生きにくさ&自分らしさ を感じた出来事

職場での出来事
大きなイベントが終わり、職場のトップとナンバー2がねぎらいの言葉をかけに職員室に来てくれた時の話

2人が部屋に入ってくると、次々に職員が立ち上がり、ねぎらいの言葉を聞いていた。

気づくと
10数人いる職員の中で
座って話を聴いているのは私だけ。
でも立てなかった。。

「気づいたんなら立てばいいじゃん。簡単な話でしょ。」

おっしゃる通りなんですが、
それができないのが、私が生きにくさを感じる所以なんです。

深く考えず、すっと立てればどれだけ楽だろう。
それは思います。

でも、私の中で整合性がとれなかったんです。
何と整合性がとれないのか?

・子どもが職員室に来て言葉を交わすとき、子どもは立ったまま、私は座ったままに話をしている。なのに上司の話を聞く時に、起立すべきなのか?

・上司とは立場は違えど、子どもの育ちを支える「仲間」だと思っているので、尊敬はしても尊敬しすぎないのが、自分のスタンス。
役職に上下関係があるにしても、何かあれば子どもの支援者同士、臆することなく話し合いができる関係でありたい。という考え方

昨日も書きましたけど、自分めんどくさいやつなんですよ(笑)
同調圧力を感じたら抵抗したくなるし、
足並みを乱す存在なんだというは自覚があります。


ですが、自分自身納得しないと、動けないんですよね。
ものごとを深く考えることは、自分の強みでもあり、自分を苦しめる元凶でもあるんですね。

僕が僕であるために(尾崎豊風)
「嫌われる勇気」「自分を貫く強い気持ち」
は持ち続けなければならないんだろう。

くじけそうな時、心が折れそうな時には、
「私みたいな職員が一人くらいいてもいいじゃないか!」
(心の中で)そう叫びながら、自分を保っていきたいと思います。

こうやって記事を書くことで、
言語化することで、
・何にもやもやしていたのか?
・その要因はなんなのか?
・で、今後はどうする?

ということがはっきりしました。
頭の中がクリアになってきました。

個人的な思考整理のための記事を最後まで読んでくださった奇特な方、ありがとうございました。
そんな方の何かのお役に立てたとしたら、私にとって最高の幸せです。

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