『福祉資本主義の三つの世界』イエスタ・エスピン=アンデルセン著、1990


日本語版への序文

日本型福祉国家の特殊性

本書を英語で出版して以降、多くの批判を受けてきた。最も手厳しかったのは、(本書があまりにもジェンダーについて無知であるとする)フェミニストからのものと(特定の福祉国家を分類する方法について異議を表明する)各国研究の専門家からのものであった。これらは正当な批判であり、私は、分析基準を再考したり、分析枠組みに必ずしもうまく当てはまらない国についてはより慎重に吟味せざるを得なくなった。2年前、本書はスペイン語に翻訳されたが、スペインは、分析の際には想定していなかった国であった。スペインの事情を良く知らないので困ったが、積極的に研究を重ね、またその甲斐もあったと考えている。

さて、いまここに日本語版を出版することは、輪をかけて挑戦的な全てである。本書を最初書いたとき、日本型「福祉国家」は、本書のきわめてヨーロッパ中心義的な政治経済類型、すなわち、西欧の自由主義、社会民主主義、保守主義という歴史的諸潮流に基づく類型のなかに、基本的には当てはまるものとして取り扱われてきた。だが、多くの日本人と欧米の研究者は、日本型モデルはユニークなもので福祉国家理論の標準的な分析用具で把握できるものではないと主張している。そしして今日、韓国や台湾、その他東南アジア諸国が、民主主義的で社会的な諸権利を、日本が経験したのと同じようなやり方で徐々に拡張しつつある。そのようななかで、もっと一般的な東アジアの「東洋型」福祉国家モデル、もしくは「アメリカ一太平洋型」福祉国家モデルとでも言うべき概念が確固たるものになりつつあるのである*。日本が独自の福祉国家レジームの国であるとする議論の本質は、一体何であるのか。日本型モデルを研究している欧米の研究者は、通常、日本の経済発展の水準に対して、社会的支出が驚くほど低く、社会的給付の水準も比較的低く、セーフティネットが未発達であることを印象づけられている。国民一人当たりGDPでみるかぎり、日本は世界でも最も豊かな国の一つであるが、日本のGDPに占める社会的支出の割合(1990年に12%)は、1960年代のOECD諸国の平均水準である。その限りにおいて、日本型福祉国家は、多くの者にとってはまさに残余主義モデルの典型として受け取られてきた。

日本の福祉制度が、ユニークで、そしておそらく優れたものであるという考えは、中川 (Nakagawa、1979)やヴォーゲル (Vogel、1979)によって最も強く主張されている。「アメリカー太平洋」モデル (Rose and Shiratori, 1986)は、民間セクターにひどく依存することとむすびついた福祉国家残余主義という観点から、北アメリカとの類似性を強調している。グッドマンとペング(Goodman and Peng, 1996)は、「東アジアモデル」に関して、批判を交えながらもバランスのとれた今日的な議論を展開している。

たいていの国においては、年金と医療が福祉国家支出の最大の部分を占めている。この二つのものは、人口高齢化によって大きく押し上げられる。このことを考えると、日本の社会的支出の少なさは、単に相対的に若い人口構造を反映しているだけであり、残余主義的な福祉を信奉していることを示しているものではないとも考えられる。だが、これは十分な説明ではない。日本の65歳以上人口の割合は、今日12%であり、この水準は、スカンジナビア諸国やドイツでは、1970年頃の福祉国家の黄金期の状況であった。さらには、(家族給付や、児童ケア、出産休暇、疾病、失業、雇用促進のような)子どもや若者のための福祉国家プログラムも、日本では同様にかなり低い。それらが、GDPの2%以下を占めるに過ぎないのに較べて、EC(欧州共同体)や他のOECD諸国では8%を占めている。実際、日本の高齢者以外に対する公的支出は、これまでのところ先進国のなかで最も低い(OECD、1994)*。換言すれば、日本の老齢人口が比較的少ないと言うことは、ほとんど説明要因とはならないのである。なるほど、日本は、数十年にわたって完全雇用を持続
し、そのために失業給付や早期退職に関する重い負担を免れた。これらは、ヨーロッパにおいては、高齢者向け以外の公的支出に重くのしかかる要因である。だが、たとえこれらを差し引いて計算しても、日本型福祉国家が非常に貧弱であるという結論は変わらない。

イタリアは、3.5%で二番目に低い。そして、以下で述べるように、その根本的理由はよく似ている。

日本の福祉負担が低いことについてもう少し説得力のある説明は、年金制度の歴史がたいへん浅いということである。つまり、年金制度が充分には成熟していないので、その支出が相対的に少ないというわけである。たしかにこれは事実である。厚生年金保険(EPI)も国民年金(NPI)もっともに1950年代に発足しており、(1973年と1985年との)二つの改革を経て、今日に至っている。後者の改革によって、受給開始年齢と必要拠出期間とが、引き上げられた。よって、捕捉率は決して普遍的ではなく、とくに所得比例の被用者年金に関してはそうである。しかし、このように言っても、なぜ発展がゆっくりしていたのか、なぜカヴァリッジが限定されていたのが、なぜ給付水準が低いのか、という疑問は残る。

日本が「特殊」であるという議論の要点は、公的部門の外部における社会福祉の保証が大変強固で包括的であるので、国家福祉に対するニードはわずかで残余的なものであるという考え方に基づいている。ある意味では、日本は福祉国家を必要としない福祉社会である、とこの種の議論は主張する。この仮説は、日本型の福祉ミックスに三つの主要な構成要素があると考える*。第一の、そしておそらくは主要な構成要素は、文化的な伝統と関わりがある。すなわち、仏教の教説と「儒教」に基づく家族的で共同体的な連帯と義務である。慣習法のみならず文化的な慣例についても言えることだが、家族や、地域のボランタリーな性格の組織が、福祉供給主体として、欧米よりもはるかに中心的な位置を占めている。たとえば、三世代世帯は、社会的統合の要であり子どもと老人との世話を同時におこなう。実際のところ今日、日本の高齢者の3分の2は、その子どもによって世話されている(Hashimoto, 1992; OECD, 1994)。欧米の福祉国家が子どもや老人、病人に対して提供している社会的介護サービスを、日本や東アジアにおいては、家族が提供している。政府による供給水準がきわめて低いという事実には、このこともまた反映されているのである。日本の社会福祉サービスが、政府の社会的支出全体のわずか5%を占めるに過ぎないのに較べて、スカンジナビア諸国では30%、ドイツやフランスでは10%から15%を占めている(Esping-Andersen、1996)

ここでは、私は、日本の外務省が公式に表明している見解 (1978年)に従っている。

第二の構成要素は、企業の職域福祉である。「アメリカー太平洋型」モデルという考え方は、ここに由来する。アメリカにおける場合と同様に、日本の大企業は、あるいは中企業でさえ、医療や、民間年金、住宅、対人サービスやレクリエーションにいたるまでの実質的で包括的な社会福祉の供給主体である。ウッズワースの研究は、今日ではいささか古くなっているが、ほとんどの主要産業において企業福祉の費用が賃金総額の約10%から20%であることを明らかにしている(Woodsworth, 1977)。また、ドーアの、有名だがこれまた新しいとはいえない比較研究によれば、日本企業(日立が実例となっている)はイギリス企業の三倍のコストを福祉に費やしている(Dore,1973)。アメリカのケースと比べてみた場合でさえ、日本の企業の福祉制度がその気前のよさや包括性で勝っていることはほとんどまちがいない。だが、企業福祉がカバーしているのは、アメリカにおける場合と同様に、通常は、中核的で、労働組合に組織され、終身雇用の、主として男子労働者に限定されている。
専門家の試算によれば、こうした企業福祉にカバーされているのは、労働者の25%から30%である(Goodman and Peng, 1996)。

第三の構成要素は、ある意味では目に見えないものである。つまり、他の福祉国家が取り組まなければならなかった多くの重大な社会問題が、日本では深刻化していないのである。この要因としては、日本が完全雇用を実現し教育を浸透させることに関して驚くべき成果を挙げたことが大きいのではあるが、また貧困や社会的排除。犯罪があまり深刻でないということもある。日本の社会的支出は比較論的に見てきわめて低いかもしれないが、教育への投資(GDPの5%から6%)はほとんどの先進国と横並びである。失業は通常は3%以下であって、男子の労働力率がヨーロッパを上回っていて、女子の労働力率がドイツと同じくらい(だが、スカンジナビアや北アメリカよりもはるかに低い)であるということに注目するならば、この低失業率はりっぱな成果である。

日本が教育と雇用にこだわることは、一見、スウェーデンの周知の「生産主義的」社会政策、すなわち、労働市場が社会的リスクと貧困を生み出すよりも福祉と平等を生み出すようにする予防的政策と非常に似ている。もしも、労働市場が給料の良い仕事を「普遍的権利」として保証することができるのなら、国家の福祉義務が極小化し国家の財政力は極大化することは明らかである。また、完全雇用の維持そのための政治的取り組みが真剣なものだったことも明らかなことである*。このことは、1973年のOPECの危機の後、大規模な景気循環対応型のケインズ政策が採択されたことにも示されている。本書で一貫して論じているように、雇用を維持するための政府の取り組みは、福祉国家の定義に関する鍵となる構成要素である。

政府の赤字支出は、膨大なものである。1973年にGDPの2%の黒字だったのに、1975-1982年には、日本政府は4%の赤字になっている。その間、公共支出の水準は、二倍になっている (Therbom、1986、p.122を参照のこと)

独自の「日本型福祉国家レジーム」は存在するのか?

