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ホロコースト記念館 その2

ということで、広島県福山市にあるホロコースト記念館に行ってきました。

どうして、日本にホロコースト記念館があるのか?
私がまず疑問を持ったこと。

日本人の牧師さんが、偶然「アンネの日記」のアンネ・フランクの父オットー・フランクさんと出会ったことをきっかけに、ホロコースト記念館の設立に向けて動き始めたとのこと。1995年に設立。

記念館には、
アウシュビッツ強制収容所で、実際にユダヤ人が着せられていた衣服
ガス室で亡くなった子どもの靴
ガス室に使われていたレンガ
兵士に銃を向けられ、両手を上げる子どもの写真

数々の生々しい展示品に心がざわつきました。

どれだけ尊い命が奪われたのだろう。
ユダヤの人々は、どれだけの絶望、無力感、無念さを味わっただろう。


アウシュビッツの兵士にも思いを馳せてみました。

兵士は、この時どんな心境だったのだろう。
同調圧力もあっただろう。この状況だとやるしかないよな。
不安や恐怖もあっただろう。
感覚を麻痺させないとやっていけないだろう。
戦後、どれだけ罪悪感に苦しめられてきただろう。

人間は簡単に残酷な生き物になってしまいます。
兵士は加害者でもあり、時代の被害者でもあると言えます。

人間は、弱くて残酷な生き物だなぁとつくづく思いました。
かく言う私も。
そのことに自覚的になり、生きていくこと。
それが、歴史から学ぶということなんだろう。

歴史は繰り返す。
それは厳然たる事実だと思います。

不安や恐怖に支配されると、
人間は、仮想敵を作ることで、一致団結しようと試みます。

いじめ然り
差別然り

コロナ禍だってそうでした。
自粛警察が正義を振りかざし、
コロナに感染した人の個人情報をネットに上げ
営業している飲食店に悪意に満ちた張り紙をし
県外ナンバーの車に嫌がらせをする

マジョリティーがマイノリティーを袋叩き

時代は変わっても、人間のやることは同じ
国や地域が違っても、人間のやることは同じ

きっと人間の本質なんだろう
人間は時に素晴らしく、時に残酷

展示品を見ながら、
そんなことを考えていました。

館内は撮影禁止でしたので、館外の写真をば

アンネ像




今までに
広島原爆資料館、長崎平和記念資料館
知覧特攻平和会館、ひめゆりの塔
福山ホロコースト記念館
を巡りました。

あの戦争はなんだったのか?
どうして人間は過ちを繰り返してしまうのか?
とても興味があるんです。


最後まで読んでくださりありがとうございます。















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