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beginning


 絵を描くと言うことは、僕にとってはもう生きる手段となっていて
心臓を動かす次にやるべきことなのかもしれない。

 アーティストよろしく言ってみたけど、
言葉で見るほど陳腐なものではなく、本気でそう思っている。

 思い返すと、保育園の頃から落書きをするのが好きだった。
それは僕が喘息を持っているのと父親がいない家庭環境から
スポーツを嗜むような文化がなかったからかもしれないけど。
とにかくはじめて、”僕の” クーピークレヨンを手にした興奮はわずかながらに覚えてる。

 それから、絵を描くと大人や同級生の興味を少しばかりか引けると言うことも
知った。 僕がじゆうちょう一杯に書いたドラゴンの図鑑や剣が、一瞬だけ
同級生から尊敬に似たもてはやされ方をした。

 そこから、少し僕の絵の成長とともに時は進むけど。
その頃にはより一層、絵という物が僕にとって必要な物になっていった。
なにも積み上げてきた物がない僕には、人よりも少しだけ得意なこれを伸ばすしかないと思った。

 絵を人を見返すための武器としかみていなかった。正直今でも少しそう思う節はあるけど、
あの頃よりは絵を本質的に好きになっていると思う。
だから僕は絵が好きで絵を描き始めていないし、表現の手段の一つとして選んできたのではない。
自分の半径10mに落ちてた頼りないが一番堅そうなものを手に取ったような
そんな、攻撃的な理由で絵を選んだ。

 僕は本当に、運が良かったと思う。
そんな、乱雑な理由で拾い上げたものは僕にとってもフィットしていた。
線を描くことや、色を選ぶことそれを人に見せることはとても楽しかった。

 最近は、他人からの評価も返って来るようになった。
僕が作るものを心の底から好きと言ってくれたり、尊敬の眼差しで見てくれる人も現れるようになった。
僕にとってそれは、今までの自堕落な自分を許されたかのような不思議な体験だった。
なにも積み上げてない焦りから、一心不乱に見返そうと6年間暴れ回った僕は気付かないうちに
何かを積み上げていたし、ランダムに選んだその武器のような物はしっかりと戦えるものになっていた。

 それによって、心に余裕ができたと同時に僕にとっての絵もがらりと変わった。
武器だと思っていたソレは、表現する一つの手段、方法に変わった。
誰かを見返すための道具が、自分を表現する為の道具になった。

その時僕は、初めてアーティストになった。


 よく絵描きになるためにはどうしたらいいか聞かれるが、
今ならなんとなくわかる気がする。ただ純粋に自分が表現したいものを描けばいいとおもう。
じぶんと、じぶんが笑顔になって欲しいあの人のために描けばいいとおもう。
それがあいつにとって美しいものか、正しいものかどうかなんて関係ないんだとおもう。

BANBU

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