IQ検査のススメ①

「夫がハッショww」というお話に答えを出してしまった私。
結果IQは125、言語性IQは131 動作性IQは112あった。発達グレースレスレだがどっちも100超えなので診断は出たりしない。
自分が正常ならおかしいのは相手とばかりに「ハッショはおめぇだ!ご飯!」なんて無意味な言い返しをする気にもならず

検査結果を「お前IQいくつ?俺130w」「IQ130の実況者w」みたいなバカどころかカス以下のカードバトルにしか使えない自分にガッカリするばかりだった。

ではなぜ自慢げにIQなど語り始めるのか
悩んでる人に検査を勧めたいからである。
ある意味で自分の人生の答え合わせが出来る。

能力バランスが悪いと仕事の評価が低くなりがち

特性は仕事の悩みと直結しやすいと考える。
おそらくだが、言語性優位の若い頃の私の印象は「話ほど仕事は出来てない」「生意気」だったと思う。
言語能力は倍速出るが、実務能力は等速である。
鼻につく賢さはミスを探されやすい。
「賢いのにバカ」みたいな評価に陥りやすいのではないかと推測している。

鼻につく理由は「自分を基準に考える」からだと思う。
平均から外れると比較対象が少なくなりがちで自分を基準に考える傾向は強まる。

…→鼻につき人物評価が低くなる→自己評価が下がる→自分にすらわかることがわからない人が理解できなくなる→人をバカにしてるように映る→…
結果、この繰り返しが起こる。

「自分を基準に考える人物は悪だ」というような風評はネットにあふれかえっているが
「客観的基準で考える人物」の方が稀有で特殊でそんなことは実践不可能に近く、単に「自分の基準で考えても大抵は標準から大きく外れない」だけなのではないかと私は思う。

特性が人間的問題にされやすい

比較的孤立しやすいとも言える。
夫婦生活ですら「あの人は発達障害かもしれなくて、異常に理屈にこだわる」くらいの解像度で理解されるのを考えると、赤の他人がどのように自分を見ているか40年生きてもはっきり言ってまるで想像がつかない。恐ろしさまである。
他人の反応に合わせて振る舞いを調整した結果強く見えるようであったり、賢く見えたり、謙遜や気遣いをしているような形に行き着くだけで
本当のところは単に覚えた反応を吐き出してるにすぎない。

理解の特性が違うだけのはずだが「性格の問題に落とし込まれやすい」というのはあるのではないかと思う。
賢いとうっすら嫌われるというのは実に頷ける。何を考えてるかよくわからないのだと思う。(僕はそこまで極端な数値ではないが。)

辛さの源の共通項は自分は普通だと思っていること

能力バランスが悪い場合に「自分では普通にしてるつもりなのに全然理解してもらえない」という症候が仕事/人生に共通して現れてくるのではないかなと思う。
どれだけ検査をしたところで苦しさなど消えるわけはなく、単になぜ苦しいのかがわかるにすぎない。
「自分が可哀想」だと立ち止まるのが検査結果の一番有効な使い道なのかもしれないが、理解して歩かなくては生きていけない。

なぜ人から見て奇異に映るのか
「このくらい話せればこれくらいできる」という他人が持っている一般的な尺度から外れているからである。

優れているということも直視できるべき


自己肯定感が極限まで低くなった若い自分にとって自分の姿を直視するということは「自分の劣った姿を目を逸らさず見る」ということに他ならなかった。
結果カウンセリングに年単位で通い「なんか褒められずに育っただけで普通っぽいですけどねえ」(意訳)みたいな結論を得た。
数十万払って自己観察スキルを勉強しただけでちっとも生きやすくはならなかった。
今になるとなぜそうなったか理解できる。
「劣っている能力が平均値だったから、自分のダメな面に目を向けても得るものがなかった」のである。

自己観察をする中で「優れている自分の姿」も「劣っている自分の姿」と同じように直視できるべきだと思う次第である。
そしてそのための材料は普通に生きているだけだと集まりづらく「めっちゃ頭悪いのに賢いと思ってる人」と自分の見分けをつけるのはかなり難しい。

無益な賢さは悪とされやすい中で「自分の賢さを認める」ことは難しく
無意識に「自分は全然そんなことなくて」と振る舞わざるを得ない。

だけど本当は「いや俺は賢い。周りはわからなくても仕方ない」という方が正しい。人間として強いし、何より人にも自分にも優しい。

そういう強さや勇気を出すために、バランスが悪いと思う人には検査を勧めたい。
賢いわりに平凡で、何も生み出さなかったとしても
それはそれとして幸せに生きれるべきであると僕は思う。

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