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【自己紹介】はじめまして ばんちゃんです!

1.ばんちゃんて何してる人?

みなさん、はじめまして!
婚活アドバイザーとして活動している、ばんちゃんと申します。

ばんちゃん|婚活アドバイザー

13年間の自爆恋愛を乗越えた婚活アドバイザーとして活動中で、婚活でお悩みを持つ方に個人面談や婚活相談を実施しています🦢⛲️

ばんちゃんって一体どんな人なの??
このページを読むと、ばんちゃんの全てが分かる!!
超ヘビー級‼︎自己紹介をさせて頂きます🪽
(需要があるかどうかは、考えません笑)

2.ばんちゃんの生い立ち

兵庫県姫路市出身
28歳のねずみどし🐁
転勤族の父親の影響で、これまでいろんな所に住んでいました🗾

►埼玉 4年間(幼稚園生)
►愛知 7年間(幼稚園生~小学生)
►大阪 9年間(小学生~高校生&浪人生)
►滋賀 4年間(大学生)
►大阪 4年間(就職)
兵庫県在住(婚活アドバイザー)

両親は、関西弁の極み【播州弁】を操る根っからの関西人なのですが、私は沢山の地域を転々としてきたからか、エセ関西弁をしゃべります!笑
ばんちゃんが婚活アドバイザーとして活動を始めるまでの、人生を変えたイベント達を紹介させて頂きます。

熱中に目覚めた?中学時代

中学時代は大阪で過ごします。特に勉強や運動ができたわけでもなく、成績はクラスのど真ん中、部活と遊びに全力、といったありきたりな学生でした。

特にぱっとしない私ですが、ひょんな事で理科のテストでクラス1番になり、今までに無いくらい両親に褒められます。
『褒められるって、嬉しい楽しい、大好き!』笑
こうして火がつき、中学3年生の頃に猛勉強を始めることに。
スタートダッシュは遅かったものの、高校受験では私立の女子校を特待生として合格し、そちらに進学を決定。

とにかく勉強に没頭!高校時代

高校時代は、遊んだ記憶がほとんどありません。
偏差値の高い高校ではなかったので、勉強を熱心にする人は周りにいませんでした。
友達という友達もおらず、多分かなり浮いていたと思います。
でも、そんなこと気にならないくらい勉強してました📚

朝7時に教室については自習、休み時間も職員室や先生の休憩スペースに入り浸り勉強。

これまで経験してこなかった、『学年で成績が一番になる』優越感と『先生・大人達から認められる』という承認感が嬉しくて、とにかく頑張れました。
大学受験では、岡山県の国立大を目指していたのですが、数学Ⅲの履修が間に合わず、泣く泣く別大学を受験。
愛媛の国立大学に合格するも、『志望校を下げた自分を許せない』『自分ならもっとやれるに決まってる』『数学IIIはマスターしないといけない!』本気でそう信じ、浪人させてほしいと両親に頼み込みます。

暗黒期への突入🌪️🌀浪人時代

大阪の予備校に通いますが、高校生の時に湧き出ていたあのエネルギーは何処へ、、、?というほど頑張れなかったんです。
『成績が一番になる』優越感
『先生・大人達から認められる』承認感
わたしは勉強が楽しかったわけでもなく、志高く学びたいことがあったわけでもなく、

ただ認められたかったから勉強していた

ということに気付きます。
回りの優秀な人たちに圧倒され、クラス一番どころか下から数えた方が早いくらいの成績、高校の先生のように自分を褒めてくれる人はいない。
それからは、あっという間に時間が過ぎ、再受験の結果は撃沈。
挙げ句の果てに現役で合格していた大学に進学することになりました。

拗らせ尖りまくり🤜💥🤛大学時代

大学4年間は滋賀県で過ごします。
立命館大学 生命科学部 生物工学科に進学、今思えば良い大学だったと思うのですが、当時 浪人あがりの私からしたら人生の絶望状態でした。
『本当は第一志望校に行きたかったけれど、行けなかった、そんな自分のことを許せない』
所謂、学歴コンプレックスの塊です。
心のどこかで全ての世界を馬鹿にしながら斜に構えて過ごしていました。
『この大学にいる人なんて、私も含めて、どうせ全員が中途半端だ』
心からそう思っていました。
大学での勉強も頑張れず、夜中から朝方までバイトに明け暮れ授業を休みがちに。

人生の転機✈️海外留学

現状に満足いかない日々を過ごす中、大学構内のカフェテリアに張ってあったポスターが目にとまります。
『アメリカ留学プログラム』
なぜか、めちゃくちゃ心が踊ったんです。
単位を落としまくっていた当時の自分は、春休みの留学プログラムで2単位ゲットできるのは激アツ!!でした笑
そして何より、『海外に行ってみたら、このぱっとしない毎日が変わるかも』そんな気持ちだけで留学を決心します。
募集要項、規定のTOEIC点数は満たしていなかったのですが、強行突破で応募!なぜか分かりませんが行けることに(ラッキー✌️)
現地では英語学習が捗ったかというと全くそうではなく、ほぼ遊んでましたが、現地で出会ったUC DAVISのNari Fujita先生の講義を受け、世界が変わりました。

『自分の心に従いなさい』
『あなたの選択で人生を変えなさい』

当時、拗らせまくっていた私にとって、この言葉はぶっ刺さりました。
『負けてきた自分なんて他人から認められるはずがない』
この思いに支配されて、弱い自分は隠さないと、他人からは『強い自分』として見られたい、舐められたら終わる!!!その一心でした。

