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良薬口に余し

おのれにとってためになることほど、素直に聞き入れにくい……これは、結構思い当たるふしがある。

だが、良薬がみな苦しとは限らない。 現在の自分と距離がある、乖離している、ギャップがあるものほど良い薬になるとすれば、おもしろいもの、楽しいもの、オドロキなもの、そうした明るく受け入れやすいイメージの種々の事物もまた、薬になるはずである。その瞬間の自分とギャップがあるからこそ、そうしたおのれの外側のものと対峙して、おのれに変化が起こるのだから。

苦いという形容が実は適切ではないことも多いかもしれない。「うわぁ刺さるわぁ、耳を塞ぎたくなるわぁ!」とか、「自分のことを残酷なくらいに言い当てている!」というような辛辣なアドバイスがあったとする。それを辛辣と感じるのであれば、自覚があるということである。また、その時点である程度聞き入れていると言っていい。そのアドバイスの辛辣さを、しっかりと知覚しているのだから。本当に苦く、毒であれば、出あってしまってもすぐさま遠ざけるとか、本能的に避けるような拒否反応を示すのではないか。苦いながらも、うまいのである。なんだか、ビールみたいだなぁ。最近飲んでいない。

痛さ、つらさ、苦しさ……そういったもの自体を、僕は欲しているわけじゃない。その向こう側にある達成感、恍惚、弛緩の甘美さに憧れを抱きがちなのかもしれない。なんだ、結局ほんとうに欲しいのは、にがさ、くるしさなんかじゃなく、快楽なのだ。

ただ、にがさ、つらさ、くるしさ、痛さ、疲れ……そうしたものたちが、その向こう側に控えるやすらぎ、よろこび、たのしみを引き立てるのかもしれない。

そんな風に考えがちなことから、いかに僕自身が典型的な日本人気質であるかを思う。ストーリー重視で、理解し咀嚼しやすい順序を求め、定番のハッピーエンド、あるいはその裏切りを望みがちなのである。そうした定石から外れるものを、無意識に排除していやしないか、おのれを省みたいところだ。

そもそも、いきなりガツっと口にして「おいしい!」というものばかりで、あたりは満たされているのだ、きっと。それを変に勘ぐって、「いや、そんなにいきなりおいしいわけがない。もっと苦いものを探さなきゃ」とあちこちさまよう癖が僕にはあるのかもしれない。

雑食性を身につけることもまた戦略なり。戦略を見直すこともまた、戦略なり。

うーん、まぁ、苦いものも知っておくことで、それ以外のものの豊かさも感じることができる……という程度にとどめておいて、あまり苦い甘いにとらわれすぎずいきたい。

お読みいただき、ありがとうございました。

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