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2018年2月の記事一覧
ジャンプ! 〜飛躍と到達点〜
どんなに情報や技術が蓄積されて、その共有手段が発達したとしても、一人の人間が一生のうちにできることには限りがあります。人間の寿命が昔より延びましたから、その分、総量は増えたのかもしれません。
オリンピックを例に、世界新記録の更新はどんどん難しくなる、といえるのでしょうか。人間の身体能力にも限界があるでしょうから、仮に100メートルを走り切るタイムが9秒、8秒、7秒…とどこまでも更新されるよう
かくありたい 〜絶対的15年間の相対性〜
15年前くらいに、「かくありたい」という未来の自分があったと思います。
15年経ったいま、その「かくありたい」になれているかというと、なれているところもあればそうでないところもあります。
これから15年後の自分はどうなるのだろう。15年前の自分ほどには、今の僕は、15年後についてあまり考えたり想像したりしていないのかもしれません。
16歳の自分にとっての15年後は、31歳でした。
「芸ごと」と「競いごと」
「拍手や満席の規模」に贈られるメダルがあるとしたら…
「競いごと」に対しての「芸ごと」といいますか、概念的なもので、具体的な基準があるようでないようなこと、そのときそのときの人の気持ちを動かしたり、心の中にだけずっと残って、数字に残せないような体験の共有だったり、…といったもろもろのことに取り組むことは、なかなかスポーツの世界において「ベスト」にメダルが贈られるような評価方式にあてはめるのは
もの悲しくても野菜をたべる
こころもからだも疲れてしまったなあ…というような時、私は食欲がなくなります。そのまま眠くなって、寝てしまおうかと思うこともあります。そうして食べずに眠ってしまったこともあるのですが、食事を省略して早く眠ったぶんだけ翌日元気になるかというと、そうでもなかった…という経験が個人的にあるため、どんなに「もう、食べる気力もない」という時でも、かならず食べてから1日を終えるようにしています。
食事(晩
ぼくになにが書かれている?(きみのことはこう読める)
僕はいま31歳ですが、「独断と偏見によれば」という言い方がされていたことが昔あったような気がします。僕自身も1度や2度は使っているかもしれません。
「独断と偏見による」という前置きは、「他の人ならどう判断するか」や「まんべんなく、偏らない見方で」といったことを考えないで言っていますよ、という宣言に聞こえなくもありません。
そうした「もの言い」といいますか「言い草」といいますか、ツールと
「いまは、苦しい」を受け入れる
僕は歌をつくるのですが、やはりもととなるアイディアが浮かぶ瞬間というのがあります。
からだや意識が張り詰めている時間というのがあるように思いますが、それが緩んだ瞬間、緊張と緊張の切れ目のような瞬間に、アイディアがふっと訪れることがあるようです。ほんとうに自分はその瞬間まっしろになっていて、「あ、いたの」「来たのね」みたいな感じで、気付くとそばに立っているのがアイディアだったりします。もちろん