「福祉国家レジーム」は、本書の鍵となる概念である。その根本的な考え方は、支出であれ、給付対象の範囲であれ、給付の寛大さであれ、福祉国家を「大小」によって比較してはならないということである。そうではなく、「レジーム」という概念が浮き彫りにするのは、各国は社会的保護を推進するという共通の目標に対して質的に違ったアプローチを採っているということである。本書の第1章から第3章は、様々なレジームを定義するための主な指標について述べている。これらの指標は、今日では古典となっているT・H・マーシャルやカール・ポランニーの業績を手がかりにしている。第一の指標は「脱商品化」である。これは、確かに厄介な概念だが、社会政策の効果として、個人(と家族)が市場に依存することなく所得を確保し消費ができる、その程度を明示するのに役立つ。換言すれば、脱商品化は社会的権利の強さと関係がある。第二の指標は社会的階層化と連帯に関連している。つまり、当該福祉国家が広範な社会的連帯のもとに構築されるか否かということである。両方の指標に照らしてみると、国家は、以下の三つのアクターの一つに過ぎないことは明らかである。すなわち、市民の観点からみれば、彼ら彼女らが生きる世界でその所得や福祉は次の三つのものの総計から成っているのである。すなわち、(a) 家族自らが提供するサービス活動(子どもや病人を家族内で世話をすることなど)と、(b)市場活動 (賃金や労働にむすびついた福祉、市場で購入された福祉)、(c) それに政府の供給(移転やサービス)の三つである。福祉国家レジームという考え方は、こうした福祉ミックスの政治経済学に基づいているのである。

次に提起する問題は、このような指標に従えば日本は独自のレジームを構成することになるかどうか、ということである。読者はお分かりのように、本書で私が出した答えは基本的に「ノー」である。しかしながら、その後も論争があり、別の側面も窺えるようになってきた*。すなわち、この論争のなかで日本は、自由主義社会民主主義、保守主義レジームの、そのいずれのクラスターに分類するのも困難なケースであることが浮き彫りになったのである。日本は、自由主義を把握する諸指で高得点であるし(たとえば民間セクターの役割が強いこと)、また保守主義を把握する諸指標でも高得点である(国家公務員に対する特権的な福祉や、コーポラティズム的な分立した社会保険制度)。別の言い方をすれば、本書で日本を独自のレジームとすることに「ノー」としたことが妥当であったかどうかを再検討するべき時である、いうことである。日本の謎に戻る前に、三つのレジームの本質を簡単に要約しておきたい。

主に二種類の批判があった。一つの批判は、私が独創的に提示した基準による国々の区分に集中している。たとえば、オーストラリアは、「賃金所得者」福祉国家という第四番目のレジームになると主張されている (Castles, 1996)。また、イタリアやスペイン、ポルトガル、ギリシャという南ヨーロッパの地中海諸国は、ユニークなクラスターであると主張されている(Castles, 1995)。これらのレジームの強固さについての経験的検証に関しては、カンガス(Kangas、1994)やレージン(Ragin、1994)を参照されたい。また、私が先に指摘したように、日本が特殊な福祉国家モデルであると考えるべきだとする議論も幾つかある。二つめの批判は、ジェンダーの次元に集中している。三つの福祉国家レジームは、稼得者としての男性―主婦としての女性という伝統的モデルと余りにも一体化しすぎていると主張しているのである。その代わりに、もしも、福祉国家を「女性のレンズ」を通してみるならば、女性の利益への親和性に関して福国家は非常に違ったグループ分けになるであろう(Drloff、1993; Lewis、1992: Saintbury、1994)

社会民主主義モデルは、きわめて強力で包括的な社会権を保障し、普遍主義的な「原則に立脚している。それは、子どもや老人の社会的ケアの責任を引き受けることによって女性の地位を平等なものにすることを約束しており、したがって強いサービス志向の福祉国家でもある。それは、単に完全雇用のみではなく、男性と女性の雇用を共に極大化していくことを一貫して強調している。このような特質が重なり合って、この福祉国家レジームにおいては、市民は家族自身によるサービス供給や市場にあまり頼らないし、各世帯が享受する福祉総体のなかで国家の役割はより顕著である。それは、高度に脱商品化した福祉国家であり、普遍主義的な連帯の原理に立脚している。

保守主義的な、コーポラティズム型福祉国家においては、社会権は雇用と拠出に基づいており、スカンジナビア諸国におけるようにただ市民権だけに基づくものとは異なっている。この体制は、保険原理を基礎にして作られており、平等よりも公平(契約上の公正)を強調する。社会保険は、職業上の地位によって分立していることが多く、極度に細分化されていることもある。このことは、連帯の側面が非常に狭くてコーポラティズム的であるということを意味している。また、社会保険にカバーされるためには、長期にわたる途切れることのない雇用キャリアが求められある。したがって、家族はこのような条件を満たす男性稼得者に全面的に依存することになる。それ故、このモデルにおいては、女性の福祉権は通常、派生的で間接的なものである。また、この福祉国家レジームは、非常に寛大な所得移転と非常に限定された社会サービスとを組み合わせていることにおいてもユニークである。このような特徴は、遡ってはカトリシズムの歴史的な影響に、また、より下ってはキリスト教民主主義政党の政府が続いたことに由来している。カトリックの社会的教義の根本は「補完性」という考え方である。この考え方は、福祉供給に関しては家族や地域コミュニティが自然であり活動の中心として理想的である、というものである。したがって、国家の役割は、家族が自分たちの福祉上のニードを満たすべく自らサービスをおこなう、そのことが経済的に可能になるような条件を作り出すことに限定されるべきなのである(とくに、van Kersbergen, 1995を参照されたい)。それ故、福祉国家の重点は、男性の稼ぎ手とその扶養家族の所得ニードを満たすように十分寛大な所得移転をおこなうことに置かれるのである。日本の読者には、カトリックこの「補完性」原理は、たやすく理解できるはずである。

自由主義福祉国家レジームは、保守主義福祉国家レジームと違い、家族主義的ではなく、どちらかと言えば個人主義的である。それは、市場こそがほとんどの市民にとって部分的には、勤労所得によって、また部分的には協約によるもしくは私的に購入した福祉(企業福祉や、生命保険、高齢者のための市場化されたケア)によって、望ましい適切な福祉の源であると主張している。その結果、福祉国家は二重の意味で残余的なものとなる。一方では、福祉国家の役割は、規制政策や減免税を通じて市場のパフォーマンスを高めることにある。さらにそれは、脱商品化の度合いを抑えることによって、個人が市場に依存することを奨励している。給付額が低く社会権が弱いために「労働インセンティブ喪失」はほとんど生じない。他方では、社会政策は、「真の困窮者」に限定したミーンズテスト付きの給付が中心となるという意味において、残余的になりがちである。

日本は、これら三つのすべてのレジームの要素を組み合わせているように思える。日本は、雇用の拡大と完全雇用とに驚くほど強くコミットしているという点では、社会民主主義モデルと共通している。家族主義や、地位によって分立した社会保険については、保守主義モデルと共通している。残余主義や、私的な福祉に強く依存することでは、自由主義レジームと共通している。それならばここで、日本型モデルは諸レジームのハイブリッドであるという点でユニークである、と結論づけて良いものだろうか。多様な要素が組み合わさって、日本型福祉国家レジームをして他のレジームとは質的に異なった一類型「福祉資本主義の第四の世界」としているのであろうか。この疑問に応えるために、これらの要素が実際どのように機能し、どのようにむすびついているのかをより詳細に検討しよう。


福祉ミックスと国家

1970年代初めまで、日本における公的福祉の供給体制は、残余主義的福祉国家の典型例を示し、しかもかなり極端な事例と言ってもいいほどだった。主な福祉プログラム(医療・年金)がカバーする対象はかなり広範であったものの、給付はまさに最低であった。1973年の「福祉元年」に着手された改革で、公的福祉のコミットメントは最低限の社会セーフティネットと呼びうる水準に高められた。その後80年代初め以降、この福祉体系は削減されたり部分的に巻きかえしたりを繰り返してきた。

現行制度の基本的な構造は、拠出型社会保険というビスマルクの遺産に基づいて構築されており、相対的にコーポラティズムの程度が強いという点では大陸ヨーロッパと共通しているが、特殊日本的な特徴もいくつか見られる。ヨーロッパと同様社会保険は職業上の地位に応じて断片化している。すなわち、年金、医療、労災害などのいずれの分野でも、船員、教職員、農業従事者および多様な政府被用者を対象とした個別の制度が設けられている。しかし日本では、こうしたコーポラティズムの倫理は、日本経済固有の組織編成に由来する二重構造(dualism)によって混色されていた。つまり、労働力の「中心」および「縁辺」労働力あるいは「インサイダー」および「アウトサイダー」のへの分化という二重構造である。終身的に雇用される大企業の被用者など特権的なインサイダーは、就労生活での高額この所得収入ばかりでなく優位な社会保障給付を享受している。概して彼らは、零細企業従業員、非正規の雇用関係にある労働者などの「アウトサイダー」と比べて30%上回る給付を期待できる(Goodman and Peng, 1996)。こうした格差はその適切さというで決定的な問題をはらんでいる。たとえば、公的年金の標準支給額は退職前収入の40-45%にすぎない。医療についても、サービスの質という点だけでなく個人にかかる負担の点でもかなりの格差が見られる。

残余主義、断片化、二重構造の組合せは、失業保険のようなより周辺的な社会的プログラムにも及んでおり、失業保険の場合、カバーしているのは労働力の半分にすぎず。給付が支給されるのもごく短期間である。もちろん、完全雇用が達成されている限り、このプログラムはほとんど有用性をもたない。しかしながら、社会技助、社会サービス提供に関しては残余主義的アプローチはより重要な意味をもつ。いずれのプログラムもかなり未発達な段階にあると言ってよいのである。日本に関する比較可能な貧困データは現在のところ存在しないが、日本の貧困率が典型的な北米の水準を、そしておそらくは大半のヨーロッパ諸国の貧困率をもかなり下回っているという認識が拡がっている。にもかかわらず、日本にもきわめて低所得の人々がかなり多数存在している。ところが、所得調査つき扶助(生活保護制度)に付随するスティグマのために捕捉率が並はずれて低く、受給適格者の25-30%と推定されている(Gould, 1993、Goodman and Peng, 1996)。これを比較すると、悪名高いアメリカの場合で約45%、イギリスでは約75%である。児童ケア、高齢者ケアといった社会サービスでは、さらに発達が遅れている。大半のヨーロッパ各国と同様、社会福祉サービスは家族もしくはボランタリー団体の責任であると考えられている。イタリアと同じく、地域に拠点を置き、公的補助金の交付を受けることもある「ボランティア」がかなり広範なネットワークを形成している。ただヨーロッパと違うのは、日本ではしばしば、大企業の事業主が児童福祉サービスを提供している点である。

