ポケモンマスターに俺はなる!

現在話題の<厄介女オタク>の生態に関するブログを読み、勝手にインスピレーションを受けてある考えが思い立った。

それは、人間はコミュニケーションにおいて成長過程で「会話」や「客観的事実の提示」、「傾聴」などポケモンの技のようにいくつかのウェポンを取得して、それぞれPPが決まっているというものである。
話し相手に限らず、話す量によって疲労度が決定されるという個人的事実からPP制を思い立ったが、これは他者にとっても想像に難くないことと信じる。

では、私がインスピレーションを受けた件の女オタクについてポケモン的に再考してみよう。結論から言うと、彼女らは取得している技が「お気持ち表明」や「イタコ術」など珍しい技を多く揃えているがそれらは、さながら雨状態でかみなりが必中であるように、女オタク界隈という特殊フィールドで必中技なのである。しかし、それらは通常フィールド下では一撃必殺のように命中率も低い。そしてPPはそれだけ特殊な技である為に当然「会話」などよりもPP量が少ない。
個人が取得できる技の数には限りがあるため、一般的な人間が持つと考えられるPP量の多い技を持っていない(持てなかった)彼女たちは直ぐにPP切れを起こして悪あがきに走ってしまうと結論づけられる。

ポケモンでは簡単に技を変更することが出来るが、人間はそう上手くはいかない。育った環境、周囲の人間によって技を身につけるが、1度覚えてしまうと別の技に切り替えることは中々難しいだろう。私達が「イタコ術」を「ものまね」こそ出来れど、本当の威力を発揮することは出来ないように。

人との会話をポケモンで考えると、実に上手く説明づけることが出来る。例えば技以外にも特性が挙げられる。相手がプレッシャーを放つ場合、PP消費が激しいというのも現実のそれを上手く説明づけられていると思う。
厄介女オタクについては、開発元が想定した環境で育っていないために、特性にバグが生じて「おやこあい」などを取得して、2回攻撃を放ってくるなどと考えてみると案外上手く現実と対応していて実に面白い。

会話をポケモン的システムから考察してみると、いかにポケモンが精巧なゲームであるか。そして異様な生態に思えた彼女たちも実際はシステマティックに行動していた事を知れたのは大きな発見である。

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