは史実通りになってしまう。そして結構長めの、9人の殺戮がはじまる…

私が鑑賞前に疑問に思っていた点が1点だけある。それは、「日本人が殺された」という題材を選ぶことで、朝鮮人よりも日本人の方に注目され、「朝鮮人が虐殺された」ことが薄まってしまうのではということである。だが、その危惧も、殺される日本人、香川の薬売り役の瑛太さんに「朝鮮人だったら殺していいんか」と言わせることで、それを否定している。ここの脚本もうまい。

また本作は、俳優陣もいい演技をしていてすばらしい。この映画の出演がきっかけで鬱になり議員を辞職してしまった水道橋博士は、命?を削っただけのことはある、はまり役だったし、東出さんやピエール瀧さんもよかった。意外だったのは、「水曜日のカンパネラ」の前ボーカル、コムアイさんで、最初は分からなかったが、こちらも和服が合っているし、演技もよかった。

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