本当に学歴社会か?

学歴社会という言葉を知っているでしょうか?

学歴社会とは、「学歴によって社会的地位や評価などが定まる社会」

例えば中世の社会では身分や家柄によって、子どもの将来は決まっていましたが、現代ではそのようなことはありません。

このように親の職業がなんであれ、学校というシステムを通じて何にでもなれる(職業選択の自由)ように私たちの社会はなっています。
この上下というのは、今私たちはあまり実感することはありませんが、収入や職業による社会的な階層を指しています。そして矢印のように、階層を跨いで子どもが移動することを社会移動と言います。

(※詳しくは社会移動の中の世代間移動ですが、細かいことが知りたい人は社会移動を研究した入門書でも読めばわかると思います)

書きたいことの意味がわかってしまった人もいるかもしれませんが、学歴社会であるならば、高学歴の人は階層が上位であるということです。
確かに医者や研究者といった仕事は、高学歴でかつ高収入であるというイメージを持つ人も多いでしょう。階層が高いイメージとはこういう意味です。

実力主義社会

学歴社会を批判するときに使われる言葉が実力主義社会です。よくアメリカが例に出されますが、学歴ではなく個人の能力を評価し、学校に行った行ってないを無視して、能力を評価する社会です。
(アメリカは一部実力主義的な側面はあるのかもしれませんが、実際は学歴社会が基盤にあります)

日本の場合、中卒、高卒、大卒で収入に格差があるのは皆さんもよく知っていることだと思います。


この統計によると中卒と高卒では大きな差はありませんが、大卒とは大きく差があります。

こうなってくると学歴社会じゃんで終わってしまいますがそうではありません。

学校歴社会


出典 日本経済新聞社

ただ金額の計算方法が危ういので注意というより、概ねのものでしかありません。手法は、各大学の卒業生の就職先およびその人数(上位20社まで)と、それらの企業の推計賃金データをもとに、大学ごとの「平均的な」生涯賃金を割り出したということです。卒業生の就職先データはいずれも2015年のもの。賃金の推計については、一部上場企業のみが対象。すなわち外資系企業や公務員、医師、弁護士などは対象外になっています。

(出典:内閣府 経済社会総合研究所)

確かに学部卒より院卒の方が高いという見立てが出来そうですよね。生涯賃金でみると5000万ぐらいしか違いがありません。そうみると、東大卒などと見ると生涯賃金が下がってしまいそうです。
もちろん東大卒のデータが怪しいので、確実とは言えませんが、院卒よりも学部卒の有名大学が、大企業に入りやすいということはないでしょうか?

水月昭道(2007)『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 』(光文社新書)

この本では、実際に大学院に入るも、就職がなく非常勤講師とアルバイトで食いつなぐ人生も描かれています。

何が言いたいのかというと、もし学歴社会なのであれば、大学院というのは超高学歴です。どこもまず最初に欲しいということになりますが、実際にはそうなりません。

実際に特に企業が大切にしてきたのは、大学名であり学歴ではないのです。
そのため、現在の社会を正しくいうならば学校歴社会なのではないでしょうか。

もちろん現代ではその「学校歴社会」であることも崩れてきています。
ハイパーメリトクラシーという本田由紀先生が作った造語がありますが、簡単に言うと、今までは学歴(ここでは学校歴)が重視されてきた(メリトクラシー)が、それに加えて、コミュニケーション能力、リーダーシップ、問題解決能力など多様な能力が求められてきたと主張しています。

本田由紀(2005)『多元化する「能力」と日本社会―ハイパー・メリトクラシー化のなかで』 NTT出版

ある意味学校歴だけで決まるのは楽だったのかもしれません。

おわりに

これから、学歴(要するに院生)が求められる社会になっていくのか、それともハイパーメリトクラシーというように、コミュニケーション能力だとか問題解決能力のように、抽象的で評価しにくい能力が求められるようになっていくのか、はたまたその両方かはわかりませんが、どうやらとりあえず良い大学に行けば未来が安泰だとはいかなくなってしまったようです。


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