要するに、日本型福祉国家の構造特性は、比較分析枠組に照らせば、保守主義的な「ビスマルク型」レジームと自由主義的残余主義との混合物としての性格が強いといえる。その制度デザインは、「日本型コーポラティズム」とでも呼びうるものである。すなわち、職業上の地位分化が広範に見られる点で日本はヨーロッパと同様である。しかし、忠誠心や連帯意識の涵養という点だけでなく、給付の寛容度やサービスの質という点でも、経済部門(中核的な大企業vs.中小企業)と一定の教育資格がヨーロッパ以上にはるかに重要な意味をもっていることも明瞭である。一例を挙げれば、35年間就労した男性労働者の退職手当は、大企業(従業員数1000人以上)と中小企業(従業員数30-90人)とでは3倍の開きがあり、さらに大卒従業員と高卒従業員とでは平均20-25%の格差がある(Japan Institute of Labour、1990、Table74)

日本型社会保障システムの制度特性は、ヨーロッパの保守主義的伝統と近似しているものの、社会権へのコミットメントという点では自由主義的体制により近い。1970年代初め以降、給付水準は劇的に改善されてきたが、「脱商品化」度は相変わらず低いままである。標準的な公的年金は退職前所得の約40-50%の所得置換率である。失業給付は若干高い。しかし、資格要件は一般的に厳しい。実際に、80年代に拠出要件と退職年齢がともに引き上げられた。そして、正規雇用期間が5年から10年に及ばない場合には、失業給付の受給期間は最大90日しか認められない(高年齢求職者を除く)〔訳注:30歳未満の場合。45歳未満で180日]。要するに、平均的な賃金稼得者は依然として市場か家族のいずれかにかなり依存しているといえる。


福祉ミックスと市場

市場による福祉供給という点では、日本型レジームはアメリカの自由主義モデルにたいへん似ている。大企業組織をとおしての社会的給付という伝統は、明らかに日本での公的福祉供給の残余主義的特質に由来する(Goodman and Peng, 1996)。労使協約に基づく福祉は福祉国家の空隙を埋めた。そして、いったんこの方式が整備拡充されると、福祉国家の拡大を求める国民の要求を抑制する効果があったと思われる。社会立法を推進する強力なロビーである社会勢力が、同時に、企業の職域福祉に関して最も特権的な地位を保有しているという場合には、なおさらである。大企業に雇用されていたのは労働組合に組織化された終身雇用の正規従業員であった。対照的に、自営業者、非正規労働者、女性など、パッケージ化された私的福祉を享愛していない集団は強力なロビーを構成しにくい状況にあった。その一方で、柔軟な労働力である女性の大半は終身雇用の中核労働者と結婚することが期待され、多くの自営業者も昔ながらの「生涯」就労者であるよう期待されている。

アメリカと非常によく似ているのは、民間セクターによる福祉が大きい点である。第4章で述べているように、民間年金の支給額は年金支出全体の23%に上っている(政府被用者年金を含めると45%になる)。同様に、医療支出の約30%が個人負担によるものである。この点では、日本はまさしく「自由主義」福祉レジームの国家群に位置づけられる。対照的に、社会民主主義、保守主義両レジームはともに民間職域福祉の比重が小さいことによって特徴づけられる。日本の民間福祉は二重構造的でもある。大企業ではほぼ普遍主義的な給付がおこなわれているが、中小企業では抑制されている。皮肉にも、大企業による福祉体制は、ヨーロッパにおけるかつての社会主義政党(「ゲットー」)モデルにかなり類似している。社会的給付サービス、住宅以外にも、大企業はレクリエーション、レジャー、地域サービスについてほとんど一揃えのものを提供している(Dore, 1973: 本書第3章参照)。忠誠心、連帯感の涵養、調和のとれた社会的統合の促進など、その根底にある動機もゲットー社会主義と似たものがある。日本では、労働力を「インサイダー」と「アウトサイダー」に区分しているものの、日本で雇用主による福祉が機能しているという点は、被用者が市場の奔放で勝手な力に翻弄されることが少ないという限りでは、アメリカの場合よりも優れていると考えていいだろう。その理由としては、一方では日本では終身雇用制がかなり制度化され、拘束力をもっていることがある。また他方では、日本のマクロ経済管理は完全雇用の維持により強くコミットしてきたことが挙げられる。

今日問題なのは、日本がもはや産業主導型成長モデルの成果を期待できないという点である。同時に日本は、ポスト工業化、大量人員余剰、さらに終身雇用慣行の漸進的な崩壊といった事態に適切に対応する方途を発見する必要に迫られている。こうした難題に対する日本の対応はアメリカとかなり異なった展開をたどりそうである。それでもやはり、アメリカで過去十年間にわたって企業別の福祉給付がどれほど劇的に衰退してきたかという点に留意する価値はある(Esping-Andersen, 1996)。


福祉ミックスと家族

最後に、福祉ミックスにおける家族の役割という。儒教の中心命題ともかかわる問題を取り上げよう。「日本特殊論」はこの点を強調するが、家族の役割という真から日本を特殊とするのは説得的であるとは言えない。この論議に立ち入る前に、論点を歴史的に再検討するのが有益である。

近代化論によれば、福祉国家は、家族や共同体が福祉供給を独占してきた伝統に対して機能的に代替するものとして出現した。都市化、産業化に伴い拡大家族が退し、そのため福祉国家が社会的保護におけるギャップを埋めていった。現在、日本はヨーロッパ北米と同様に高度に都市化、産業化されている。しかし、周知のように家族主義が依然として非常に根強く残っている。親孝行、敬老、家族に対する義務は、単なる懐古的な保守主義者のプロパガンダではない。それが現実なのである。批判的論評によれば、子どもと同居している年金生活者の多くは自発的にでではなく他の選択肢がないためにそうしているという。これはおそらく真実であろう。同様に、狭い家で暮らしている成人した子どもの多くが可能であれば独立を望むであろう。不本意な現状に甘んじているという点では、キャリアをもちたがっている高学歴の主婦の場合も同様である。

問題は、「インダストリアリズム論」の理論家が家族と福祉国家の関係を誤って解釈していたということである。前述のような日本についての描写は、基本的にはすべての先進社会に当てはまることなのである。第二次世界大戦以前の福祉国家の発展は、男性=稼得者、女性=主婦という家族モデルを前提にしていたことは明らかであるし、戦後についてすらこのことは言える。1960年代になってようやく、この仮説に疑問が向けられはじめた。そして結果的にこの点に関して社会政策の路線変更がおこなわれたのは、基本的に社会民主主義的福祉国家レジームにおいてだけであった。社会政策をめぐる二つの新展開が進んだことが、社会民主主義レジームにおけるターニングポイントとなった。その新展開とは、第一に、就学前の児童に対するデイケア、高齢者に対する老人ホーム、ホームヘルプなど、公的社会福祉サービスの包括的ネットワークの発展、第二に、キャリアと家事負担との調和を図るための女性の所得維持システムの構築(出産休暇、育児休暇、欠勤に対して寛容な制度)である。自由主義レジームもこうした考え方を共有しつつある。予想されうることであるが、自由主義レジームにおける対応は、ケアサービスの購入、労使協約に基づく休暇制など、市場をとおしての解決を促進することであった。だがいずれの場合も、結果はかなり似通っている。共働き家族が普通になり、家族の介護義務が衰退してきた。興味深いことに、こうした転換に伴って出生率が上昇した。子どもと同居している高齢者の比率は、かつてはどこの国でもかなり高かった。1950年代における各国の状況をみると、ノルウェー約44%、フィンランド55%、スウェーデン27%、イギリス40%強、アメリカ33%であった。今日では、いずれの国でも子どもと同居している高齢者の割合は僅かである(OECD, 1994、Table13)。同様に、デンマーク、スウェーデンでの就学前児童に対する公的デイケアはほぼ需要を充足している。あるいはまた別の分かりやすい指標でみると、成人した子どもで無職の場合、アメリカや北欧では彼らは親と同居せず独り暮らしをしている。

このように、福祉国家のなかには、ここ数十年間に伝統的な家族の福祉機能が消滅しはじめたものもあった。明らかに日本の場合はこれに当てはまらない。この点では、大陸ヨーロッパ、とくに南欧についても同様である。日本では儒教主義がこうした仕組みを哲学的に支えている。ヨーロッパではそれがカトリシズムと結合している。いずれの場合も、きわめてよく似た理由から福祉国家は伝統的家族主義へコミットしているのである。

ポスト工業化社会の進展、男女の学歴格差の解消、女性の経済的自立の要求増大と少子化、労働市場のサービス指向化などに伴って、家族主義的福祉国家は大きな緊張にさらされている。このような背景のもとでは、女性がキャリアに就いて勤労所得を得ていく潜在的可能性を考慮すれば、彼女らがフルタイムで育児や虚弱高齢者の介護をおこなうことの機会費用は高くなる。日本や大陸ヨーロッパのような福祉国家は、単に他の選択肢を提供しないことでこの機会費用を相殺している。このような場合、家族の対応は次の二つの方法のいずれかである。第一に、主婦が相変わらず家庭で子どもや両親のケアを続けるという方法。主婦が高学歴の場合、これは人的資本の大量浪費を意味する。第二に、それにもかかわらず女性がキャリアを追求するという方法である。しかし、家族形成にまつわるさまざまな困難が重なると、出産の時期が遅れたり、出産の機会が減少するだろう。

日本だけでなく南欧でも、明らかに後者の戦略が広まりつつある。そうでないとしたら、家族志向的でカトリック信仰の根強い文化をもつイタリア、スペイン両国が世界最低の出生率(合計特殊出生率1.25以下)を示しているという事実が説明できない。また、日本の出生率(同1.6前後)もスカンジナビア諸国や北米を確実に下回っている[訳注: 1999年度で1.34]。逆説的ではあるが、ポスト工業化秩序の下での家族主義的福祉国家が家族形成を不可能にしているのである。

日本の政策決定者が大きな懸念を抱いている高齢化の危機は出生率の危機でもある。その意味で、「儒教的」な(およびカトリック的な)家族価値を強調し続けるならば、人口統計上の問題および財政上の負担は解決されるどころか悪化することになろう。

そうであるとするなら、家族のむすびつきを支え、出生率の上昇を奨励するという意味で家族主義なレジームと、家族への依存関係を再生産しているという意味で家族主義なレジームとを区別することが大事になる。南欧と同様に、日本は後者のカテゴリーにより近い。福祉国家や労働市場が機能しなければ、家族が扶養と援助の負担を背負うことになろう。

