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実存主義は結構すきだ

あんまり哲学には詳しくないし、関心もないのだけれど、実存主義を倫理政経の授業で知った時「ええやん」と思った。

実存主義の姿勢をものすごく噛み砕いて説明すると、「真理とか神様とか答えでないじゃん。なら実用面からアプローチしよう」という考え方だ。

例えば「神様はいるのか、否か」という議題。「神様」がその人の支えになり、人生を豊かにするなら「いる」し、逆に無益or有害と感じるなら「いない」という結論になる。

「神の有無」について議論するとほぼ百パーセント水掛け論が起こる。「いる」ことも「いない」ことも決定的に証明できないからだ。激論になって双方疲れておしまい、という不毛な事になってしまう。

もう1つ例を挙げてみる。「なんで人を殺してはいけないのか」だ。これも実存主義の話の例としてよく出てくる。

この場合、「人を殺してもいいとされる社会」を想像するとわかりやすい。そんな社会では常に後ろに脅えて生活しなきゃいけない。だから「人殺しはダメ」ということを教化し、常識にすることは安心な社会を作るために「有益」と言える。これが「なんで人を殺してはいけないのか」という問の答えだ。


道徳観や宗教観は人によって考え方が千差満別だし、ある程度こだわりを持っている。もし相手から自分の意見を否定された上、理由が「そんなの常識じゃん」なんて言われたらただただイラッと来るだけだ。「理解できないなら人としておかしい、理解出来ん」みたいな考え方になると差別や優生思想にも繋がりそうな危険がある。


実存主義は曖昧な要素(真理、道徳、常識とか)をを一旦脇に置いといて、実利的に捉えようとする。そういった分かりやすくて、会話を放棄しない態度が結構好きだったりする。


《追記》(読まなくていいです)

さっきの「人を殺してはいけない理由」の話、「証明したのは『人を殺してはいけないと世間で言われてる理由じゃないの?』」と思った人もいるかもしれない。私も読み返してそう思った。

ここからは私の想像になるけど、多分この「なんで人を殺してはいけないの?」と考えた人は「人を殺してはいけない」ということに疑問を持っている。でも、「人を殺してはいけない」というルールの存在は知っている。社会の中で自然と気づいたからだ。

ならこの質問者の疑問「なんで人を殺してはいけないの?」は「なんで人を殺してはいけないと言われてるの?」と同義と考える事ができる、、、んじゃなかろうか。なんだか難しい話になってしまった、、、

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