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極楽とんぼな息子と、十字架を背負った母

先日89歳の祖母が亡くなった時の話
全盲の叔父のスピーチが印象に残っています。

「私は極楽とんぼのように日々楽しく生きています。
一方、全盲の私を産んだことで、母には十字架を背負わせてしまったなと思います。」

極楽とんぼ・・・事の重大さにまったく気づかず、のんきに構えている者のこと。極楽にすむトンボの意で、極楽では捕まえられる心配がないのですいすいと飛んでいるということから。そのような者を軽くあざけるときに用いることば。

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叔父は、親元を離れ一人暮らしをしていますけど、
祖母は、叔父のことが何かと気になっていたようで、
以前の記事より引用します。

話は変わり
私には全盲の叔父がいる。
祖母に育てられた私。
祖母はもうすぐ90歳。認知症で、私の父親のことも分からなくなってきた。
でも、叔父のことは気になっているようで、
「とみ(叔父)を頼まーよー」と面会に行くと口癖のように言っている。
祖母はボケても、障がい者の親を貫いている。
祖母から聞いた話を紹介させてください。
・叔父の目が見えないことが分かると、祖母が親戚から責められたこと。
・妊娠中にレントゲンを撮ったことが障がいの原因になったのではないかと自分自身を責めた事。
・代わってやれるなら、私の目なんかくれてやるとずっと本気で思っていること。
・盲学校に通うには寄宿舎に入らなければならず、幼い我が子を泣く泣く預けに行ったこと
を繰り返し何度も聞かされた。

叔父の障がいが、夫婦喧嘩の原因になることも。
祖母「あのおじいさん、足が悪いのに、町内の旅行には行くらしいぞ」
祖父「とみが言われたら、どんだけ辛いんなら。考えてみー」と怒鳴る。
祖母(夫婦の会話なのに・・・)
今よりも障がい者への偏見や差別、風当たりがキツい時代。
辛い思いをして、泣き明かした日も無数にあるんだろう。
祖母の話、つまりは障がい児の親の声を聞きながら育ったこと、自分の土台になっている。

「子離れしてください。」 できないから苦しいのに・・・より引用

叔父さんがスピーチで語ったように、障がい者の母である十字架を背負ったまま生きてきた。

「母には申し訳ないくらい心配かけたけど、
僕は僕で楽しく生きていますよ。」

叔父さんの本音に近いように思います。

職業柄、何百組もの親子を見てきましたけど、
その経験からも、同じことを感じます。

親が思うほど、子どもは気にしていない。
親が思うよりずっと子どもは幸せだ。

そうは言っても、罪悪感をぬぐえない親の気持ちも理解できます。
祖母から教わったこと
障害児の母としての生の声を聞きながら育ったことが、
私の原点となっています。

叔父が、亡くなった祖母の顔を撫でながら、
「えらい小さくなってたんだなぁ。」
と言葉にした時、
こみ上げるものがありました。

少しでも十字架から自由になれるよう
保護者やご家族のお力になりたい。

祖母の死を受け、
思いを新たにしました。

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