日本では、子どもと同居する高齢者の割合は、過去数十年間に次第に低下してきた。1950年代では80%だったのが、70年代に約77%になり、現在では65%である。年金の改善に伴い、この比率はさらにいっそう低下するはずである。この動向はどこの国でも同じである。日本の場合、他の国と比較すると、同居率の低下は遅く緩やかに進行してきた。これは、確かに強い文化的伝統の所産であるが、同時に経済的要因の結果でもある。年金システムは改善されてきたが、必ずしも十分ではない。しかしながら、経済はごく順調に作動し、高齢者が相当な資産を蓄えている場合もしばしばである。日本では、若者が高齢者の世話をするという暗黙の「世代間契約」があり、高齢者は若者と共同して資源をプールしている。

こうした状況は、まさしく大陸ヨーロッパの福祉国家レジームの状況でもあるが、その理由は正反対である。ヨーロッパの場合、高失業とある程度強制的な早期退職に示されているように、主たる問題は「市場の失敗」である。対照的に、福祉国家の高齢者給付はきわめて寛容である。イタリア、スペインなどの国では、失業した若者と退職した高齢者によって家族が構成されることはごく当たり前で、高齢者は家計所得全体のかなりの割合を年金から得ている*。実際のところ、イタリアでは、過去十年間に子どもと同居している高齢者の割合が上昇している(OECD, 1994、Table13)。

南欧では桁はずれに高い若年失業率に悩まされている。利用可能なデータによれば、イタリア、スペインでは、若年失業者の約90%が変わらず両親に扶養されている。実際に、25-30歳の年齢集団の約50%が親との同居を続けている(Faping-Andersen、1996)

換言すれば、家族主義が依然として福祉ミックスにおける決定的に重要な鍵を握る要素であるという点では、日本は決してユニークではないのである。そして、家族主義が重要であるのは、「積極的な」意味 (経済的ニードと関係ない連帯感や敬意の文化)においてのみでなく「消極的な」意味(他に選択肢がないゆえのやむを得ない依存)においてでもあることが分かる。ヨーロッパの動向が示唆するように、経済的困難の時代には連帯という側面よりも依存関係という側面が顕著となる。こうした状況下においては、脆弱な福祉国家では家族主義の消極的側面が目立っていくであろう。日本での論議に見られるように、人口高齢化が差し迫った福祉国家の危機の主たる原因であると考えられるなら、当面の政策は家族の介護義務の負担軽減を目的とすべきである。これは、日本 (および大半の大陸ヨーロッパ各国)が制度化してきた特殊な福祉ミックスからの急激な変更を意味する。別の言い方をすれば、それはレジームシフトを意味している。


結論

ここに至って、われわれは最初の問題に立ち戻ることになる。日本型福祉国家をどのように理解するのか。本書のなかで提示されているレジーム類型のいずれかに日本型福祉国家を位置づけようと意図するなら、この設問に答えることはまず不可能であろう。日本型福祉国家を詳細に検討すればするほど、日本の福祉システムが、自由主義―残余主義モデルと保守主義―コーポラティズムモデル双方の主要要素を均等に組合せているということが明らかになる。そうであるとすれば、日本(そしておそらく東アジア)は、自由主義と保守主義との独特な合成型として定義される「第4のレジーム」を示しているという結論に至らざるを得ないのであろうか*。

雇用保障を重視する日本の対応の基底に「社会民主主義的」要素がある点を忘れてはならない。しかし、スウェーデンとの類似性は実際よりも表面的にすぎない。セルボーン(Therborn、1986)も指摘しているように、われわれは非常に異なった二つの完全雇概念を取り扱っているのである。日本モデルはデュアリズムの特性をもち、「インサイダー」の男性中核労働力には安定したキャリアが強調され、他方で「アウトサイダー」(特に女性)の地位は不安定である。

後者の選択肢を選んだとしても、これだけははっきり言える。すなわち、エズラ・ヴォーゲルなどの論者が強調している福祉制度のユニークさは決して日本特有のものではないということである。それは、保守主義レジームの主要な属性の重要な要素を構成している。

ここで結論を出すのをためらう基本的な理由が一つある。おそらく日本の福祉システムはまだ発展途上にあり、完成体の段階に到達していない。このような見方についてはこれを支持するようないくつかの要因がある。一つには、制度的枠組がごく最近できたばかりであるという点が挙げられる。大半の福祉国家は、19世紀末から20世紀初めにかけて、あるいは遅くとも戦前期までには制度形態を整えていた。これに対して、日本のシステムは戦後構築されたアドホックな制度である。制度の一部はドイツ的な保険主義の伝統から借用されたし(年金保険、医療)、他の部分はアメリカによる占領期に実施された(社会扶助)。また、もっぱら制度空白を埋める形で発展してきたものもある(企業福祉)。極論をすれば、文字通り日本「固有の」福祉ミックスの要素は、(南欧と共有している)強い家族主義であり、これに加えるとすればおそらくは終身雇用関係だけである。

近年構築された固有の制度として、日本型福祉国家はまだ定着していないのかもしれない。実際に、過去20年間にわたって改革と制度見直しが重ねられてきたところから判断するに、日本型福祉国家がまだより恒久的な形態に到達する以前の段階にあるのかもしれない。年金や医療制度が分立から統合へすすんだことは、コーポラティズムの弱体化を示す格好の例である。日本の社会政策を論じる者の多くが、福祉改革、福祉削減に対して強い政治的反対が起きなかったことに驚いている。こうした事態の背景は安易に従属的態度や権威主義に求められがちである。しかし、そうだとすると、環境主義など他の政策分野での激しく闘争的な抗議活動については、どのように説明するのであろうか。やはりこの点もまた、福祉システムがまだ深く根を下ろしていないこととの関連で説明できよう。日本の福祉システムは、そこの支持基盤として強力に制度化された利益集団を涵養してこなかったのである。

企業福祉と家族福祉がともに、徐々にではあるが確実に危機的状況に向かうにしたがって、日本の残余主義的福祉アプローチは強い緊張にさらされることになるだろう。終身雇用制と、それに伴う企業福祉を今後数十年間にわたって現状維持するのが困難であることは多くの兆候から窺える。同時に、日本は「ポスト工業化」の途上にあり、雇用のフレクシビリティを求める圧力も強まりつつある。伝統的な福祉介護機能の担い手としての家族の能力や意欲が衰退しているのも明らかである。近代化とは、個人主義と独立志向の精神を意味している。高学歴の女性人口は自らのキャリアを充足することを主張するようになるだろう。高齢者が十分な所得を手に入れれば、彼らはしだいに自立を望むようになるであろう。とりわけ日本の長期的な高齢化予測によれば、今後数十年間にわたって後期高齢者の規模が急上昇するという。このことは、介護負担が深刻となり、大半の標準的な勤労者家族の能力を超えるようになることを意味する。

日本の福祉システムが依然として可塑的で、形が定まらない状態にあるというのは、むしろ幸いとも思える。企業福祉や家族福祉が厳しい状況に置かれているとするなら、福祉国家が残余主義を放棄せざるを得なくなるのも間違いなかろう。たださまざまな負の効果を伴うアメリカ流の対応を日本が見習わないならば、であるが。日本型福祉国家の定義にかんする最終的な判定にはもうしばらく猶予が必要であるというのが、現在のところ可能な唯一の結論である。



はしがき

そうは見えないかもしれないが、この本は文字通り山のようなデータと何年にもわたる際限のない統計処理に依拠して書かれた。過去8年の間に構築された三つの大きなデータベースが使われた。福祉国家プログラムの制度的特性の分析についてこの私の分析は、1981年にスウェーデン社会調査研究所でウォルター・コルピと私が開始した比較福祉国家研究のプロジェクトからのデータに依っている。ヨアキム・バルメは、データを収集し、整理し、そして分析するのにたいへんな貢献をしてくれた。さらに私は、調査を資金面で支援されたスウェーデン銀行ターセンテニアリー基金、スウェーデン社会調査機構にも感謝をしなければならない。以下の諸章でのいくつかの統計は、こうして構築されたデータを基礎に作成されたものである。これらのデータはリファレンスとして「SSIBデータファイル」(Svensk Socialpolitik International Belysning=国際視点からのスウェーデン社会政策)という名称を使っている

福祉国家と労働市場の相互作用についての分析の多くは、我々のWEEP (Welfare State Entry and Exit Project)データベースに依拠している。このデータの場合は、読者は一連の統計のリファレンスが「WEEPデータファイル」となっているのを確認するであろう。このプロジェクトは国際的な性格のもの (10か国を25年間にわたって調査)で、1985年に、スカンジナビアからはジョン・エイヴィンド・コルベリ、そしてベルリン科学センターからリー・ラインウォーター、マーティン・レインそして私が音頭をとって開始された。このデータベースの基礎となったソースをすべて挙げようとしたら、まるまる一章が必要となろう。しかし、主要に依拠したのは、各国の労働力統計とセンサスデータである。WEEPデータは、カーレ・ハーゲン、トム・キューサック、そしてフリーダー・ナッショルトの協力なくしてはまとめることはできなかったろう。また調査の費用について北欧理事会およびベルリン科学センターに負っており、謝意を表したい。

第三のデータセットは、ここフローレンスのヨーロッパ大学機構において、ジアンナ・ジアネリとジョイス・リースの助けを得て構築されたものである。費用面では、ヨーロッパ大学機構の調査協議会から暖かい支援を得ることができた。このデータベースは、ヨーロッパおよびアメリカの雇用構造とその変容に関する時系列的かつクロスナショナルなデータを集めている。ここで主に依拠したのは、各国のセンサスデータからの一次統計であり、また各国の統計機関から直接供与された公刊データである。このデータを本書の表に掲げる際は、その基礎となったデータ直接示した。我々はしばしば最初にデータを供与してくれた人々のことを忘れがちであるが、このことは礼を失することである。我々は彼らの仕事に強く依拠しているのであり、彼らは、彼ら自身にとっては無意味に見えるかもしれない要求に応えるために大きな労力を払うのである。

