異世界に転生したい18歳は4割?異世界になぜ行きたいと思うのか

異世界転生・転移と呼ばれる小説群が流行っている。特に小説家になろうというwebサイトを中心に、いわゆるアマチュアな物書き(一般ユーザー)たちが、異世界を舞台に物語を描いているのだ。こうした異世界転生ものの流行に対して「なぜ流行っているのか?」といった議論は複数あるが、筆者が200作品ほど小説家になろうで作品を読んでみた結果の疑問は、「なぜ異世界に行きたいのか?」である。この「異世界」に非常に魅力を感じる何かがあるに違いない、そう考えた筆者は現代日本社会の状況と照らし合わせながら、異世界でないといけない理由を考察したいと思う。

異世界転生・転移とは何か

異世界転生・転移というのは何かということについて、既に多くの論調がみられるが、いわゆる仏教的価値観における輪廻転生の概念を、現世と地獄の往復ではなく、別世界(異世界)に転生(生まれなおし)をするという、魂の存在を前提とした世界観ということだろう。逆に転移は体はそのまま、別の世界に飛ばされる、いわゆる時間旅行(タイムトラベル)や空間旅行、宇宙旅行とも近い感覚と考えられる。この2つの違いは特に重要ではない、今回の考察で重要なのは、異世界という世界そのものであって、行き方はあまり問題ないのである。

そのため、あまり重要ではないが、もし仮に定義をつけるのであれば、異世界転生とは「現世と別世界という世界を異にした際に自我同一性をもつ状態で、姿形が異なる状態」であり、異世界転移とは「現世と別世界という世界を異にした際に自我同一性をもつ状態で、姿形が同一である状態」とここではしておく。

なぜ異世界なのか

小説家になろうに多くみられる、異世界転生・転移の物語群は、いくつかの特徴があると考えられている。津田によると、『「読んでいて気持ちよくなれる」ことに重点をおいた内容であるといえるかもしれない』と分析している。これは、いわゆるテンプレートといった枠組みが存在し、例えば、勇者パーティーから追い出されたが、実は優秀で追い出した元メンバーはひどい目にあう。平凡な主人公が、文明的に劣る異世界で現代知識を披露し、ハーレムを作るといった、紋切り型であるが、自分を見下した相手を見返したい・自分の知識をひけらかしたい・可愛い女の子にちやほやされたいといった、非常に強い欲望・願望を感じとれる物語群という分析である。

そして、テンプレートは同一の枠組みであるが、その中において作品同士の違いは、作者の経験・体験、思いの差異であると考えられる。こうした作品群を生み出している土壌として津田は、『「読者にストレスを与えない」ことを至上命令とする物語群を生みだしやすい独特の環境』があるとの指摘も、的外れな指摘とは言えないだろう。無論すべての作品ではないが、津田の指摘にあるように「気持ち良い」がこの物語群の特徴であろう。


しかし、「気持ち良さ」が物語群の特徴という指摘は「なぜ異世界なのか」という疑問には、答えることができていない。なぜなら、気持ち良さの追及であれば、現実世界でも十分に実現可能だと考えられるからである。例えば、ドラマ「半沢直樹」のように、企業社会における理不尽に対して痛快な下剋上作品、特に今まで偉そうにしていた相手を土下座をさせるようなやり返しはまさに「気持ち良い」作品であろう、他にも時代は変わるが時代劇の「水戸黄門」のように身分を隠し、揉め事を力と権力で解決する有様はまさに「気持ち良い」の作品であると言える。もっと言えば、知識をひけらかす話を書きたいのであれば、例えば、発展途上国などで井戸の掘り方でも披露した方が、非常にわかりやすく気持ち良さを感じるのではないだろうか。

つまり、現実社会でも十分に「気持ち良い」の再現が可能であることを考えると、単にストレス社会なので、手軽に忙しさの合間を縫った「気持ち良い」を求めて、スマホという媒体で簡単に読めるweb小説で、異世界転生をするのだという分析では不十分である。

誰が異世界転生したいのか

物語群が流行するということは、そこにはその読者層と深い関わりがあることは明白である。例えば、ライトノベルという物語群が中高生を中心とする若者に広がったと同様に、物語群というのは、一定のまとまりをもつ読み手の文化に影響を及ぼし、また読み手の社会的背景が物語群に影響を及ぼすというように、相互に影響を及ぼし合っていると考えられるからである。

