ナボコフ小説「ロリータ」とキューブリック映画「ロリータ」
ナボコフの小説が原作で。
「ロリータ」という映画はこれまでに2つ撮られている。
キューブリック監督(1962年)の映画と
エイドリアン・ライン監督(1997年)の映画である。
このうち、小説と、キューブリックの「ロリータ」について書きます。
(1997年の映画「ロリータ」も昔、観たのだが、今回は観ていないので感想は書かない)
■本
ナボコフの「ロリータ」。
1955年刊。
昔読んだけれど、本を売ってしまったのか、手元になくなっていた。
再読しようと思い、
大久保訳(旧)と若島訳(新)とあるけれど、どちらにしよう、と。
いろいろ調べて、大久保訳(旧)を中古で購入。
ちなみに、本の装丁は、こんな感じで若島訳(新)のほうが素敵。
ちなみについでに一応載せる。若島訳(新)の表紙。
大久保訳と若島訳の訳文の比較は、以下を参考にしました。
http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2010/01/post_179.html
さらっと見た感じ、
大久保訳のほうが文章表現が古風で流麗、
若島訳は現代語調でくだけている、という印象。
このお話は、現代における「ロリータ」「ロリコン」という言葉の起源になっているように、
少女性愛者ハンバート・ハンバートと、彼が心惹かれた少女ドロレス・ヘイズとの関係を描いている。
「ロリータ」は少女ドロレスの愛称。
これが一番の設定である。
それで、まあいろいろあって、主人公と少女はアメリカをふたりで車であちこち旅しながら、性的にもまあいろいろと、ある。
少女の年齢は、物語の中で12歳から17歳まで成長する。
主人公はヨーロッパの人間であり、ヨーロッパから見たアメリカ、というのもテーマにあると思う。
設定自体、センセーショナル、ショッキング、今でも奇妙で気持ち悪いと思う人もいるかもしれない。
ストーリーのあらすじは割愛する。
おそらく物語の設定を見ただけで、手に取ってみたいと思う人は手に取るだろうし、手に取りたくないと思う人は手に取らない、そういう類の本だと思う。
この本を読んだ後、感じたことは2つ。
1.作者ナボコフの耽美主義と芸術観。
文章が流麗すぎる。美しすぎる。素晴らしすぎる。
読んでいるだけで、美の世界に埋もれそうになる。
そんな気分を味わわせてくれる。
それだけで、非常な価値がある本だと思う。
作者自身、あとがきにこう書いている。
「『ロリータ』は、いかなるモラルもひきずってはいない。私にとって、文学作品は、直截に美的悦楽とでも呼ぶべきものをあたえるかぎりにおいてのみ存在する。その悦楽とは、芸術(つまり好奇心、やさしさ、思いやり、恍惚)が規範となるような精神状態と、何らかのかたちで、どこかで結びついた存在感だ。」
そしてその彼の芸術観と、まさに物語のラストの主人公の言葉とが、うまく調和している。
ストーリーのラストがどうなるかはここでは書かないが、締めの文句はこんな具合。
「私はいま、野牛や天使たち、永続的な絵具の秘密、予言的なソネット、つまり芸術という避難所について考える。
ロリータよ、私がおまえと永遠の生を共にすることができるとすれば、ただひとつ、これしかないのだ」
つまり、非道徳、執着、憎しみ、つかの間の美、こういったことの避難所として芸術がある、と。
2.主人公ハンバート・ハンバートの2つの「執着」。
ハンバート・ハンバートはヨーロッパ出身の文学者という設定もあり、美的なことを追求する人物として描かれる。
少女性愛もその美的追求の一つ、というスタンスで、少女ロリータへの執着を正当化しているようでもある。
けれど、その「執着」は次第に2つの「執着」に分化していく。
なぜなら少女ロリータは年をとり、一方でハンバート・ハンバートの少女性愛という性癖は変わらないからである。
だから、ロリータ自身への「執着」と、
少女性愛への「執着」と、
2種類の「執着」に分かれていくのである。
この物語がおもしろくて深いのは、少女性愛への「執着」だけではなく、その性癖は維持しつつも、年をとっていくロリータ自身への「執着」も描かれているからだと思う。
■映画
キューブリックの「ロリータ」。
1962年公開。
★★★★★(5点中5点)
・世間的には、原作を損なっているとか、原作を省略しすぎだとか、1997年版のほうがよいとか、いろいろといわれているけれど、
私にはすごくおもしろかった。DVD買おうかというくらい。
・キューブリックの映画は、なんらかの「狂気」に焦点をあてているものが多いと思う。
「シャイニング」「フルメタル・ジャケット」「アイズ・ワイド・シャット」
「博士の異常な愛情」「時計じかけのオレンジ」など。
(「バリー・リンドン」「2001年宇宙の旅」は狂気ではないかなあ。)
とにかく、一般的にどう言われているかは知らないが、私はそう思う。
今回の「ロリータ」でそれを改めて感じた。
原作よりも、「執着」というテーマを、より浮き彫りに、描いている。
そのことでその「執着」の「狂気」性がより印象的に描かれている。
・代わりに、ストーリーは、冒頭で結末的なことを描いたり、もろもろ省略されていたり、と、
原作を読んだ人じゃないとおもしろくは観れない作りになっているかもしれない。
しかし、ナボコフの原作の情報量は尋常ではないため、映画としては、このキューブリックの「テーマ」「キャラクター(俳優)」を際立たせる、というやり方は、素晴らしいと思った。
・ロリータ役のスー・リオンと、
キルティ役のピーター・セラーズが素晴らしかった。
主人公ハンバート・ハンバートについては、おそらく私の記憶が正しければ1997年版の「ロリータ」のジェレミー・アイアンズの醸し出す知的で美しいダメ男っぷりがまさにぴったりの配役だったかと。
・ロリータ役のスー・リオンは、アメリカ人にしては地味で小ぶりな可愛らしさと、人を小馬鹿にしたような表情としゃべり方が、すごく魅力的。静止画より動画のほうが魅力的なタイプです。そういう人、私のタイプです。
そして何より体つきも華奢なのに色気があって、素晴らしかった。脚を鍛えたいなと思わされた。
・キルティ役のピーター・セラーズは、変態、奇人のキルティにどっぷりなりきっていた。すごかった。
特に、ホテルの共同テラスのような場所で、主人公とキルティが夜、会話するところ。
あそこは彼の名演技のためのシーンのようだった。
キルティの変態、奇人っぷりは、映画のほうが100倍印象的になっている。
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