データセットを構築するにあたって、私たちは過去8年間にわたって各国の数え切れないほどの政府省庁や統計局にアプローチをした。このこと自体が他の人々に報告しうる貴重な調査経験であった。もし私に国際的なランキングをつける特権を与えられたなら、統計についてもアメリカは他に抜きんでてナンバーワンを占めていると思う。アメリカ労働省、人口統計局、社会保障局は、そのデータの量、質そしてデータ利用にあたっての親切さと寛容さにおいて私が知る限り他のいかなる国の追随も許さない。やや距離をおいて、スウェーデン、ノルウェー、イギリスがランキングに続く。デンマークとイタリアは親切であるが、統計システムが二級であるという問題を抱えていた。社会保障と労働力についてのデータをめぐる私の経験では、ドイツ(そこでは、何らかのデータを得ることがきわめて難しい)とオランダ(そこでは、いちいち金を払わなければならない)が最低ランクになる。スイスでは、主要なデータソースとなったのは、銀行と保険会社であった。

本書の内容は、たぶんマーティン・レインが私に社会政策が並外れてエキサイテイングな研究対象たりうると説いたことに端を発している。この本を生みだしたアイデアの半分は、マーティン・レインとリー・ラインウォーターとともに仕事ができたという私の幸運から来ている。そして後の半分は、ウォルター・コルビジョジ・エイヴィンド・コルベリ、そしてジョン・マイルスとの仕事から来ている。実際のところ、この5人が共同してこの本のよりよいバージョンを執筆することもできたかもしれない。注意深い読者であれば、本書のとくに第6章と第8章にマーテイン・レインの影をみることは間違いない。また第4章にはジョン・マイルスを、そして第6章にはジョン・エイヴィンド・コルベリを見ることであろう。

以下、本書の執筆途上において私を助けてくれた他の多くの人々をすべてリストにするならば、それらの人々がほんとうはいかに重要であったかを伝えきれない。「彼らには、後日、直接に感謝の言葉を伝えたいと思う。

本書の第1章は、最初にCanadian Reviete of Sociology and Anthropology (Spring.1989)に発表された論文に手を加えたものである。同様に、第7章は、H. Keman, H. Paloheimo, and P. F. Whiteley (eds.), Coping With The Crisis (London: Sage Publications, 1987)に最初発表したものを修正したものである。本書にこの両稿を収めることを快諾された両出版社に深く感謝したい。

( 岡沢 憲芙 )



ここ何年もの間、福祉国家が好んで論じられ、研究されてきた。60年代から70年代にかけて、ほとんどの国で福祉国家はすばらしい速度で拡大したことを考えると、これは驚くに値しない。かつて国家は、夜警国家であり、法と秩序の守り手であり、軍事国家であり、さらには全体主義的秩序を代表する抑圧的機関でさえあった。ここうした国家が、今日では主要には社会的福祉(well-being)を生産し分配する制度となっている。したがって福祉国家を研究するということは、資本主義社会の歴史この新しい現象を理解するための手段とも言えるのである。

一連の資本主義的民主主義体制を見たとき、福祉にどれほど重きを置くかは明らかにそれぞれの国で大きく異なっている。たとえ国家による支出や対人サービスの大部分が福祉目的であるという点では同じでも、供給されている福祉の質という点では相違がある。また、福祉、法と秩序、企業収益の拡大や貿易の推進といった一連の国家活動にどのような優先順位をつけるかという点でも違いがあろう。

福祉国家という原理が登場してくるに際しては、それぞれの国家の歴史的特質が決定的な役割を演じてきた。ギデンズ(Giddens、1985)はその近著において、福祉国家を生んだ要因として戦争に焦点を当てている。この戦争というファクターは、福祉国家の起源を論じた数多くの文献のなかでもほとんど無視されてきたものであった。本書でも、戦争という要因をめぐる議論は直接には取り扱われてはいない。しかし、我々が福祉国家の起源にかかわって絶対主義的あるいは権威主義的支配の相対的強度が重要であったと論じる時、実はこの戦争起源説を間接的に支持しているのである。ただし本書において基軸となる仮説は、戦争起源説ではなく、諸階級が政治的にいかなる連合を形成したかというその歴史的展開こそが福祉国家のバリエーションをうみだした最も決定的な要因であったというものである。

福祉国家が研究されるにあたっては、それを狭く定義するアプローチと広く定義するアプローチとがあった。福祉国家に関してより限定的な視点をとる論者は、所得移転、社会サービスを中心に論じ、おそらくは住宅問題にも多少の言及を加えるというのが一般的であった。つまり、社会的改良、融和をすすめる伝統的な領域を担うものとして福祉国家を理解したのである。これに対して、より広義の視点からは、問題は政治経済全般にかかわるものとされた。すなわち、そこでの関心は、経済を組織化し管理する国家のより広範な役割に向けられたのである。したがってこ広義の視点からは、雇用問題、賃金、そしてマクロ経済統制全般が福祉国家という複合体の不可欠の構成要素とみなされた。この意味で、このアプローチにとってその主題は、「ケインズ主義的福祉国家」あるいはこう言ってよければ「福祉資本主義」に見出されたのである。

本書においては、我々はこの広義のアプローチを採る。広義のアプローチを採る都合上、我々は政治経済学がその古典において、また今日、どのような議論を展開しているか、そこから議論を始める。また、本書の後半3分の1が雇用とマクロ経済統制全般の問題に充てられているのも本書が広義のアプローチを採る故にである。さらに言えば、我々が好んで「福祉資本主義」や「福祉国家レジーム」という言葉を用いるのもそのためである。

「福祉国家レジーム」というのは、ある意味で、この本の要となる概念である。その理由はいくつかある。第一に、一般的に用いられている福祉国家という概念は、伝統的な社会改良政策を指し狭きにすぎる。第二に、今日の先進諸国がクラスター化されるとすればその分岐点は、伝統的な意味での社会福祉政策がどのように形づくられたかという点のみならず、国家が雇用や社会構造全般にいかに影響を及ぼしているかという点に求められるからである。本書が明らかにするであろうことはまさにそのことである。「レジーム」について語ることは、国家と経済の間には法的組織的な関係が体系的に張りめぐらされている、ということを指し示すことに他ならない。

広義のアプローチを採るということは一つのトレードオフに直面することである。我々の目標が問題を俯瞰することにある以上、様々な社会プログラムのディテールの考察に集中するわけにはいかない。たとえば我々が年金を研究する場合、我々の関心は年金それ自体にあるのではない。年金制度を研究することで、様々な国家において公的部門と民間部門がそれぞれ独自の混合形態をとるにいたったその経緯が浮き彫りになるのであり、その限りにおいて我々は年金制度を研究するのである。このことに関連するトレードオフは、本書におけるような広範囲にわたる比較をすある場合、それぞれの国について立ち入った検討をおこなうことはどうしても無理になる、という点である。本書が扱う18か国のいずれについてであれ通じた読者は、当該国についての私の扱いが、まったく不適切ではないにしても、表面的なものであると感じるにちがいない。残念なことだが、このことは、広範な比較研究をおこなう際の代価なのである。著者個人の知識上の制約と出版社から与えられた紙幅の制約を考えれば、この点はやむを得ないのである。

本書を執筆するにあたって、著者は二つの点について確信を持っていた。第一に、福祉国家についての既存の理論モデルは不適切なものであるということである。ここで著者が企てたことは、福祉国家に関して重要であると思われる基本的事柄にその再概念化、再理論化を図ることであった。社会的プログラムが存在するということそれ自体や、あるいはそのプログラムに費やされた費用の大きさというのは、そのプログラムが引き起こした効果に比べればさほど重要ではないのかもしれない。ここでは多くのページを割いて、脱商品化、社会的階層化、そして雇用の問題が福祉国家の本質を解く鍵になるということを論じようと思う。第二の確信は次のようなものであった。すなわち、経験的な比較研究をとおしてのみ、現代福国家を相互にむすびつけたり、あるいは区別する諸特性のうち根本的なものを正しく発見することができる、ということである。社会科学にとっての遠い夢は、社会の運動法則を定式化することである。その定式の依って立つ論理が、資本主義、産業主義、近代化、あるいは国民国家形成、そのいずれであろうが、こうした法則というものは、ほとんど常に、相互に似通った収斂論的な発展経路を描き出す。そして、明らかにこうした法則に逸脱ケースは存在しないと考えるのである。

ここでの比較論的アプローチは、福祉国家というものは一つではないことを明らかにしようとする(そして実際それは明らかにされよう)。事実、この研究では三つの大きく異なったレジームの類型を提示した。それぞれの類型は、その組織編成、階層化、社会統合に関して独自の原理に乗っ取って組織されているのである。それぞれの類型はその起源を異なった歴史的勢力に負っており、質的に異なった軌跡を通って発展してきた。

最初の章において我々が目指したのは、福祉国家についての論争を政治経済学の知的伝統と再統合することである。こうした試みをとおして、関連する主要な理論問題により明瞭に焦点をあわせることができる。我々はこうして、諸福祉国家の特質を明らかにするうえで好都合な視座を得ることができるであろう。福祉国家をその財政支出という観点から概念化しようとする従来のやり方はもはや有効ではあるまい。ある意味で、我々の究極の目的は、福祉国家の研究を「社会学」化することである。ほとんどの福祉国家研究は、その直線的発展の世界を想定してきた。すなわち、権力の多寡、産業化の程度、あるいは支出の大小で福祉国家が直線的に配置されるのである。本書における我々の理解にしたがえば、福祉国家は我々が保守主義、自由主義、そして社会民主主義と名づける三つの異なったレジーム類型にクラスター化される。福祉国家がこうしたかたちで結晶化され、発展していくその経路というものは、単純な分析によっては決して明らかにはならない。

第2、3、4章においては、我々は福祉国家の固有の諸特性と思われるものを概念的に捉え直すことを試みる。これまで常に社会政策のエッセンスと見なされてきたのは、社会権の拡大であった。カール・ポランニーの議論に触発されて、我々は社会権をその「脱商品化」能力という観点から検討することを選んだ。社会権がどれだけ人々をして純粋な市場関係に依拠することなく一定水準の生活を形成することを可能としているのか、その程度こそが社会権を評価する指標として有益なものである。社会権が、市民の「商品」としての地位を緩和するとされるのはこのような意味においてである。

