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2018年12月の記事一覧
東京都、32歳。〜都市と歳と年と年〜
京都と聞けば、修学旅行で行ったなぁと思い出すのが、関東地方で中・高生時代を過ごした人の多くではないだろうか。
盆地と聞けば、夏暑く、冬寒いでしょう? なんて言いたくなる。盆地であることと、夏暑く、冬寒いことの関係性を正しく説明できない者は多いだろう。そういう僕自身も、「京都は寒い(暑い)」と聞けば、「盆地ですもんねぇ」などと、自らろくに根拠も説明できない返しをしてしまう自信がある。無駄な自
死に至るまでの瞬間、ハッピーか。
じぶんが死ぬときに、ハッピーエンドだったかバッドエンドだったかなんて、どうやって決めるのでしょうか。
ほんとうにあの世にいくそのギリギリの瞬間に、「おれの人生はハッピーエンドだ」と思いさえすれば、その人の人生はハッピーエンドだということになるのでしょうか? そもそも、まさに逝こうとする瞬間に、そのような思念が頭をよぎることがあるのでしょうか?
ひとりの人について追いかけ続けたとしても
たとえば、それは野球かどうか。
いつも、今のままじゃいけないと思っている。
どれだけ徹夜しようと、どれだけその場の食欲にまかせて顎を動かそうと、なにもなかったかのように元どおりになることが若さだとしたら、それは儚く短い間のみの特権かもしれない。
いくつになっても「若い」と言われるような人がいる。そうした人たちがみな、いくつになっても前途のような特権を持ち続けているかといえば、そんなことはない。彼らのことを「若い」と言
食卓の役割 〜料理は会話の「モブ」じゃねぇ〜
クリスマスと日本人
クリスマスイブの朝。いつも通りごはんを食べたあと、スポンジケーキに生クリームを塗りつけて、苺やブルーベリーをじぶんたちで盛り付けた。それを午前中に食べて、1日おなかが満たされっぱなしの状態で過ごした。その影響もあって、夜は、冷蔵庫の残り物をつまんで済ませた。
今年は24日が振替休日だったために、本来なら25日にやるであろう「儀式」を、ひととおり24日のうちにやってし
陣取り合戦 in My Body
なるべく、じぶんのしたいようにする。そうした姿を、隠さず見せる。これが、僕がじぶんの子どもと接するときに心がけていることです。
心がけているというほどのことでもなくて、単に意識の表層付近にある、程度のことかもしれません。そうして過ごしていると、自然とじぶんの行動も、隠さずに見せられるようなおこないにフォーカスされ、シフトしていくように思います。
こうした僕と暮らした影響なのか、僕の子ど
もしもお金があまったら
お金のことでまず思うのは、子どもの学費やらなんやらのことである。いくらでも自由に使えるお金があったら……というとき、まず子どもの将来のための貯蓄というのが僕の頭に浮かぶことだ。自由に使うだなんて、その次、いや、その次の次か……なんて思ってしまう。
「その次の次」なんていうからには、「その次」があるということか。病気をしたときとか、家を修繕したりあるいは引っ越したりかはわからないが住まいに関す
無人島に持っていく一冊
もしも無人島に一冊だけ持っていって一生を過ごさなければならないのならば、実用書だとか理論書だとかでなく、詩や物語のようなものを持って行きたい。それは、とても自然なことのように思う。詩や物語に、自然のことを詠うものが多くあるからだろうか。理論書や実用書にだって、自然の摂理や真理や法則のようなものを書いたものは多くあるだろう。それなのに、やっぱり詩や物語を持っていきたいと思うのはなぜか。ひょっとしたら
もっとみるAn Aged Man
こんなこと、絶対にむかしの自分にはできなかったなぁなどと思うことがある。
たとえば楽器を演奏する僕でいえば、ギターをフィンガーピッキングで弾くとか、右足一本でドラムスのバスドラムのダブルストロークを踏むとかいった芸当は、それらの楽器を演奏しはじめたばかりのときには出来なかったことだ。ギターはプラスティックのピックで弾くのがあたりまえだったし、ドラムスのキックのストロークは、シングルでしか安定
時候のあいさつ(モノローグ編)
寒いのより暑い方がいい。夏は冷房もつけずに部屋に引きこもってドラムを叩いている。そんな僕である。
多少、暑くても死なないと思う。汗をかきすぎて、脱水症状になったら危険かもしれない。砂漠のど真ん中になんの装備もなしに放り出されたら、生きて帰れる自信はない。やっぱり、暑すぎるのもそれはそれで危険かもしれない。そう思い直す。でも、やっぱり僕は、寒いのよりは暑いほうがいい。
暑いと、妙にやる気
小さきものの詩 〜雑居ビルの一室に、道端の草木の蔭に〜
古典をよく知らない。何が古典の定義なのかもよく知らない。だけど、長い時間が経っても残っているものの価値は、なんとなく認めている。残そうとした意思によるものなのか、結果的に残っただけなのか、たぶんその両方なのだろうけど。
歌には、かたちがある。たとえば平歌があってサビがあって、というような形式を感じ取って、人はなんとなくポップだとか歌謡曲だとかを意識する。それらの歌の中に描かれるものたちもまた