『メドベージェフvsプーチン : ロシアの近代化は可能か』木村汎著、藤原書店、2012

本書の構成

メドベージェフは、2008年5月7日、ロシア大統領に就任した。新生ロシアにおいて、エリツィン、プーチンに次ぐ第3代目だった。メドベージェフは、それから1期4年の任期を務めた後、12年5月7日同ポストから辞職した。ソビエト期、新生ロシアの約95年間の歴史において、病死したアンドロポフとチェルネンコ共産党書記長を除くと、最も短命な最高指導者になった。

ドミートリー・メドベージェフとは、一体どのような大統領だったのか。彼の政策は、前任者プーチンのそれに較べどのように異なるものだったのか。メドベージェフの内外路線、そして彼が実際おこなったことにかんし論ずるべき点は数多くあろう。だがもとより私の能力、紙幅ともに限りのある本書で、それらすべてをカバーし、検討することはおよそ不可能である。そこで思い切って、メドベージェフ大統領が己の看板政策として自他ともに認めた主要なもの唯ひとつを採り上げ、それを中心にしてオン所全体を展開することにしたい。すなわち、ロシアの「近代化」(とりわけ経済の)路線である。より具体的にいうと、例えば以下のような諸問について考えることを主要課題にする。

そもそもメドベージェフは、現段階のロシアにとりなぜ「近代化」を必要と考えたのか。いいかえれば、同大統領をしてロシアの「近代化」キャンペーンを提唱させるにいたった背景事由は、一体何だったのか。おそらくその理由は数多くあげられるだろうが、それらのなかから本書で私はつぎの2つの要因を採りあげる。1は、2008年夏の「ロシアーグルジア戦争」。私は同戦争を、メドベージェフ大統領をして「近代化」の必要を痛感させたファクターのひとつ(遠因もしくは間接的要因)と位置づける(第2章)。2は、同戦争とほぼ時を同じくしてロシアを直撃した世界規模の経済危機。私はこれを、ロシア大統領をして「近代化」路線の採用を決意させるにいたったもうひとつの重要ファクター(近因もしくは直接的な要因)とみなす(第3章)。

これらの背景事由を論じたあとで、私は、メドベージェフ大統領が熱心に唱える「近代化」構想それ自体について筆を進める。まず検討する必要があるのは、当然つぎの問いであろう。同大統領が己の念頭においた「近代化」とは、一体どのような類のものだったのか。それは、経済、技術分野の近代化だけに止まり、政治的、社会的領域におよぶ必要まったくなしと考えられていたのか(第4章)。同大統領が目指した「近代化」の内容を知ったあと、われわれがつぎに知りたく思うのは、そのゴール達成の具体的な手立てについてであろう。メドベージェフ大統領は一体どのような方法や手段を用いて、彼の説くロシアの「近代化」を図ろうと考えたのか(第5章)。

メドベージェフ大統領が唱導した「近代化」は、たんなるスローガンに過ぎなかったのか。それとも、同大統領はその実現を真剣に意図していたのか。このことを知るためにも、つぎの問いを検討することが必要になろう。同大統領が声高に叫んだロシアの「近代化」構想は、はたして成功を収める可能性をもっていたのか。その成否を決する鍵要因は、何なのか。この問いにたいする答えを探る一助として、本書で私は主として障害物2つを採りあげる。1は、ロシア人の勤労にたいする態度(第6章)。2は、ロシア社会に横行中の汚職(第7章)。

本書で私は、主としてロシアのタンデム(双頭)政権期の内政について論じることを目的にしている。対外関係については、同一筆者の私がすでに他の出版物(*)で論じているという理由もあって、最初から検討対象から外している。とはいえ、内政と外交とは密接不可分なまでに関連し合っている。しかも、メドベージェフの「近代化」構想は、欧米先進諸国からのイノベーションの導入を必須としており、そのこともあってタンデム政権は欧米諸国を敵に回す外交政策を採りえない。そのような理由から、本書においても、特別に1章を設け、つぎの問いについて若干考察することにする。メドベージェフ大統領の「近代化」構想は、ロシア外交にたいして一体どのような影響をおよぼすのか。とりわけ、それは日本にどのようなインパクトを与えるのか(第8章)。

(*)木村汎『現代ロシア国家論――プーチン型外交とは何か』中央公論業所、2009年。

最後に3章を設け、つぎの諸問題を考察する。このことについても読者諸賢は納得してくださるにちがいない。第1は、「プーチン・ファクター」である。本書の主人公は、あくまでもメドベージェフ前大統領である。しかも、プーチンについては私は別の書物(**)で既に論じている。とはいえ、メドベージェフ大統領は単独で政権をになっていたわけではなかった。プーチン首相とペアを組み、いわゆる「タンデム」と名づけられる体制を形成していた。しかも、プーチン首相はメドベージェフ大統領にとってたんなるパートナー以上の存在、すなわちタンデム政権の事実上の主導者にほかならなかった。

(**)たとえば、木村汎『プーチン主義とは何か』(角川書店、2000年)、木村汎・佐瀬昌盛編『プーチンの変貌』(勉誠出版、2003年)、木村汎『プーチンのエネルギー戦略』(北星堂、2008年)、木村汎・袴田茂樹・山内聡彦『現代ロシアを見る眼ー「プーチンの十年」の衝撃』(NHK出版、2010年)。

そうだとすれば、メドベージェフ大統領が推進しようとしたロシア「近代化」構想の成否を握っているのは、ひとえに同構想にたいするプーチン首相の態度如何。こういってすら、言い過ぎではなかろう。では、同首相は己の「弟子」であるメドベージェフが提唱した「近代化」構想にたいして一体どのような反応をしめしたのか。賛成、反対どちらの態度をとっていたのか。そしてその理由は、何だったのか(第9章)。

もとより、「近代化」は、一期4年の大統領任期で成就できるような生易しいゴールではない。ほかならぬメドベージェフ自身がこのことを充分承知していた。この点だけからいっても、彼は2012年のロシア大統領戦におkる続投を切望していた。こう想像して、けっして間違いではなかったろう。だが、ここでもキー・パーソンは、プーチン首相その人だった。そういうわけで、これら両指導者間の関係、とりわけ2012年のロシア大統領選をめぐる両者間の虚々実々の駆け引き(チャーチルが名づけた「絨毯の下でのブルドックの争い」)についてのべる必要があろう(第10章)。

最後に強調したいのは、人間的要素である。本書の主題であるロシアの「近代化」、そしてそれに関連するすべての諸要因に、メドベージェフ、プーチンのパーソナリティーはけっして無関係なのではない。いやそれどころか、それは多大の影響をおよぼす。これが、本書における私の基本的な立場である。したがって、両指導者の出自、経歴、思想、権力基盤などを簡単に学習しておくことは、その後のあらゆる問題を検討するさいに不可欠かつ有益な準備作業になろう。このような考え方から、私はまず本書の冒頭においてこの問題を扱うことにする(第1章)。

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