社会的階層化は、福祉国家を理解する際の眼目とも言える。社会政策は、階層化に歯止めをかけると考えられてきたが、他方では社会政策は階層化を押し進めもするのである。福祉国家は平等を生み出すと一貫して考えられてきた。しかし、平等というイメージは常に曖昧なままであった。ある種の分析では、社会給付は不平等を解消するのがあたりまえであるかのように論じられてきた。他の分析では、貧困の撲滅や所得の全体的な分配に焦点が当てられてきた。福祉国家はそれ自体が階層化のシステムなのであるが、その問題は現実には無視されてきたのである。福祉国家は、既存の地位、あるいは階級上の格差を拡大するのであろうか、縮小するのであろうか。福祉国家がつくりだすのは、二重構造(dualism)、個人主義あるいは広範な社会的連帯のいずれであろうか。こうした諸問題が第3章で取り扱われる。

社会権も社会的階層化のいずれも、分配システムにおける国家と市場の関係によって形成される。社会民主主義者にとって、福祉の基本的手段を得るのに市場に依するというのは問題である。なぜなら、市場は譲渡不能な権利というものを供給することができないし、また市場は公正さという点で欠陥があるからである。レッセフェール型自由主義者にとっては、福祉国家へ依存することは危険である。なぜなら福祉国家は、自由と効率性を浸食するからである。第4章において我々は、年金ミックスの具体的形成がいかに公的部門と民間部門の相互作用の帰結であったか複数の異なった福祉国家レジームについて検討する。ここで問題は二重である。第一に、我々は福祉国家の活動を民間部門との関係で位置づけないかぎり、福祉国家を概念的に把握することができない。第二に、市場か福祉国家かいずれかのみに福祉を発展させる力が備わっている、と考えるのは神話にすぎない。そうではなくて、市場というのはしばしば政治的に形成され、福祉国家レジーム全体にとってその不可欠の部分を構成するのである。

本書の第Ⅰ部は、福祉国家比較の諸次元を明らかにし、先進的な資本主義的民主主義諸国が三つの異なったレジームにクラスター化されることを示す。これに対して第Ⅱ部は、その結果がいかなるものとなるかを検討する。我々は、なぜある福祉国家はある属性に関して他の福祉国家に比べてスコアが高かったり低かったりするのか、その理由の検討に終始するわけにはいかない。我々は、世界はなぜ三つの質的に異なった福祉国家原理によって構成されているのか、その点を説明しなければならない。第5章において、福祉国家の形成にあたって政治勢力が果たした役割の相対的重要度を明らかにするために、標準比較相関分析のアプローチを採る。今日支配的な学問的コンセンサスとも合致して、政治は重要な役割を果たしたという、それも決定的に重要であったという結論が引き出されよう。しかしながら、本書が他のほとんどの研究と明確な対照をなすのは、ここで問題となるのは必ずしも労働
者階級の政治的動員だけではない、という点においてである。いくつかのレジームにとっては、労働者階級の果たした役割は周辺的なものであった。こうしたレジームについては、福祉国家の発展は、労働運動ではなく、国家主導の国民形成史が生みだしたもの、あるいは保守主義やカトリックの影響によるものと理解するべきなのである。我々は諸国民国家の政治史に内在した説明を試みた。

本書の第Ⅱ部は、研究主題のフィールドを一挙に拡げている。ここでは研究の焦点は、何が福祉国家を生みだしたか、という点よりも、福祉国家が経済に及ぼす影響はどのようなものかという点にある。我々は、福祉国家と雇用の相互作用のうち、とくに三つの側面について検討する。まず初めに、第6章において、なぜ労働市場の構造は福祉国家レジームと密接にむすびついているのか、その理由について議論を展開する。我々はここで、福祉国家と労働市場は驚くほど一体化しており、労働市場における行動特性は、国ごとに福祉国家がどのように形成されているかによって異なっていることを明らかにする。
第7章と第8章においては、福祉国家がいかに雇用に影響を及ぼすかについて我々の三つのレジーム類型からそれぞれ代表的な国を選び出し、立ち入った検討を加える。第7章においては、焦点は完全雇用を維持する各国のキャパシティに当てられる。第8章においては、ポスト工業化による雇用構造の変容に焦点が移る。第7章では、福祉国家が、完全雇用を実現しようとする際に現れるディレンマや緊張関係を制御する鍵的制度となっていることが分析される。また第8章においては、ポスト工業化段階における雇用構造に関して、各国に遍く当てはまる単一の変化の方向といったものがあると考えるのは誤りであると論じる。我々は、三つの質的に異なった軌跡を見出す。この三つの軌跡は、それぞれの福祉国家がいかに構造化されているかによってその動態を異にするのである。我々の結論というのは、それぞれの軌跡がその固有の階層化のあり方社会的帰結を生み出す、そしてそれゆえにまったく異なった社会的コンフリクトのシナリオにむすびつく、というものである。 本書は、したがって、福祉国家を戦後資本主義における異なったモデルを形成し てきた基軸的制度と見なす。「福祉資本主義の三つの世界』 (The Three Worlds of Welfare Capitalism) という本書のタイトルが選ばれたのは、まさにそのためであ る。

( 宮本 太郎 )



訳者解説

Gésta Esping-Andersen について

本書は、 Gésta Esping-Andersen, The Three Worlds of Welfare Capitalism、 Poll ity Press、 1990 の全訳である。 本書を手にした読者の多くは、この本が今日の社会科学にとってどれだけエポックメーキングな著作であるか、 すでにご承知かもしれ ない。この本の主題をあえて挙げれば比較福祉国家研究ということになろうが、それに留まらず、本書は、 労使関係論、 福祉政策論、 比較政治 (経済)学はもとよりジェンダー研究、 非営利福祉研究、 シティズンシップ論等の分野でも様々なかたち で論及されてきた。 近年の社会科学において、これほど広範囲に影響を及ぼし、議論の俎上にのせられ、 その継承と発展が図られてきた著作も珍しいのではないか。

本書に目をとおされた読者であれば、その理由を推測することは難しくないであろう。 細密でありながらダイナミックな歴史的分析、 事例分析をクロスナショナルな計量分析とむすびつける瞠目するべき力量、 そして福祉国家体制の展開をめぐって三つの軌跡を明らかにしたその叙述の鮮やかさ。 本書が投げかける理論的(あるいは政治的) インプリケーションはかぎりなく豊かである。 本書が福祉国家研究における一つのパラダイムを確立したものであることは疑いを容れないし、さらには 20世紀終盤の社会科学における一つのマイルストーンとなったといっても過言ではないであろう。

著者イエスタ・エスピン・アンデルセンは、 1947年生まれのデンマーク国籍である。この著者の名前をいかにカタカナ表記するかは、ちょっとした議論の種になり かねない。 デンマーク語に忠実に発音すればエスピン・アナセンとなろうし、英語的にはエスピン・アンダーセンとでもするべきであろう。ここでの表記は比較的浸透していると思われるものに従っている。

著者は、 コペンハーゲン大学を卒業後、アメリカのウィスコンシン大学で学位をとり (1978)、 ハーバード大学 (1978-86) 、イタリアのヨーロピアン大学 1986-93) 、トレノ大学 (1993-2000) で教歴を重ねた後、現在はスペインのポンベウ・ファブプラ大学教授の地位にある。

単著、編著、論文はきわめて多いが、彼がその研究キャリアをスタートさせたのは、労働運動、 社会民主主義、 福祉国家についての歴史的研究であった。 学位取得論文でもあるSocial Class, Social Democracy and State Policy,  Nyt Fra Samfundsvidenskaberne, 1980 は、 デンマークおよびスウェーデンの社会民主主義戦略につ いての比較政治史的研究で、さらにその後この研究をふまえて、ノルウェーを分析対象に加えて展開した Politics against Markets, Princeton University Press, 1985 公刊した。こうした歴史的研究でのエスピンアンデルセンの関心は、北欧社会民主主義における普遍主義的福祉国家の形成と展開を比較論的に跡づけることにあった。

その一方で筆者は、後述するように、 ストックホルム大学のW. コルビとの共同研究などをとおして、福祉国家の形成要因とその発展をめぐる研究と論争にもかかわり、そのなかでクロスナショナルな比較分析を進めていた。 この系譜に連なる重要な研究としては、コルビとの共著である “Social Policy as Class Politics in Postwar Capitalism," J. Goldthorpe (ed.),  Order and Conflict in Contemporary Capitalism, Clarendon Press, 1984 や "Power and Distributional Regimes" Politics & Society, Vol. 14, 1985 等がある。 そこではエスピン・アンデルセンは、先進諸国全般に比較の対象を拡げつつ、 福祉国家の類型モデルについての考察を進めて

本書は、エスピンアンデルセンのこうした二つの研究系譜をいわば交差させ 括したものであったと位置づけることができよう。 そして後述するように、本書の主題のうち諸福祉国家モデルをめぐる環境変容から生まれるダイナミクスの問題は、 この後、編著、 Walfare State in Transition: National Adaptations in Global Econo- mies, SAGE Publications, 1996 や Social Foundations of Post Industrial Economies, Oxford University Press, 1999 (渡辺雅男・ 渡辺景子訳『ポスト工業経済の社会的基礎』桜井書店、 2000年)においてより立ち入って論じられていく。 さらに、 M. レジーニとの共編著 Why Deregulate Labour Markets?, Oxford University Press, 2000 ではこの問題がとりわけ労働市場政策の有効性という観点から論じられる。



福祉国家研究への本書のインパクト

さて、著者は本書によって福祉国家研究のいかなる状況に切り込もうとしたのであろうか。 その意図は、本書のなかでも繰り返されている福祉国家の発展をめぐる単線的なアプローチへの批判に見て取れる。 本書の性格と意義を理解するためにも、 次にこの点について簡単に整理しておきたい。

本書が登場した段階の福祉国家研究は、福祉国家の発展の背景についてその政治的要因を強調する議論が台頭していた。 この政治的要因論は、それまでの福祉国家研究の主流が経済水準や人口構造などの社会経済的要因にその発展の背景を求め、したがって近代化の進展に従って各国の政治体制がほぼ均質な福祉国家に収斂していくという展望を示していたのに対して、労働運動のパワーなどの政治的要因によって福祉国家の発展水準が大きく異なっていくと主張した。政治的要因論の台頭は、新保守主義的政権の出現など「収斂の終焉」(ゴールドソープ)とも言われた現実の政治経済体制の変化ともなっており、やがて政治的因説は研究の新通説ともいうべき立場を固めていく。

