ゲーム規制条例を考えた人は教育学を勉強したことがあるのだろうか

香川県で、面白い条例が制定されましたね。「ゲーム規制条例」です。
この時点ですでに聡明な方ならあほらしいと一蹴されると思いますが、これを考えた人は逆になぜそう考えるのか考察する必要があるでしょう。私たちは歴史上、何度も人々が怠けるからという理由で娯楽を禁止することを繰り返しています。
それは単に歴史に学ばない愚か者だからというだけではなく、そのように考えたがる枠組みがあるような気がします。

今回はゲーム規制条例について考えてみましょう。

ゲーム規制条例

さて条例の中身です。規制の対象は18歳未満の子どもたちで、ゲームやインターネットの使用を、義務教育終了前は午後9時まで、それ以外の子どもは午後10時までとするものです。さらに、平日は一日60分まで、休日は90分までといった上限規定も盛り込まれているようです。

18条2項 保護者は、前項の場合においては、子どもが睡眠時間を確保し、規則正しい生活習慣を身に付けられるよう、子どものネット・ゲーム依存症 につながるようなコンピュータゲームの利用に当たっては、1日当たりの利用時間が60分まで(学校等の休業日にあっては、90分まで)の時間 を上限とすること及びスマートフォン等の使用(家族との連絡及び学習に必要な検索等を除く。)に当たっては、義務教育修了前の子どもにつ いては午後9時までに、それ以外の子どもについては午後10時までに使用をやめることを目安とするとともに、前項のルールを遵守させるよう努めなければならない。

いわゆる努力義務というところですね。
罰則規定もないので、理念条例というものでしょう。

既に頭が悪そうな内容ですが、香川県の大人たちが考えた内容です、きっと理由があるのでしょう。それでは制定の理由をみてみましょう

条例案PDFです気になる方はどうぞ。
https://www.pref.kagawa.lg.jp/gikai/jyoho/giketsu/0202_hatugi01.pdf

インターネットやコンピュータゲームの過剰な利用は、子どもの学力や体力の低下のみならずひきこもりや睡眠障害、視力障害などの身体的な問題まで引き起こすことなどが指摘されており、世界保健機関において「ゲーム障害」が正式に疾病と認定されたように、今や、国内外で大きな社会問題となっている。とりわけ、射幸性が高いオンラインゲームには終わりがなく、大人よりも理性をつかさどる脳の働きが弱い子どもが依存状態になると、大人の薬物依存と同様に抜け出すことが困難になることが指摘されている。

どうやら理由はWHOでゲーム障害が認定されたことを理由に制限を加えようという理由だそうです。

依存とは何か

ゲームには依存性があるよということで、規制したようですね。
それでは、依存の意味を見てみましょう。広くあるようですが、医療で使われている言葉だとこのような意味なようです。

何かの習慣的な行動が、自分の生活や人生にダメージを与えているのに、意志の力ではそれがやめられない状態のこと

明らかに体に悪いのにやめられない止まらない。たしかに問題がありそうですね。ではその依存の種類を見てみましょう。

物質への依存(ニコチン依存症やアルコール依存症)
過程・プロセスへの依存(ギャンブル依存症、インターネット依存症、借金依存症)
人間関係や関係への依存(共依存、恋愛依存症)

物に依存したり、それをする行為の過程に依存したりするわけですね。
ゲームへの依存といった場合は、過程・プロセスへの依存と言えるでしょう。

依存のプロセス

依存というのは、私は脳科学に詳しくはないので、厚労省の発表するものからまとめていきたいと思います。

私たちの脳内にはドーパミンという快楽物質があります。この快楽物質は例えばアルコールや薬物を摂取したときや、ギャンブルなどのスリルを味わったときにもでるそうです。

このドーパミンが脳内には出ると、中枢神経が興奮し、それが快感・よろこびにつながります。この感覚を、脳が報酬というふうに認識すると、その報酬を求める回路が脳内にできあがります。


某宮崎県の公式サイトから頂きました。前インターネットで話題になりましたね。
要するに、脳が快楽物質の出し過ぎでバグってしまうということですね。
ゲームでもやり過ぎればドーパミンが出て脳がバグってしまうことはありそうです。

依存のなにが問題なの?

