『ロシアの軍需産業 : 軍事大国はどこへ行くか』塩原俊彦著、岩波新書 845. 2003

序章 冷戦期の「負の遺産」

0‐1.イラク・北朝鮮・中国とソ連・ロシア製武器

イラク戦争の教訓

2003年3月20日からはじまったイラク戦争で、イラク側が使用した武器のなかで脚光を浴びた武器がひとつある。それは、米国の主力戦車M1エイブラムス2両を機能停止に追い込んだとされるロシア製の対戦車ミサイル「コルネット」だ。この真偽はわからないが、
①ブッシュ大統領が2003年3月24日、ロシアのプーチン大統領に対し、ロシア企業が対戦車ミサイル、夜間戦闘用暗視ゴーグル、全地球測位システム(GPS)妨害装置をイラクに供与したとの疑惑について、電話で懸念を伝えた
②イラクは秘密裏に1000発もの「コルネット」を購入、うち約500発を2003年1月、ウクライナの武器商人がバクダッドに輸送したほか、シリアの政府や将軍も関与(『ニューズウィーク』)――といった報道から、米国政府がこの「コルネット」に相当関心を寄せていることがわかる。

「コルネット」の実物を見たければ、「http://shipunov.com」にアクセスすればいい。持ち運びできるコンパクトなものだ。この武器を製造している国有集権企業《器具製作設計ビューロー》という企業のホームページには、ロシア語だけでなく、英語による説明がある。名称からだけでは軍需企業とはわからない、ソ連時代につけられた社名をもつ同社は、モスクワ市の南にあるトゥーラ市にある。事故死したレベジ元安全保障会議書記・クラスノヤルスク地方知事が1995年12月のロシア下院選で当選したのがこの地だった。軍需企業の多い地方である。同社は独立して政府の干渉をあまり受けずに武器輸出ができる数少ない軍需企業で、世界各国に取引先がある。

こうした「コルネット」に関連したほんのわずかな情報からでも、ソ連と米国が軍拡競争を繰り広げてきた冷戦期の「負の遺産」に気づかされる。まず、ソ連崩壊後も「昔の名前」で存在する軍需企業の存在。さらに、ソ連崩壊の前後に独立したウクライナなどの国々が旧ソ連製およびロシア製の武器輸出に関与している可能性もある…

イラク戦争は「負の遺産」を知ることの大切さ、歴史の重みを教えてくれた。まず、米英軍が恐れていた生物・化学兵器にしても、もとを正せば、ドイツ企業をはじめ、米英企業を含めた企業が支援して製造されたものであった…

『ワシントン・ポスト』の報道によれば、米国の軍需企業はドイツや英国の企業ほどイラクに武器を販売しなかったが、米国政府は化学兵器に転用できる物資の輸出を黙認したという。イラクの化学兵器製造には、21ヵ国の207企業が関与していたという報道まである(『インディペンデント』)。米メリーランド州の研究機関が85年ころ、イラク側に炭疽菌を引き渡したという情報もある。つまり、今回のイラク戦争で米英軍が恐れていた生物・価g買う兵器は、自分たちが生み出したようなものなのだ。

歴史の皮肉は、冷戦期の遺物であるソ連製の武器をめぐってもある。ソ連という国は地上からなくなったが、皮肉なことに、ソ連が生み出した武器は冷戦後も生きつづけているのだ。ソ連が開発したカラシニコフ自動小銃が「活躍した」のはもちろんだが、さまざまなソ連・ロシア製武器がイラクに輸出あるいは密輸され、それが利用される可能性がある。たとえば、ウクライナのクチマ大統領の容認を受けて、もともとソ連時代の軍事技術といえるレーダー設備4基が2000年にイラクに売却されたのではないかという疑惑が浮上している。2003年1月には、ウクライナがイラクに組立式の浮橋を売却したという話もある。ソ連の一部であったベラルーシがイラク兵に対して対空ミサイル・システムS-300の訓練を施したという情報もある。あるいは、2002年7月のイスラエル軍事専門家の報告によると、シリアがイラクへの武器輸出の中継地点となり、ウクライナによって売却されたロシア製戦闘機用エンジンや、ブルガリア・ベラルーシによって販売された戦車などがイラクに渡ったという。99年7月、シリアのアサド大統領は訪ロし、戦闘機ミグ29、戦車T-80などの購入を申し入れたが、この背後には、イラクへの再販売という目的があったのではないかとみられている。

ストックホルム国際平和研究所の評価(90年を不変価格とする)によると、湾岸戦争前の段階の73‐90年にイラクが輸入した武器は439億ドルにのぼった。1ドル=120円で換算してみると、5兆円を超える金額になる。そのうち、57%がソ連制、13%がフランス製、12%が中国製だった。ソ連からは迎撃機ミグ25P(Mig-25P)55機、近接支援攻撃機スホイ25(Su25)84機などのほか、スカッドミサイル(SS-1c)888発などが輸出された。フランスは82年から90年までに戦闘機ミラージュF-1Cを72機納入した。湾岸戦争で、こうした武器の多くは失われたが、国連の禁輸措置でイラクは武器を公式には輸入できなくなっていたため、さまざまな方法で武器輸入を行ってきたと考えられる。ただ、93‐2000年にイラクが輸入することになった通常兵器は1億ドルにすぎないという見方もある。

ここから先は

45,319字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?