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レビュー 『花〜すべての人の心に花を〜』喜納昌吉

ボーカルのメロディの、か弱いはじまり方が印象的だ。エイジングされたボーカルのトーンが味わい深い。ことばの乗せ方も印象的である。

繊細な歌い出しに対して、続くフレーズで張りのある声を聴くことができる。独特の声の揺らし方がある。ことばを置くように、独りでつぶやくように、音楽がつづられる。

低いボーカルポジジョンで始まるメロは繰り返される。続くフレーズでまた、ボーカリストが声を張る。

1番と2番での歌詞の変え方も印象的だった。「花として咲かせてあげたい」→「花として迎えてあげたい」というフレーズを拾うことができた。あなたの背中を押してやりたいという姿勢と、あなたの選択・行動を受け入れてやりたいという姿勢の違いが感じられ、良いフックになっている。

平歌の歌詞の変化でストーリーをジャンプさせたところで、同じ歌詞のサビが繰り返される。ここまで紡がれた音楽が奥行きとなり、背景となって、このサビの強さを引き立てる。

そしてまた、そよ風でたち消えてしまいそうな繊細な平歌のボーカルメロディに戻ってくる。しかしそれも、すぐさま続くフレーズの強い声を引き立てる奥行きとなる。

“それが自然の歌なのさ 心の中に花を咲かそうよ ”
モチーフが連なり、平歌の部分をくくるこのことばの輝き。その残光が後を引くようだ。

“いつの日か花を咲かそうよ”
祈りに聞こえる、「いつの日か」ということば。「いますぐに」ではないのだ。いますぐに、語り手が一人で成し得ることではない願いがあるのかもしれない。

“泣きなさい 笑いなさい”
泣くことも笑うことも、生きる者に認められた当然の権利かもしれない。それをあえてしなさいと言っているようにも聞こえる。その当然の権利を行使できない状況をバックグラウンドにして、ひねり出された心の叫びなのかもしれない。美しい音楽に込められた、人間の醜さの裏返しかもしれない。

“いつの日か花ぐわ咲かさぁや”
歌詞の最後に聴くことができるこのフレーズは、「いつの日か花を咲かそうよ」を沖縄のネイティヴのことばで話したものと思われる。じぶんの魂のことばで、聴き手の魂に直接語りかけているかのような表現だ。故郷の土の匂いがしてきそうである。

やさしくうねる潮水がうち崩れる音が、最後まで聴こえている。これが、この曲に恒常性を添えている。角の丸いエレクトリック・ピアノの音をバックに、三線の音がこだまする虚しさ。やさしさと強さで孤独を包み込むような、あるいは、孤独でやさしさと強さを包み込むようなお互いを包含しあった感情の波が、浜に寄せては海に帰っていく。

聴き手と語り手を溶かしてひとつにするような音楽だと思った。

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喜納昌吉
『花〜すべての人の心に花を〜』
アルバム『Ninai Pana』より

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