依存は本人が自分の生活をコントロールできなくなり、本人や一緒に住む人が困るようになると、問題だと言えそうです。

ゲームも依存してしまい、本人やご家族が困ることがあるのはそうでしょう。
しかしそれは、勉強も暴力も、読書も、漫画も、やり過ぎれば依存性があることは同じです。
確かにアルコールや薬物は、依存の中でも物質への依存です。同じ依存でも意味合いが大きく変わります。ちなみにですが、タバコはよくて大麻がダメなのは歴史の違いであって、依存度や危険度はそう変わらないそうです。

ワーカーホリックという言葉もあるように労働ですらやり過ぎれば、体に良くありません。
基本的になんでもやり過ぎればよくありません。
労働が8時間で規制されているなら、ゲームを規制するにしても、8時間ぐらいが適当な気がしますが、1時間という根拠はどこから来ているのでしょうか?
おそらくフィーリングで何も考えていないのでしょうが、大きく危機感を感じていたとして、根拠を持たせられる妥当なラインはこのぐらいでしょう。

ちなみに、この理屈で言うとパチンコも8時間までと言わなければいけません。
勉強や読書や漫画も各8時間までとするべきでしょう。やりすぎはよくないですからね。
依存症になってしまいます。

本当に依存のことを考えたのか?

おそらく、今回の規制条例は依存というのは建前です。もし依存というのであれば、根拠的に8時間ぐらいを目安にするはずですし、勉強や読書も8時間までとするはずです。

そうであると、本音のところはゲームをやり玉にあげて攻撃したかった。または、とりあえず新しいことをやって目を引きたかった。もしくは、依存は建前で、本当はゲーム時間を短縮させて、別のところに目を向けさせたかったとしか考えられません。

いずれにしても、ロクでもない理由です。青少年の健全な育成という言葉もそうですが、綺麗な言葉でごまかそうとするのは、総じて問題があると思います。

娯楽は何か一つが敵にされる

最近では、漫画や小説というのは、読んでたらアホになるよとか、読むのは一日1時間までにしなさいという人はほとんどいません。

漫画ですと、1955年に、悪書追放運動が起こりました。この中では、子供向けの雑誌の追放、校庭での大規模な焚書まで起こりました。もちろんこれは、エログロ描写の追放とされていましたが、そもそも漫画に対する偏見が強かったとも言えそうです。

小説ですと、江戸時代の改革のたびに小説が規制されたりと、広まった娯楽というのは規制されがちです。
その時の謳い文句というのが、体に悪い、バカになる、健全な成長に悪いというものです。

どうやら新しい娯楽というのは、受け入れられるまでに時間がかかるようです。

教育から見たゲーム



何度も出していますが広田先生によると、何かをしたら学ぶか学ばないかは子ども側にあります。当然、ゲームをしても漫画を読んでも学ぶことも学ばないこともあります。
要するに教育的に意味がないとは言えなさそうです。

家庭教育という視点からだとどうでしょうか。親としては勉強して欲しいという思いはあります。そのため、ゲームは一日1時間にしなさいということもあります。

しかし、それは家庭の中の教育方針であって、ゲームを使って上手に教育をすることも可能なので、あくまで各家庭の教育方針によるとしか言えません。

そのため香川の条例は、家庭教育の教育方針に介入するという、家庭の教育権を侵害していることになります。

まとめ

ゲーム規制条例はどうやら、歴史から見ると、娯楽を規制しようという、新しい娯楽に毎回あるパターンのようです。
もしかすると新しいものが浸透するまでに次の世代が育つのを待つ必要があるのかもしれません。

ただ、新しいものを自分が不愉快に思うからと言って、依存なり健全な育成という言葉を使って排除しようとすることや、子どもを自分の思い通りに育てたいと思うのも問題があるのではないかと思います。

制定する前に、なぜ制定するのか、歴史や教育など様々な文献を一度勉強された方がいいでしょう。

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