パラオにて農家の息子飢えて死すーーもしもーー
「もしも」という単語を聞くと思い出すのが、あるドラマの冒頭だ。
ーーあの時、薬があれば。
主人公の独白で始まる。薬の価格破壊のドラマだったと思うが、子どもの頃見たので題名や詳細は覚えていない。
あの時、とは、戦争中のことだ。
私も祖父が戦死している。正確には「戦病死」だが。
父「あとから色々聞いてみると、(祖父は)ありゃあ『餓死』だなぁ。」
祖父は、農家の長男だ。
農家の跡取りは、出征は二回まで、という不文律があったそうだ。
だが、祖父には三度目の召集令状が来た。
祖母「三度目の赤紙が来たときは、『なんでだ』って泣いてただヨ。」
南方では、兵士は食料を自給自足しながら戦う作戦だったと聞く。
やせた土地で何ができるというのだ。
それでも、
もしも、豊かな土地があれば。
農家の息子の祖父だもの、作物を作ってみせただろうに。
祖母への手紙には、ヤシの木の絵が描かれていた。
もしも、祖父が生きていれば。
寡婦の家だとなめられて、畑の境界線を少しずつずらされることもなかった。
気が弱い長男に代わって、次男の父が境界線を元の位置に直し続けることもなかった。
次男の父は、農家は継がない。就職する。
もしも、祖父が生きていれば。
「片親だから」が理由で、就職試験に落ち続けることはなかった。
父は大学で活躍したラガーマンで、成績も優秀だったもの。
父は、公務員になった。母と見合い結婚した。
母の家は商家だ。
姉妹は全員商家に嫁いだのに、母だけは「商才がない」と、公務員の嫁になった。
もしも祖父が生きていたら、
父と母は結婚していない。
私も生まれていない。
それでも。
祖母は亡くなった。
私の父も、農家を継いだ伯父も、もう鬼籍の人だ。
あの時の「もしも」は、風化しようとしている。
それでも。
八月は、重い「もしも」を背負っている。
いつまでも。
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