他人が自分をどう思うのかが全ての判断基準。
一度も自分の心の声に耳を傾けたことがなかったと気付いたんです。

それからの大学生活は、全てが色づいた様に鮮やかでした。
自分の心の声に従って、やってみたいと思った事は全てチャレンジし、たくさんの国に行き、海外一人旅もしました。
まわりの人とも素直な気持ちで接することができるようになり、こころから通じ合える、一生ものの友達もできます。

過去の自分を見つめた、就職活動

当時、生命科学部に所属していたため研究職を目指す人と学部卒で就職する人たちに別れました。
大学3年の冬時点では就職活動を始めており、4年間で卒業すると決めていました。過去に、ただ『認められたい』という思いだけで突っ走った暗黒の浪人期を振り返り、自分は研究職になるべきではないと思ったからです。
当時所属していたラボの教授は、化学を心から愛していました。自分の内側からあふれ出る知的好奇心に従い、研究そのものに没頭する人たちを見て、研究職は『認められたい』という動機で動く私ができる仕事ではないと感じたからです。
それからは、自分は人を支えることで感謝してもらえる、人との反応が見えやすい仕事が向いているだろうと考え、メーカーの営業職を目指して就活に励みます。

180度考え方が変わった!!海外営業

社会人1年目は、分からないなりに我武者羅な日々を過ごします。設備メーカーに入社したため、巨大な設備の機構を理解すること、お客様の意図を汲み取ること、クライアントが希望する納期を実現するために社内を這いずり回ること、目が回る日々。自社の商品を愛することができず、学ぶ意欲が湧かないときは自己嫌悪に陥り、議事録を取ろうにもみんなが何を言っているのか理解できずひたすら聞き取った言葉を綴っていました。

悔しい気持ちになり、帰り道に涙がでてくることも。気がつくと、丸2年が過ぎようとしていました。

営業という仕事は自分が思っていた100倍は泥臭く、期待していた様に人から感謝されるどころか、怒られることの方が多いんです。
『思ってたんと違う・・・』感否めないまま、3年目に突入。

当時3年目だった私は、
『とりあえず海外で、自分で考えて好きにやってみて』と言われ、
インドネシアに放り出されます。
これまで上司や技術の方に『評価される』『認められる』『感謝される』こんなことが目標で頑張っていた私なので、

結果にコミットして『自分で考えて好きにやる』

ってもうどうしたらいいか分からなさすぎました。
営業としてあるまじき、数字をあげる事より人からの反応ばかり大切にして動いてたんです。
でも、現地に送られた以上、人からどう思われようとお客さんに面倒くさがられようと、結果出さないといけないっていうプレッシャーに襲われました。正直、最初は地獄です、英語も全然得意じゃなかったので、、。

でもやるしかない。
自分で考えて挑戦して、失敗してボロボロになって、恐る恐る上司に報告するも
『その失敗、めっちゃおもろいやん』って、笑い飛ばしてくれたんです。
その後、軌道修正案を出してくれて、絶対になんとか受注しようって、一緒に動いてくれました。

失敗しても最後に巻き返せればいいんだ、そう気づいてから、
仕事は『他人から認められるためのもの』ではなく『結果を出すためのもの』、と思考を変えることができました。(こんな当たり前のこと、気付くのに3年もかかった笑)

そう思えた瞬間に、挑戦して失敗しても楽しい、成果が出たらもっともっと楽しい。
そう思えるようになったんです。この頃は、他人にどう思われるかにとらわれず、ずけずけ発言もできるようになります。笑

そうこうしているうちに、『誰から認められなくても、自分で好きなように志もって仕事がしたい、今の私ならできる』と心の底から思うようになります。

大学時代に研究職を諦めたときも、職場で技術の方を見たときも、承認欲求の塊みたいな自分には、自分の中から湧き上がる想いに従って仕事をするなんて、どうせできないと思ってました。
でも、本心は私もそうなりたかったんです。

自分の中から湧き出る想い『志高き仕事』婚活アドバイザー開始!!

私の身の回りには、高齢になっても仕事を続ける、自営業のかっこいい女性がたくさんいます。
仕立屋、美容師、輸入業、中でも一番ご高齢の方は御年89歳👵🏻
私も体が動く限り働き続けたいと思いながらも、今の営業の仕事はそう長く続けることができないだろうと。
それから、独立塾に入りフリーランスとしての活動を目指します。
1年間かけ、自分は何で人を助けることができるか、向き合います。
そして、自分自身が13年間苦しみ乗越えた、『恋愛・婚活』を自分の仕事にする決心がついたんです。

『恋愛・婚活』は、究極の人間関係です。
深い人間関係の構築、思考方、自己鍛錬が必要不可欠な奥の深いジャンル。

当時、恋愛で失敗し続けた私が、様々な人生経験を通して乗越えたからこそ、同じように苦しんでいる人を助けることができるのではないかと、確信しました。
これから、婚活アドバイザーである私自身も沢山学んで内省していかなくてはいけません。そのたびに、生きた情報をしっかりと発信することができる、
今後の人生をかけて、恋愛・婚活という仕事と向き合っていきたいと強く思いました。

3.将来の夢

私の将来の夢は、『妻として、母として、1人の女性として』全ての立場を全うして生きていくことです🩰
そして、自分の体が動くまでは死ぬまで働き続けたい、人を救う仕事がしたい、と考えています。
私の発信で、救われる人が1人でも増えるように、これから頑張っていきますので、よろしくお願いします‼︎

4.最後に

気づけば、自己紹介文にまさかの4,000文字を突破してました!笑
エントリーシートみたいですね笑  

ここまで長く拙い文章にお付き合いくださり、ありがとうございます😭✨
これからは、私の日々の学びや出来事、気づいたことや趣味など!
他SNSアカウントとは違う、等身大の私の想いを発信していきますので、もしご興味がありましたらよろしくお願いします🕊️🫧

婚活アドバイザーのばんちゃんでした🫶

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