では、小説家になろうの運営に取材をした記事から、ユーザー層を確認してみよう。

──ユーザーの年齢層や性別の割合はいかがでしょうか。
平井 ユーザー登録されている方々のデータしかないので、実際に利用されている層とは少々異なるかもしれませんが、割合としては男性が6割くらい。女性は確実なのが3割で性別を入力していない方が1割くらいです(※1)。
年齢層は20代が44パーセントで半分近く、10代が14パーセント、30代が24パーセントと、これでほぼ8割を占める計算になります。あとは40代が12パーセント、50代以上が6パーセントくらいでしょうか。

ユーザー登録をしなくても読むことができるため、必ずしも完璧な読者層とは言うことが出来ないので注意が必要だが、参考にするならば、20代が44%、ついで30代が24%、10代が14%と若い世代が続く、また男女比は6:3ぐらいと男性の方が多いが、女性も読んでいることがわかる。もっともおそらく女性向けと考えられる「悪役令嬢もの」といった、小説家になろうの中で男女の住み分けがあると考えられるが、ここでは、「悪役令嬢もの」も異世界に転生・転移するといった意味では同様であると考えられるため、男女の違いではなく年代に注目していきたい。

20代が最多でありついで30代であることを考えると小説家になろうのユーザー登録者は、いわゆる若者が多く、大学生もしくは働き始めた若手が多いといえるだろう。(高校生や中学生といった10代の層も十分にいると考えられる)

20代、30代と言えば社会から見ると最もエネルギーがあり、これからの社会を担い、社会を変えていく存在として期待がされている年代である。例えば、青年海外協力隊のように若い力を使って、発展途上国といった地域で己のエネルギーを存分に使うことができる時期である。しかしながら、どうやら20代30代は「気持ち良い」を求めて、現実世界ではなく、異世界に憧れを求めているようだ。そこには何があるのだろうか。

私たちは自分たちの社会をどう思っているのか

私たちが、自分たちの社会をいかに見ているのか各国を比較したデータをみてみよう。日本財団が調査している、18歳意識調査というデータがある。もちろん18歳なので、まだ20代、30代ではないが、その次に出す、13~29歳までの政府統計とも比較する材料としてあげる。

18歳意識調査2

出典:日本財団「第20回18歳意識調査」テーマ:「社会や国に対する意識調査」

このデータは日本の18歳を含む9カ国で調査したものであるが、すべての項目で日本は最下位となっている。1つ1つの項目を見ていくと。「自分は大人だと思う」29.1%、「自分は責任がある社会の一員だと思う」44.8%、「将来の夢をもっている」60.1%、「自分で国や社会を変えられると思う」18.3%、「自分の国に解決したい社会課題がある」46.4%、「社会課題について家族や友人など周りの人と積極的に議論をしている」27.2%となっている。

もちろん各国調査の場合翻訳の違いや、日本人がアンケートの際に遠慮して回答することはよくあることだが、それにしてもあまりにも大きな違いである。このことから考えられるのは、18歳の日本の子どもたちは、自分たちは今の社会を変えることもできないし、社会課題も解決できないし、そもそも社会の一員でも大人でもないという暗い絶望感である。

将来の夢を持っていない4割ほどの18歳は、今すぐ異世界転生して「気持ちよく」なりに行ってもなんらおかしくないだろう。ここで出てきた興味深いデータとして、集計方法として不確かだが、異世界転生したいと思ったことがある人の割合として、ニュースサイトしらべぇが10代を4割という結果を出している。

画像3

偶然であると思うが、10代の間に広がる現代日本社会に対する絶望感のようなものが異世界転生を促しているのかもしれない。

もう1つ、日本社会を取り巻く絶望感を表すデータとして、同じ18歳意識調査からこのような結果もある。

18歳意識調査

出典:日本財団「第20回18歳意識調査」テーマ:「社会や国に対する意識調査」

このデータでは日本人の18歳が日本という国の将来をどう思っているかについてである。驚くことに、良くなると思っている人は僅か9.6%と各国最下位となっており、悪くなる・変わらないを合わせると6割近いという、18歳の少年少女は日本という国家に対して非常に悲観的である。

