没落と上昇

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映画という現実 ミヒャエル・ハネケ映画を全部見ろ

 以下の文章もコロナ前に書いたもの。当時の最新作だった『愛・アムール』まで、個人的に友人とハネケの映画を全部見る祭をして書いたが、結局どこにも公開していなかったかもしれない(ゲリラ諸評の25?あるいは欠番)。道徳(正/不正)に倫理(よい/わるい)の優位を見出すのはニーチェ以降という感じだが、ハネケの映画はそれをわからせてくる。  ミヒャエル・ハネケの映画は、不道徳ではあるかもしれないが倫理的である。つまりそれはなんらかのフィクション(道徳)をあてにするのではなく、諸力の競合

    • 作品内作品について(さらに書くために枚挙し、蕩尽すること)

        ゲリラ諸評の思い出  かつて書いた文章を少しずつ放流していきたいと思う(人生はすでに始まっているのだから!)。かつて北大の文系棟を中心にばらまいていた「ゲリラ諸評」では、友と共に評論のルネサンスを開始すべく、作品鑑賞の衝撃を伝えるべく、そのことを享受すること自体の悦びについて触れながら、作品について書きなぐっていた。なんだかんだで読者はいたようで、反響を聴いたことがある。以下はおそらく2019年に札幌の劇団:風食異人街の『青森県のせむり男』を鑑賞してきたあとの、ゲリラ

      • ある映片の思い出

        https://twitter.com/iamReina_xy2/status/1171267033784172546?s=20  幻想狂気系フラッシュとか…要は「例の」雰囲気を作り出すための形式化、その果てへ、その崩壊? 階梯を登って無に至りつくまでのお話…? 確かに、他と区別される「それ」はあるのだ。でもそれは何か…? (だが、あまりの恣意性にくらくらする…スィリアック・ハリスの理路ある狂気の堅牢さとは異なる…。デビッド・リンチならば、その馬鹿馬鹿しさも含めて「わかりや

        • MOOSIC LAB所感③荒木洋航『さよなら、ミオちゃん』における顕現の問題

           さて最後に書いておきたいのが、我らが街札幌でロケられたという『さよなら、ミオちゃん』映画版です。僕は寡聞にして彼らの楽曲を知らないのであるが、映画はどうやら彼らの旅立ちについての応援歌でもあり、別れということでは決別の峻厳な決闘を描いたものであったようです。つとめて意味不明に(というのは見せかけで、難しく、つまり現象を正しく真摯に扱うように)書いて参りたいと思います(長文はそれ自体門であり、読者を識別するのに役立つ)。  まず『札幌篇』と『東京篇』のどちらが好きか?という

        映画という現実 ミヒャエル・ハネケ映画を全部見ろ

          MOOSIC LAB所感②札幌上映短編セレクト感想三篇

          短編セレクト作品も各々よかった。 『下鴨ボーイズドントクライ』  痛々しき青春の玉手箱的な夢だった。(邦画!なるほどね。クールベが天使を書かないのと同じように、歴史の真の主体を日本で描くならこうなのだな)。覚えがある失恋の寝逃げ、そして馬鹿馬鹿しき、しかし必死の想念の中での事物のマニピュレート(操作と改竄)。やばい表を作成し、誰にも理解不能なタイムトリップ方法をメモし、実行する。もちろんこれは仮象、青春の馬鹿さ加減そのものである(言い訳しない分ラ・ラ・ランドのライアン・ゴズ

          MOOSIC LAB所感②札幌上映短編セレクト感想三篇

          MOOSIC LAB所感①穐山茉由『月極オトコトモダチ』の構造

           最近インド映画ばかり見ていたせいもあるが、父権性と、対する母権性(=破壊神シヴァとセットであるドゥルガー)が争うこと=法を都度立法させるような映画ばかりなので、今作を見始めた時は、邦画のほっこりとしてもっさりとした、なんとも言えない繊細な、一つ一つの毛は鋭いのに密集して生えていることで心地よい毛並みとなり、結局毛のことがわからなくなってしまうようなドラマの始まりに頽廃感すら抱いたのだが、とてもとてもよい映画だった。  友情とは何か!そしてそれが恋に変わるとすれば如何にして

          MOOSIC LAB所感①穐山茉由『月極オトコトモダチ』の構造