ところがこの政治的要因説の内部でまた新たな論争が起こりつつあった。一口に政治的要因といっても、論者が着目する要因は決して一様ではなかった。たとえば、J. スティーブンズは社会民主主義政党の閣僚ポストや国会議席の占有率を、M. シミットは議会外の労働運動の組織率を、T. スコチボルらは国家の制度と官僚のイニシアティブを、80年代に入ってからのH. ウィレンスキーはカトリック政党の影響力を、D.キャメロンは経済の開放度に注目した(Stephens、1979; Schmidt、1982; Orloff and Skocpol、1984; Wilensky、1982; Cameron、1978)。

このような新たな争点が生まれたにもかかわらず一連の政治的要因論は、ある特定の政治的要因を福祉国家の発展を促す変数として想定し、その変数と福祉国家の発展とのリニアな相関を捉えようとしたという点で共通していた。またその限りにおいては、社会経済要因説のアプローチとも一致していたのである。

これに対してエスピン・アンデルセンは、基本的には政治的要因論の重要性を認めつつも、福祉国家の発展についてのこの単線論的なアプローチそのものに異議をえる。エスピン・アンデルセンによれば、これまでの福祉国家研究は、説明変数としての福祉国家が(その理論的考察を欠くゆえに)社会保障支出に還元される傾向があり、そもそも福祉国家とは何かという点があまりに看過されてきたところが、権力構造のあり方の多様性が生みだした福祉国家の国度と発展パターンの多様性を考えると、福祉国家は一つとは言えない、というのがエスピン・アンデルセンの主張である。仮に労働運動の勢力を独立変数とするにしても。それがいかなる権力構造によって媒介されどのような制度に結実するかで異なった福祉国家レジームを生みだすのである。したがって問題とされるべきは、複数の独立変数と複数の被説明変数との複線的な関係なのである。そして、このような視点から分析するならば、上述のような複数の政治的要因の影響力をめぐる論争点は、かなりの程度整理が進むのである。

それでは、福祉国家発展の単線的アプローチからの脱却という課題に。本書はどのように挑むのであろうか。

ます。本書の第Ⅰ部では、各国の労働運動、社会民主主義、福祉政策についての該博(がいはく)な知識のうえに、社会民主主義レジーム、保守主義レジーム、自由主義レジームの三つの福祉国家レジーム類型の提示が試みられる。福祉国家レジームを析出するエスピン・アンデルセンの手法は周到なものである。第1章での予備的考察を受け、第2章では脱商品化、第3章では階層化というそれぞれの契機から三つのレジームがクラスター化されていることを確認したうえで、第4章では年金制度という特定の制度領域に限定してさらに三つのレジームを対照させている。そして、ここまでの考察がポランニーを思わせる歴史的なアプローチであるのに対して、第5章では計量分析によって三つのレジームとそれを主導した政治的要因との対応関係を検証する。

その上で本書の第Ⅱ部は、各々の福祉国家レジームがそれに対応した独自の雇用レジームを生みだすことを明らかにする。しばしば誤解されていることであるが、福祉国家レジーム論は、(最盛期を過ぎた)福祉国家についての静態的な分類論なのではない。この第Ⅱ部においてエスピン・アンデルセンは、福祉国家レジーム論を脱工業化に伴う環境変容の問題とクロスさせて、動態的な考察へと展開しているのである。第Ⅱ部の第6章、第7章では、三つの福祉国家レジームに対応する雇用レジームがいかに形成されたかを、戦後資本主義の展開とそれに対応した各国の制度と戦略にも目を配りながら明らかにする。そして、第8章、第9章では、それぞれの雇用レジームがポスト工業化という新しい経済環境のもとでどのような対応力を有しどのような紛争要因をかかえているかを明らかにしていく。エスピン・アンデルセンはその後、この諸レジームと環境変容の交差がもたらすダイナミクスという問題をその研究の主題としてより重視していくが、この点については後述しよう。



批判と応答

さて、本書はエスピン・アンデルセンの名を世界的に知らしめ、各分野において広範な影響を及ぼすと同時に、他方においてはいくつかの重要な批判を引き起こしした。ここではそれを、フェミニストの観点からの批判、レジーム類型そのものに対する批判、ポスト・フォーディズム段階での類型の適用可能性をめぐる批判、非営利福祉研究からの批判の4点にまとめたうえで、エスピンアンデルセンからのレスポンスをふくめて整理をしておきたい。


①フェミニストからの批判

本書に代表される権力資源論的なアプローチと並んで、フェミニストのアプローチが台頭し、90年代の福祉国家論の興隆を支えた。フェミニストは、エスピン・アンデルセンの議論に対して、 福祉国家レジーム分析の指標としての脱商品化概念を批判した。 オコナーによれば、

「脱商品化の概念は、人口統計上のすべての集団が等しく商品化されているわけではないこと、そしてこのこと自体がおそらくは不平等の一つの要因であることを考慮していない」

(O'connor、 1993 p.513)

のである。脱商品化はすでに商品化された男性労働者にとってこそ積極的な意味をもつが、 制度的な障壁によって労働市場への進出が阻まれていた女性にとっては、むしろ商品化こそが当面の目標であるといってもよいのである。 したがってオロフは、エスピン・アンデルセンの指標に、 「ペイドワークへの接近」 「自律的な家計を形成し維持するキャパシティ」 という二つの指標を加えることで、福祉国家への視角をより包括的なものとしていくことを主張する (Orloff、 1993 pp. 318-322)。 さらにルイスは、 福祉国家と家族との関係に焦点を当てて、 家父長制家族を前提とするイギリスなどの「男性稼得者型国家 (Strong Male-Breadwinner States)」、 女性が家族役割を 行するかぎりにおいてこれを政策的に支援するフランスなどの「修正男性稼得者型国家 (Modified Male-Breadwinner Countries)」、 女性の自律を支援するスウェーデンなどの 「弱男性稼得者型国家 (Weak Male-Bread Winner Countries)」 とい う独自の類型を提示している (Lewis、 1992)

エスピン・アンデルセンが女性と家族の問題を軽視したとするならば、それはやや酷である。 なぜならば、本書の、 少なくとも第8章においては、 福祉国家レジー ムごとの女性の就労環境の相違について丹念な議論が展開されているからである。 しかし、福祉国家レジームの分析が所得維持政策にほぼ限定されており社会サービスの供給体制が扱われていないせいもあり、福祉国家レジームそのもののジェン ダーバイアスという視角が弱かったことは否定できない。 そして、ある意味でエスピン・アンデルセンが最も真剣に受け止めたのが、このフェミニストからの批判で あった。

エスピン・アンデルセンは、本書のレジーム概念が、政府、 市場、 家族の相互関係を捉えることを意図しながらも、福祉国家と家族の関係についての立ち入った分析が欠如していたことを認める (Esping-Andersen、 1999、 p. 12) 。家族あるいは家計は、 今日の福祉国家に構造的に組み込まれているばかりか、そこで両性間のいかなる分業関係が選択されるかで、逆に福祉国家のあり方に大きな変化が生まれるのであり、 その意味ではきわめて能動的なアクターでもある。

エスピン・アンデルセンは、福祉国家レジームと家族の関係を捉えるために、脱商品化とならんで、新たに「脱家族主義化」という指標を設定する (Eaping-Andersen、 1999、p. 45)。 脱家族主義化とは、当該社会における家族の衰退を測る指標ではない。ある意味では逆であって、福祉国家の政策展開によって諸個人の家族への依存がどこまで軽減されているかを測るものであり、しばしば高い出生率を結果することからも分かるように、家族機能の実質的な活性化にすらむすびつくものである。それでは、この脱家族主義化指標の導入によって、本書のレジーム類型論は修正されるのであろうか。エスピン・アンデルセンはこの点について、脱家族主義化指標を導入しての検定をおこない、家族主義がとくに濃厚なイタリア、スペイン、ポルトガル、日本などと、ドイツ、フランスなどその他の保守主義レジームを別働のレジームとするほど有意な相違は認められないという結論を得て、本書のレジーム類型そのものに修正を加える必要はないとしている。しかしその一方で、エスピン・アンデルセンは家族の問題を福祉国家レジームの将来を決定する基本問題として据えなおしたことは強調してよい。いかなるレジームであろうと、男性稼得者の長期雇用を所与としてリスク構造に対応する制度と政策から脱却しないかぎりは未来はないのである。


②レジーム類型をめぐる批判

本書が引き起こした議論のうち次に取り上げるのは、本書の核心ともいうべきレジーム類型そのものへの批判である。上述のフェミニストからの批判もレジーム類型の見直しを求めるものが含まれていたが、より体系的に、レジーム類型論そのものについて批判をおこなった議論に、F.キャッスルズとD.ミッチェルによるものがある。

キャッスルズとミッチェルによる批判のポイントは、エスピン・アンデルセンが、イギリスやオーストラリア、ニュージーランドのように労働運動が強力である(あるいは、強力であった)が、その戦略のあり方から福祉国家形成にブレーキがかかった国と、アメリカ、カナダのようにもともと自由主義イデオロギーが徹底していた国とを区別していない、というものである。

オーストラリアやニュージーランドの労働運動は、ミーンズテストの導入によって中高所得層を給付の対象から排除しようとした。そのことによって、平等主義を徹底させようとしたのであり、つまり自由主義イデオロギーとは異なった文脈でミーンズテストが重視されたのである。同時に、両国の労働運動は、福祉国家の形成による社会的賃金の増大よりも雇用の安定と賃金の上昇を重視したため、両国は「賞金稼得者の福祉国家」という性格を強めた(Castles and Mitchell、1992、pp.6-13)。また、イギリスの労働運動は、社会主義を国有化に還元し、職場での抵抗闘争に通点を置く戦略的伝統を長い間払拭できなかった。そのために、自由主義勢力の定礎した福祉国家を新たな高みに引き上げることができなかった。つまり、キャッスルズとミッチェルによれば、こうした諸国は労働運動の「急進主義」ゆえに福祉国家の発展に制約がかかったという性格を共有するのであり、その意味でエスピン・アンデルセンの三類型では揺れない福祉資本主義の「第四の世界」なのである

