落下の解剖学

予告編を観ても今ひとつ乗り気ではなかったのだが、TBSラジオ『こねくと』で町山智浩さんが推している内容を聞いて、観てみようと思った。
本作は、ある男性がロッジの地面で倒れているのを散歩帰りの息子に発見されたところからはじまる。状況からみて、男性は作業をしていた家の三階から落下したと見られる。窓枠の高さや、頭に打撃の跡があることから、事故の可能性は低く、自殺または殺人のいずれかの線で捜査が行われた。息子は犬を連れて散歩に出ていたため、当時その家にいたのは被害者と、被害者の妻のみ。しかも息子によれば、出かける時二人は口論していたという。当然、妻は疑われることになり、逮捕され裁判にかけられる。
ということで、その後は法廷劇ということになるのだが、法廷劇好きには、新証人に新証拠、どんでん返しに次ぐどんでん返しのような展開を期待したいところだと思う。『検察側の証人』みたいな。が、この映画はそうではなかった。これもいるんなところで指摘されているが、裁判としての結果は示されるが、真相は観客に明示されない。これも法廷劇のセオリー違反である。裁判の結末がカタルシスになっていないし、クライマックスにすらなっていない。裁判が終わったらあっさりエピローグでは終わならい。その後もしばらく続くのだ。実はそこが本作の本質を示していると思う。
真相は明示されないが、町山氏が指摘しているように、ある証拠から、ある推測が観客に暗示される。そして、視覚障害の息子(この子が名演技!)が、あることを思い出すことにより、真相の2つの選択肢からどちらかを選択することになる。でも息子は真相への確信を得た訳ではないのだ。でも、一方を選び、裁判で証言することになる。確信がないから、裁判後彼は母親が帰ってくるのが怖いし、母親もそれが分かっているからぐずぐず帰らず飲んでいるのだ。しかしそれを乗り越え、母子が抱き合うシーンは、通り一遍でない感動を生む。
というふうに、観客は最後までどっちを信じればいいのかふりまわされるのだが、母親役のサンドラ・ヒュラーはそのプロット通りに、内面を見せない演技をしていて、オスカーノミネートも納得と思った。彼女と息子役もすばらしいが、本作で一番の名演技は犬である。
余談。本作の途中で主人公がバイセクシャルであることが明かされるが、私は最初のインタビュー場面を観ていて『TAR』のあるシーンを連想し、「あれ、この人って…」と思ったので、それほど意外ではなかった。

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