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最近ふれた音楽の話 #27 ザ・サベージ、寺尾聰『ルビーの指環』、ユーミン、吉田拓郎ほか

ルージュの伝言 ソワソワの転嫁

『魔女の宅急便』のテーマソングに使われた曲ですね。テレビのロードショーで何度観たことか。少年だったのでオトナになってからじっくり集中して観ていないので、いまみたらまたちがうかな。

主人公とあの人の恋愛の歌だと思います。ふたりの関係が歌から察せられるところもありますね。

たとえば、ママに告げ口して電話を彼にさせて、ママに彼をしからせる魂胆が描かれています。

ママに頭が上がらないタイプのカレなのかな〜〜とも思いますけれど、そうでなくとも浮気のことでパートナーから自分の母親に告げ口されそのことで母親から電話がかかってくるなどという事態は私なら避けたいと思います。

カレが本当に浮気していたら笑えない話ですが、これが、もしも彼女の一方的なドスゴイ勘違いとかだったら大いに笑い話です。そんなオチもいいな。『魔女の宅急便』がそんな話だったらそれも面白いな。ぜんぜんちがいますけどね。


結婚しようよ たくろうに続け

僕の髪が肩まで伸びて君と同じになることと結婚することにどのようなつながりがあるのでしょうか。

髪が伸びて肩まで届くことは、あまり重要でないように思います。

二人のあいだには結婚にいたるムードがある。ゆくゆくはそうしたいと思っている。じゃあ、いつ本当に実現させるのか。

実現のための条件が整うのには何が必要なのか具体的には二人の間のことはわかりませんが、おそらく、それらが揃うのと、僕の髪が肩まで伸びるのがおなじくらいの時期になりそうな見通しがなんとなくあるのではないでしょうか。

この曲には幸せを急がない雰囲気があります。牧歌や遊牧の似合う雰囲気です。結婚をカジュアルなものととらえる機運を高めるきっかけをつくった曲なのではないかと勝手ににらんでおります。

わたは1986年生まれなので当時を知りません。

母親に、この曲がはやった当時のことを少し聞いてみました。

とにかく、「反抗する」こと。今の状況でおかしいと思うことには、きちんと抵抗する。意思を表明する。行動する。そういう雰囲気があったそうなんです。エレキは不良だとか言われてたとか、そんな話もありました。母親に話を1ふると10の分量で返ってくるので、結局論旨がぼやけるのは私の個人的あるあるです。

よしだたくろう氏の結婚しようよの話をしていたら、私と私の母親の話にすりかわってしまいました。ここまで読んでくれてありがとうございます。まだ続きます。

帰って来たヨッパライ いかれたプレイバック・オブ・ライフ

後年の加藤和彦が坂崎幸之助らとボサノヴァアレンジでこの曲を演奏している映像を見たのですがニヤニヤが止まりません。確信のお遊び。センスも技術もたまりません。

よっぱらって運転しては絶対だめですよね。

昔と今では変わったことがたくさんあります。

よっぱらい運転がダメという認識は、昔のほうがきっと現在より緩かったです。1986年生まれの私にどこまでわかったもんかと言われればその通りなのですが、そんな私の目で見た限りの時代でも、昔のほうが緩かったんじゃないかなという気がします。

それに駅のホームでもタバコ吸ってる人がいました。これらは時代によって意識が変わることの端々の例。

そんなヨッパライ運転を題材にした曲なのですね。

サウンドも遊びのカタマリです。加工と工夫と試行のタマモノです。

こうした確かな遊びのセンス、演奏や歌唱の技術の叡智がこのヨッパライ運転の名曲なのです。もうすこしましなものをモチーフにした曲作りに心血注げば良いものを・・・なんて思うのでしたらきっと『悲しくてやりきれない』とか『イムジン河』とかを聴けばよいでしょう。いずれも彼らのレンジ内。おてのものです。私は彼らの掌の上。


いつまでも いつまでも ザ・サベージ 品の良さ漂う美メロ


歌本でみつけていいメロディだな〜と思っていました。

それから数日〜数週間くらいして、YouTubeをうろついているときに、グループ・サウンズの流行をテーマにしたあるテレビ番組の映像にいきあたりました。映像をみると、グループ・サウンズの盛り上がりの経過がよくわかりました。

その盛り上がりの渦中にあったバンドのひとつがザ・サベージでした。私のこれまで触れて来た音楽にはありませんでした。ところがこれが、最近徐々に私が関心を(ようやく)高めつつあるシティ・ポップの流れに繋がる部分があるのです。

ザ・サベージのメンバーだった一人に、寺尾聰がいます。私は彼を俳優として長いこと認知していましたが、ルビーの指環というヒット曲があります。作詞が松本隆、作曲が寺尾聰です。