次に政府統計をみてみよう満13~29歳の若者を対象とした『我が国と諸外国の若者の意識に関する調査 (平成25年度)』では、日本を含めた7カ国で調査がされている。

若者調査3

若者調査

若者調査2

どうやら18歳だけではなく、若者世代にも諸外国と比較すると、希望が感じられず、社会課題に対して無力感が漂っているようだ。

どうやら、日本社会で暮らす私たち(若い世代)は、自分たちの社会について暗雲が立ち込めているように思っているようだ。そして、それら課題を解決しようとはあまり思わず、社会の一員としてすら自分のことを認めていない、非常にネガティブな思考に陥ってしまっている。

確かに、この状況ではネガティブでどうしようもない現実世界から、希望のある異世界に行って「気持ち良い」を追及したい気持ちが見えてくる。しかし、なぜ私たちは課題を解決できないと思うのだろうか。暗雲が立ち込めていても、変えるだけの力は私たちにはないのだろうか。
これを、異世界転生・転移もののテンプレートに多くある「スキル」と「レベル」のシステムから考察してみたいと思う。

スキルとレベル、ステータスはなぜあるのか

異世界転生・転移のテンプレートの1つとして、多くの設定に組み込まれているのが、「スキル」と「レベル」、「ステータス」のシステムである。まさにドラゴンクエストやファイナルファンタジーといったゲームの世界によくあるようなシステムが、異世界転生・転移にはよく使用される。

【名 前】 アレン
【体 力】 E
【魔 力】 E
【攻撃力】 E
【耐久力】 E
【素早さ】 E
【知 力】 E
【幸 運】 E
【才 能】 蜿ャ蝟壼」ォ
【名 前】 クレナ
【体 力】 S
【魔 力】 C
【攻撃力】 S
【耐久力】 A
【素早さ】 A
【知 力】 C
【幸 運】 B
【才 能】 剣聖

出典:『ヘルモード ~やり込み好きのゲーマーは廃設定の異世界で無双する~』 第12話~第13話

LV1
HP:+3
MP:+1/33
攻撃:+3
防御:+3
体力:+3
速さ:+3
賢さ:+3
【称号:E級勇者】
【固有スキル:状態異常付与/使用可能】
【パラライズ麻痺性付与:LV1/消費MP10】
【スリープ眠性付与:LV1】
【ポイズン毒性付与:LV1】

出典:『ハズレ枠の【状態異常スキル】で最強になった俺がすべてを蹂躙するまで』 MP残量、リスク、覚悟より

このような作品によって、スキルやレベル、ステータスは数値で表されたり、S~Fといった記号で表されたりと多様であるが、明らかに上下の序列化させるときに使われることが多い。

気になるのがこれらの概念がなぜ導入されるかである。私たちの現実世界において、ステータス、スキルといった概念を数値化することは非常に難しい。例えば、あなたは小説のスキルがあると言われた時に、数値化できるだろうか?確かに明らかに上手い下手のようなものがあることは間違いない。しかし、その基準は非常に不明確で、主観的であるものに過ぎない。私たちの世界で数値化された、スキルというのは現在、偏差値などの学歴や、点数かされる学力である。

偏差値やテストの順位などの評価は、私たちの周りに何らかの基準を設けて垂直的に、上から下まで順番をつけることで溢れている。学校だけでなく、社会(企業)でも、営業成績や店舗の売上成績、個人の勤務態度評価など、すべて上から下まで評価されるシステムが整っているといえるだろう。
こうした、特に教育における評価システムについて、教育社会学者の本田は、「垂直的序列化」と「水平的画一化」という二つの言葉を組み合わせて説明している。

本田によると、垂直的序列化とは、相対的で一元的な「能力」に基づく選抜・選別・格付けと表現しており、例えば学校における「学力」であるとか、知的側面以外を重視する「生きる力」や「人間力」をあげている。
前者を「日本型メリトクラシー」、後者を「ハイパーメリトクラシー」と名付けているが、詳しくはここで説明しない。


水平的画一化とは、特定のふるまい方や考え方を全体に要請する圧力と表現しており、まさに学校の評価にあった「関心意欲態度」といったその人のふるまいを画一化していくことである。