また、他ならぬ日本、あるいは東アジア諸国の福祉国家がどこまでこのレジーム類型で説明しうるかも問題とされてきた。日本は、階層化指標からすれば保守主義モデル、脱商品化指標からすれば自由主義モデルに近く、しかも雇用のパフォーマンスという点では社会民主主義レジームに近い特徴ももっていた(本書「日本語版への序文」参照)

こうした問題点に対しても、エスピン・アンデルセンは積極的に、しかしながら本書の枠組みを崩すことなく対応している。エスピン・アンデルセンの立場は、要するにこうしたケースはいずれか二つのレジーム類型の中間形態(南欧のケースは保守主義レジームのなかのバリエーション)として説明しうるというものである(Esping-Andersen、1999、pp.86-94)

こうした中間形態を生みだしたのは、福祉国家を主導する政治勢力のヘゲモニーの交代あるいは均衡である。当初、大きな影響力をもっていたオーストラリアやニュージーランドの労働運動は、その戦略上の問題もあって、とくに80年代以降は自由主義勢力にヘゲモニーを譲り渡し、さらには失業と賃金格差の増大によって「質金稼得者の福祉国家」という性格すら失っていく。イギリスについても、戦後直後の比較であれば社会民主主義レジームに近い位置づけになったであろうとエスピン・アデルセンは述べる。しかし、本書の叙述にもあるように、イギリスにおいしても戦後の政治過程をとおしてヘゲモニーの転換が生じた。そして結局のところ、これらの国々は労働運動の影響力の刻印を残しつつも自由主義レジームの特性を強めることになったのである。

エスピン・アンデルセンは、さらに日本についても、保守主義レジームと自由主義レジームの性格を併せもつものとして、すなわち中間形態のバリエーションとして位置づけていこうとしている(本書「日本語版への序文」およびEsping-Andersen、1999)。日本の政治経済レジームの背後に、保守主義と自由主義のユニークな連合があったことはペンベルの近著などでも強調されていることであり、おそらくはここに日本型福祉国家の特質を説明していく一つの鍵があることは間違いあるまい(Pempel、1998. p、97)。ただし最近のエスピン・アンデルセンは、日本を保守主義と自由主義レジームの中間形態とする立場を推持しつつも、保守主義の比重の高さを強調する傾向にある(Esping-Andersen、1999、p.92)。これは彼のレジーム論のなかで指標としての家族主義―脱家族主義がより強調されてきたことと対応していよう。もちろん他方において、基本的には欧米諸国の経験に基づくエスピン・アンデルセンの福祉国家レジーム論がそのまま日本や東アジアの福祉国家の発展を説明する上で最適の枠組かという点は問題が残る。だが、この点についてはここでこれ以上立ち入るべきではなかろう。


③福祉国家の環境変容にかんする批判

本書で展開された福祉国家レジーム論について、たんに静態的な福祉国家の分類論であるとの誤解がある。そこまで極端でなくとも、福祉国家レジーム論が福祉国家をめぐる環境変容やそこから生じる福祉国家の危機に対して十分な射程を持たないという指摘も散見される。たとえばA.グールドは、スウェーデン、イギリス、日本の福祉国家の変容を比較しつつ、ポスト・フォーディズム的な社会変容が進行するなかで、スウェーデンのような社会民主主義レジームを含めて脱商品化の流れは逆転し、「再商品化」が進み、その限りで福祉国家の「ジャバナイゼーション」が進展すると言う(Gould、1993: p. 233)

本書を一読された読者には、本書が静態的な福祉国家の分類論であるというのは的外れであることは明らかであろう。すでに触れたように、本書は第Ⅰ部で抽出しまた三つの福祉国家レジームがそれぞれどのような雇用レジームを生み出すかを第Ⅱ部で考察し、その上でそれぞれの雇用レジームがポスト工業化段階でいかなる対応力を示すかを分析の焦点としているからである。
さらに本書の後のエスピン・アンデルセンの議論は、この新しい環境のもとでの福祉国家の可能性という問題を軸に展開しているといって差し支えない。すなわち、編著Walfare States in Transition(1996)では、脱工業化およびグローバリゼーションのもとでの三つの福祉国家レジームの動向が分析される。ここでは、三つのレジームが、その制度的特性から、グローバリゼーションに対して異なった戦略で対応していることが指摘される。とくに社会民主主義レジームの可能性やその可能性を引き出す戦略(「社会的投資戦略」)については立ち入った考察がおこなわれている。

また、Social Foundations of Post-Industrial Economies (1999)は、前述のように脱家族主義化指標を導入した著作であるが、この脱家族主義化能力の高い社会民主主義レジームの可能性が改めて強調されると同時に、そのためには一方ではサービス市場の規制緩和が、他方では家族の変容から生まれる新しいリスク構造に対処するためのレジームの再編(recasting)が必要であることが、(前作以上に)強調されている(Esping-Andersen、1999、pp.170-184)。


④非営利組織研究からの批判

福祉国家を新しい環境に適合させて再編する戦略の一つとして有力視されるのは、民間非営利組織の活用であり、この分野でも、近年多くの優れた研究が現れている。その中には、エスピン・アンデルセンの福祉国家レジーム論がこの分野の研究(とくに行政・非営利関係についての比較研究)にもたらしたインパクトを高く評価しつつも、エスピン・アンデルセンの分析自体に民間非営利の福祉団体についての視点が欠如していることについて批判がある。たとえばS.キューンレとP.セッレは、

「1980年代にボランタリーセクターについての研究が増大したことを考えれば、エスピン・アンデルセンがその福祉国家の類型化への豊かなアプローチのなかで、ボランタリー組織の役割を考察に加えていないことは少し驚きである」

(Kuhnle and Selle、1992、p.15)

と述べる。たしかに、皆見の限りでは、エスピン・アンデルセンは現在までのところこの問題に対してまとまった議論をおこなってはいない。

繰り返し述べてきたように、福祉国家レジーム論は、狭隘な国家制度論、政策論から脱却し、政府、市場、家族の相互連関と(主導する政治勢力のイデオロギーとも関連した)役割分担のあり方に注目することにあった。エスピン・アンデルセンは、レジーム論的な視角をその後より徹底し、Social Foundations of Post-Industrial Economies(1999)では、福祉国家レジームという言葉はほとんど使わず。福祉レジームという表現を採っている。これは今日の福祉体制の分析を福祉国家に還元する傾向を戒めるためであり、その点で福祉(国家)レジーム論には非営利セクターの役割を捉えていくキャパシティがあると考えられる。しかし、エスピン・アンデルセンがレジームを構成するものとして対象とするのは、政府、市場、家族の三つのセクターであって、A.エバースやV.ベストフのように、非営利セクターをこれと区別して第4のセクターとして立てる発想は見られない。本書の第4章でも、全体の形成に関して、労働者のボランタリーな友愛組合と政府の相互作用が描き出されているが、それはあくまで政府の制度に吸収されていく存在としてわれている。

エスピン・アンデルセンの議論において民間非営利組織の役割が正面から扱われていない点について、G.ルームとペリ・シックスは2点を指摘する。第一に、エスピン・アンデルセンが福祉国家の多面的な活動領域のなかでも、年金を中心とした所得維持政策を分析の焦点としたために、主要には福祉サービスの領域で活動す民間非営利組織が射程に入らなかった、という点である。第二に、エスピン・アンデルセンの議論が基本的には労働運動の影響力を基準としたものであるために、オランダやドイツのように競合する複数の宗教・言語集団が非営利組織をとおして福祉供給を整備したケースが捉えられなかったということである(Room and Perri 6、1994、pp. 42-47)

ただし、解説者が他のところでも示唆したように、エスピン・アンデルセンの福祉(国家)レジーム類型ごとに、非営利セクターの福祉サービス供給体制における役割について固有のパターンを見出すことも可能であるように思われる(宮本1999)。また、見てきたようにエスピン・アンデルセンは、フェミニストからの批判を契機として、福祉サービスの領域にまで分析の対象を拡大しつつ、とくにポスト工業化段階での福祉国家の再編という問題に焦点を移しつつある。こうした展開の延長で、民間非営利組織について新たな位置づけが図られるのか、あるいは、あくまでそれは政府と市場の中間領域という位置づけに留まるのか、注目されるところではある。

以上のように、本書が提起した福祉国家レジーム論は、多様な批判と対質し、部分的にはこうした批判を摂取しながら深化してきていると言える。今後は、グローバリゼーションのいっそうの展開のなかで、各国の福祉国家戦略の抜本的な再編や転換なども分析の焦点となろうが、この点については解説者の別稿を参照されたい(宮本、2000)

最後に本書の翻訳までの経緯および分担について述べておきたい。解説者が本書の翻訳の企画に誘われたのは実に5年前のことであった。だがその後、訳者の留学が相次いだり、また翻訳作業のとりまとめ役が病気で倒れるなどの出来事があり、翻訳作業はスムーズには進まなかった。1999年には、解説者が翻訳作業のとりまとめ役を引き継いだが、怠惰と非才から、その後出版までさらに一年以上もかけてしまった。

この本の翻訳計画はいつの間にか広く伝わり、出版社には異例なほど多くの問い合わせが続いたと聞く。お待ちいただいた読者、ならびに、優に一論文に値する「日本語版への序文」を執筆していただいた原著者には、公刊の遅延を心からお詫し

翻訳の分担は、岡沢が「日本語版への序文」と「はしがき」を、宮本が「序」、第12章、藤井が第3、4章、松溪が第5、9章、西村が第6章、澤邉が第7章、北が第8章、第Ⅱ部導入部をそれぞれ担当し、それを監訳者が松溪の助けを得て用語や表記の統一や表現の調整を繰りかえして完成させた。本書のように該博な歴史的知識と計量分析の技法を動員した書物の翻訳は決してやさしいものではなく、注意深く訳したつもりではあるが、依然として思わぬ誤りが含まれていることを恐れる。読者諸賢のご指摘をいただければ幸いである。なお、監訳者は埋橋孝文氏から訳文に関してご教示いただいた。記して謝意を表したい。

最後になるが、長い翻訳作業の過程であらゆる助力を惜しまず、本書を公刊に導いたミネルヴァ書房の杉田啓三氏と編集部の北坂恭子氏にも感謝をしたい。

2000年9月
宮本太郎

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