山は、動く。

あなたは、卒業した高校の先生を「全員」覚えているか?
「全員は無理」と言う人がほとんどだろう。

これは、逆もまた言えることで、
「あなたを直接知っている」先生は、
一年時では三分の一以下、
二年時で三分の一くらい、
三年時で二分の一いるかどうか。
これを頭の隅において、聞いて欲しい。

話は、私がいわゆる問題校に赴任していた頃に戻る。
どんな学校でもあることだが、
特にそういう学校だと生徒の「留年」「退学」に担任として直面する機会が多くなる。

ここに、二つの考え方がある。

私が担任した生徒で、退学=高校中退した生徒だが、
生「俺、本当は自動車系の高校に行きたかったんす。親の意向で普通科に進学したけど。」
私「うちの学校をやめたら、その高校を受け直す?」
生「いや、もう手遅れっすよ。」

生徒の中にはどうしても学校生活に合わない、学校生活に自分を合わせることができない子がいる。
そういう生徒は、早く別の進路に進ませるべきだ。
でないと、高校で無駄な歳月を浪費することになる。
と、いう、考え方。

たとえ結果的に進路変更=中退することになるとしても、
生徒が納得して、次の目標を得るまでは、退学させるべきではない。
と、いう、考え方。

この二つの間で、ケースバイケースで揺れているのが実情だと言えるだろう。

そして「留年」。

平たく言えば「その学年を修了したと言えるのか」である。
各教科で審議し、
各学年で審議し、
学校全体で決定する。

「留年」したら「退学」する生徒も多いので、機械的に決めるわけにはいかない。
やっかいなのは、
「低成績」には「怠学」「素行不良」が大抵付随していることだ。

私が初めて担任したクラスで、会議にかかる生徒が出た。
学年会議でもめた。賛否両論で。
審議は学校全体の「成績会議」にゆだねられることになった。

私は「成績会議」の直前に、教科から圧力をかけられた。
会議で、言いたいことが言えなかった。
その生徒は、留年した。
会議直後、学年主任から言われた。
「あなたは担任としての責務を放棄した。あなたが腰砕けにならなければ、救う道はあったのに。」
そんな道があるなら言ってくれ、と、思ったが、
私も、圧力をかけられたことを会議前に相談できなかったんだから、
主任がその手を打ったのも直前だったんだろう。

生「アタシ、留年して学校続けられるほど強くないし。」
生徒は退学した。

今でも忘れられない。教師をやめた今でも。後悔しても遅い。
そして、私に圧力をかけた先生、あなたのことは恨んでいます。死ぬまで忘れない。

だが、この経験が私の原点となった。

翌年も、私が担任したクラスで、会議にかかる生徒が出た。
今度は賛否両論どころじゃない、その生徒を知る先生のほとんどが「進級反対」。
私は、「先生がなぜ彼をそこまでかばうのかわからない」とまで言われた。

その時、ある先生が、
「ちょっと待って下さい。審議に上がっている生徒の事を私は知りません。そういう先生がこの場にも沢山いるのだから、担任の口から、説明してもらえませんか?」
と、発言した。

そう、担任でも副担任でもなく、教科を担当もしていなければ、その生徒の事を直接は知らないのである。

私「この生徒は、上の学年で留年して、一年生を二回やり、何とか二年に進級した生徒です。
留年生はクラスで恐れられることが多いですが、そういうタイプではないので、どちらかと言うとクラスで軽く見られています。
最初の一年生の時に同じクラスだった友人が、やはり留年していましたが、9月に退学しました。
そのことは彼に大きなショックを与えています。
また、彼には年子の弟がいて、隣の高校の二年生です。
自分は留年したから、二年生。弟は普通に進級しているから、二年生。
そういう環境で、学校に来るのが、どれだけ辛いか想像してみてください。
私は何度も本人に『卒業の意志があるのか』確かめました。
彼は必ず『卒業したいです』と、答えます。
今度留年したら、彼はおそらく退学します。
それでいいんですか?!
学校として、学年として、教師として、いいんですか?
御再考願います。」

学年会議の結果、この生徒は「進級させる方向で成績会議にかける」と、決まった。

私は、後悔したくなかっただけである。
しかし、この経験で学んだ。
大半の、「当該生徒を直接知らない先生」、その「教員魂」を動かすことができれば、

山は、動く。

「生徒を直接知っていて進級に反対している先生」だって、「深い事情」を知れば、動く。

その生徒は一年後無事に卒業した。

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