出典:本田由紀(2020)『教育は何を評価してきたのか』岩波新書 20頁~21頁

つまるところ、垂直的序列化は、例えばテストで順位をつければ当然上位者と下位者を作り、さらに、2位の人は1位を目指そうとするといった、上位へ行こう行こうとする競争が生まれる。競争が激化すれば当然、落ちこぼれを大量に量産することになる。さらに水平的画一化(例えば髪色は黒であるべき、宿題を出さない人はダメといった)によって、画一化されない個人を排除する結果にもなりうる。

それでは、スキル、レベル、ステータスはどうだろうか、これもまた、垂直的序列化となっている。レベルが1とレベルが100、FランクとSランクではどちらが強いのかというのは、明白である。しかしながら、そもそもこれは「強い」ことが「良い」もしくは、「強くなりたい」という暗黙の了解に基づいている。なぜなら「気持ち良い」作品群である異世界転生・転移において、強いという垂直的序列化のトップになることが気持ち良いこととして認識されていることに他ならないからである。

さらに、水平的画一化という意味では、異世界の多くが、レベル、スキル、ステータスという画一化された価値観で世界が構築されている。本来、スキルやステータス、レベルといったのは特定の視点からの価値観にすぎない。つまり、評価者がいなければ成り立たない概念である。

それでは、異世界において、評価者とは誰か、それは「神様」である。異世界転生・転移において、なぜか神様の存在はよく登場し、主人公に「チートスキル」と呼ばれる、優遇をすることがある。これは、評価者である「神様」というルールを作る側(学校であれば校則を作る校長先生をはじめとする先生たちや、学校というカリキュラムを作る文科省並びに教育委員会といった画一化をする人たち)が、私たちに手を差し伸べ、水平的画一化された中で、垂直的序列化の上位に位置するところに、おいてもらえるのである。こう考えると確かに「気持ち良い」だろう。(無論、神様そのものを倒そうとする話もあるが、大抵そうした神様も、スキル、レベル、ステータスという画一化の中に収まっており、垂直的序列化の上位者として神様が登場していると考えられる)

レベル、スキル、ステータスから異世界転生を考察すると、私たち既に十二分に垂直的序列化と水平的画一化に慣れ親しんでいるといえる。しかしながら、垂直的序列化と水平的画一化が進んだ現実世界は、既に国家の未来が暗くまた、垂直的序列化と水平的画一化により雁字搦めにされてしまっているため、自分たちでこの社会を変えていく望みは非常に薄い。そもそも、水平的画一化によって、「態度」が大切にすることが評価される社会で、社会の課題を解決するために動くというポジティブに生きることが、難しいのであろう。

そんな社会に生きる私たちが、「垂直的序列化」と「水平的画一化」に染まってしまったまま、「気持ち良い」のために「能力」の基準を変え、環境を変え、新たな「垂直的序列化」の勝ち組を目指してしまっているのではないだろうか。

ここまでのことを総合すると、異世界を望む理由も、異世界でどのように気持ちよくなっているのかも説明ができているのではないだろうか。

つまり、垂直的序列化と水平的画一化によって、雁字搦めになった現在の日本社会であるが、この方法は高度経済成長期には、十分に機能していたものと考えられる。しかし、経済的な停滞と社会の成熟化からくる、国家の停滞・衰退が始まると、序列化と画一化は将来を不安にさせ、社会の一員という気持ちや、社会の課題を解決しようという気持ちを押さえ込んでしまう。もはやどうしようもない、現代の社会から希望のある異世界へと望むのだが、垂直的序列化と水平的画一化は全く抜けておらず、序列化と画一化の中で序列の上位へとなることで「気持ち良い」をかなえているのだ。

注意してほしいのは、この主張は決して、異世界転生・転移は現実世界から逃れる安易な逃避行動であると述べたいわけではない。むしろ異世界転生・転移は、時代の要請に応じて生まれてきた、人々の希望の物語であり、同時に現実世界の社会課題を映す鏡としての役割をもつ物語である。

まとめ

もし異世界転生・転移をしたら、何をするだろうか、このような物語を読むこと・創作することは、単に気持ちが良いだけではなく、書き手・読み手にとって、日々の不満やストレスそして希望を相対化することができる可能性をもっている。これらの相対化はもしかすると、現実世界の垂直的序列化や水平的画一化の価値観から乗り越える可能性をももっており、新たな希望や幸福の価値観を自分たちで醸成するという希望がある。

つまり、現実世界に異世界を作ることも可能なのだ。もっとも筆者は早く異世界に転生または転移がしたいのだが。

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