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半端な帰国子女の悲哀

子どもが「帰国子女」になるという保護者の方へ。
どうか「日本語力」をしっかりつけるように気を付けてください。

私の最初の赴任校はいわゆる問題校で、
生徒の進級・留年に関して揉めることが多々あって、
すっかり懲りた私は、
転勤しても、自分の手が届く範囲、
すなわち、担任しているクラス・教科担当しているクラスの、
「進級がヤバいかもしれない」生徒は、普段から万が一の切り札を取っておくようになった。

赴任先は、中堅校、一応進学校と目されている学校である。

さて、その進学校には、入試に「帰国子女枠」があった。
だから、帰国子女が多かった。
「帰国子女」と言うと、「バイリンガル」「優秀」というイメージがあるかもしれないが、
そうはいかないケースが多々ある。

困るのは、「日本語力」が劣るケースである。
家庭で日本語生活をしているから、日本語は充分、と、思われるのだろうか、
「日本語教育」を系統立ててしていない場合、

彼らは、漢字が書けない。

漢字は、「部首」というパーツで成り立っており、
我々は無意識に漢字をパーツ分けして、理解しているのである。
「音」を表すパーツが共通しているものは同じまたは似た「音」で読む。
そういう意識を持たない彼らには、漢字は複雑な文様である。

微妙に異なる文様を、場面に従って使い分けろ。

さらに、漢字で慣例となっていること、例えば、
命令の「令」は、最後の縦棒が「、」でも正解なのはなぜか?
この「令」で通用するルールが他の漢字では通用せず、
止め・はね・はらいが異なるだけで不正解になるのはなぜか?

そういう世界に彼らはいる。そして、その疑問を言語化して発することができない。

それなのに、テストで漢字の点数が低いと、
「漢字は暗記だから努力次第でできるはずなのに、その努力をしていない」
と、思われるのである。

日本語力の低さは、全ての教科の理解力の低さにつながる。
ほぼ全教科赤点で卒業があやうい、という生徒が会議にあがった。

彼は、幼少期から非英語文化圏の国を転々としており、
日本語のみならず英語力も低い。
だから、英語も赤点なのである。

学力が低いだけで卒業不認定になることは、あまりない。
問題は、低い学力を補う課題を各教科で出しているのに、
彼は提出していないのである。
これは、本人の努力不足ではないのか?

それが争点となった。

ところで、彼が「ほぼ全教科赤点」と言ったのは、
私の担当教科の「現代文」が赤点ではなかったからである。
それを説明することになった。

私「この生徒は、大変に国語力が低く、
テストでは、記述欄も回答しているのに、どうしても部分点もあげられない答えしか書けません。
しかし、年度の後半から文学史の小テストを授業でやり始めたところ、
彼は、『このテストは自分にもできる』とわかったらしいんですね。
毎回着実に点数を伸ばしてきて、
卒業試験の文学史の問題は満点でしたので、現代文の成績は文句なく合格です。
万年最低点からも脱出しました。
そうしたら、最低点のクラスメイトがなんと言ったと思いますか?
『え?私アイツより下なの?ウソ!だってアイツ

 日本人じゃないじゃん』

そういう認識の中で彼は学校に来て、授業を受けて、テストに回答しています。
努力していないと言うことはありません。
他教科の課題は、出さないのではなく出せなかったのではないでしょうか?
ほぼ全教科ですし。」

その生徒は、課題ではなく補習を受けて、卒業することとなった。

また、別の年。

テストの成績が全教科に渡って低め、赤点教科も多く、何より普段の授業をサボる、
という点が問題となった生徒がいた。

私は、彼女が書いた作文を会議で読み上げた。
「将来の夢」がテーマである。

「高校に入った時、私には、秘書になると言う夢があった。
でも、すぐにそれは無理だと分かった。
私の英語の力は秘書になれるレベルじゃなかった。
三年間のアメリカでの生活は、無駄だった。
だから、私には将来の夢はありません。」

それだけで充分だった。
彼女が、どんな気持ちで高校生活を送ったのか。

赤点の教科のサポートは教科にゆだねられ、その生徒は卒業した。

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