その歌詞に「風の街」というフレーズが含まれています。

はっぴいえんどの曲は「風街」という、現実にいま存在するわけじゃないけど心のどこかにあるまぼろしの街(こんなひどい説明では詳しい人に怒られるかもしれませんが)をコンセプトにしたものがあり、彼らのそうした背景を持つ曲たちが後発のミュージシャンに与えた影響からだんだんとシティ・ポップなるものの群像が見えて来た、というのが私の考えるシティ・ポップの解釈の一端なのですが、ずばりそのはっぴいえんどの作詞を担当した松本隆とグループサウンズバンドのザ・サベージのベーシストとしても活躍した寺尾聰が組んでうまれた曲が『ルビーの指環』なのです……

……読みづらいことを承知で文章のロングブレスしてみました、ついてきてくださってありがとうございます。

そんなわけで、ザ・サベージはシティ・ポップに大きな関わりのある松本隆とともにヒット曲を生み出した寺尾聰が所属したバンドなので、私の中で「つながった」感があるのです。

そして『いつまでもいつまでも』という曲はとてもうつくしい。ほとんど曲の話をしてませんね。曲については小見出しのところのリンク先のブログをお読みいただければ幸いです。


世界は二人のために 佐良直美と没入の歌


エヴァンゲリオンの劇場版の新作の冒頭部分が配信されていたので観ました。

それを観て、私は安野モヨコの『監督不行届』を思い出しました。

庵野秀明をモデルにしたキャラと安野モヨコをモデルにしたキャラが出てくる漫画です。すごく面白いです。

漫画なので脚色があるかもしれませんがエッセイです。庵野秀明さんはすごくヘンな人だと私は思いました。漫画や映像やそれらにまつわる歌や音楽に対しての変態的な愛が日常(私生活)に溢れ出まくっている感じに描かれているのです。

エヴァの劇場版の新作の冒頭配信のあるシーンで『世界は二人のために』という曲がふくまれています。どう含まれているかというと、キャラが歌っているのです。場面は戦闘シーンなのに、現実に存在する、恋のロマンある歌をうたっているのです。なんだかミスマッチ。

でもこれでいいのです。頭の中に愛があふれて、混沌として、いろんな思念が交雑して同時進行しちゃう。きっと、庵野秀明やエヴァ制作関係の精神に通底するものと響きあう表現なんじゃないでしょうか。勝手にそう解釈しています。

そんな『世界は二人のために』の作曲者はいずみたく。私が崇拝するほど好きな、いずみたくです。いろいろな角度からみられる曲。

歌っている佐良直美がまた素晴らしい歌手です。引退したり復活したりしているようですが、要は歌手活動とは別のことをたくさんなさっている方みたいですね。歌に、そうした芸能界以外のことに関心をもっているパーソナリティの深みみたいなものが出るのかもしれません。


ルビーの指環 風の街に貴女の幻影

ザ・サベージの『いつまでもいつまでも』のところで言い触れましたね。ルビーの指環。

別れた人の指にあったはずの、かつての自分とのつながりを意味するルビーの指環を街ゆく人の指にもつい探してしまうという男の曲です(説明が雑)。

街で居合わせたりすれちがったりするたくさんの人の中に、「あれ? あの人、わたしのしっているあの人じゃないかしら」という影をみることってよくありませんか。

でもほぼ違うんです。99パーセントはずれ。わたしの知り合いのその人じゃない

もちろん、知り合いと街で出くわすこともあります。だから99パーセントはずれ、は言いすぎ。

どういうわけか、自分が心の中で気にかけている人の影ほど、街で幻視するんじゃないかと私は仮説します。

そういう、幻視してしまうような存在の人、わたしにもいるわぁって人、いらっしゃるのではないでしょうか。『ルビーの指環』がヒットしたのには、「共感を誘ったから」という理由もひとつにはあるはずです。もちろん、そのリスナーにはない洗練や心の機微の表現を多くの人に魅せたからヒットしたというのもあることと思いますし。共感と、うっとりさせる幻の輝きの両方をもたらせたら、その曲は強いです。

夢の中へ 井上陽水 リマスターの精緻


もとは1973年のシングル曲ですが、2017年にリマスター版が出ていて、MVもそのときに公開されています。これがかなり傑作なのでぜひ観てみてほしいです。

マスタリングはテッド・ジェンセンというエンジニアがしていて、ノラ・ジョーンズの『Don't Know Why』を収録したアルバム『Come Away With Me』など多くのヒット盤に携わった人です。

マスタリングのおかげか、それ以前にミキシングもいいのでしょうけれど、ひとつひとつの楽器の動きや配置がよく伝わって来ます。アコギの輝かしい音色、エレクトリックギターの乾いたカラリとした音が気持ちよく、そのオケに井上陽水の声がなまめかしく踊るようです。

探し物は何という深い問い。かと思えば踊ろうと言ったり挙句のはてにサビは♪ウフッフ〜です。私はめんくらった気分。

井上陽水の曲にはひっきりなしに感性を揺さぶられます。この曲も歌詞や音楽の表現に振れ幅があり真面目に聴けば聴くほど井上マジックにはまっていきます。

陽水もおそらく楽譜の上じゃないところで音楽を紡ぎ出す創作方法だと思うのですけれど、五線譜に起こしても非常にユニークな見た目になるのです。音楽は見て聴いて触って面白い。味やにおいもついてきます。

青沼詩郎

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