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中国の話2

1993年3月から、1996年7月まで、北京の語言学院(現:語言大学)へ留学していた、ばななです。

さて、そもそも私は何で中国に興味を持ったのか?

Twitterでも何回か呟いていますが、主な理由は3つ。

1.小中時代、ジャッキー・チェン(成龍)の映画が大流行。

プロジェクトA(A計劃)をテレビで観て、大のジャッキーファンに。

2.1と同じ頃、母が香港に行ったり、中国へ旅行に行き、その話を聞いて魅力的に感じた。

母が香港に旅行へ行ったのは、1985年ごろ。香港土産に、カメラを模した、中に香港の風景が印刷されたスライドを買ってきた。シャッターを押すと、香港の観光スポットなどが切り替わる。

初めて接した異国に、とても興奮した。

2度目の大陸訪問は、1987年とか88年くらいだったと思う。まだ天安門事件の前。

個人の旅行ではなく、団体旅行で、母が言うには国賓レベルの歓迎ぶりだったと言う。(本当か?)

天津から北京に大型バスで入り、長安街を大型バスで通ったとのこと。

滞在したホテルは北京貴賓楼飯店だった記憶があるが、違ったかもしれない。

当時、長安街は車は殆ど走っておらず、大勢の人民服姿の人々が自転車に乗って走っていたとのこと。カラフルを服は着ている人はいなかったそうだ。

人々は素朴で、自分が若い頃過ごした日本みたいだ、と言っていた。どこへ行っても歓迎され、赤いスカーフをした小学生が赤い花を降って、歌ったり踊ったりしてくれたそう。

極めつけは、人民大会堂の中、友好姉妹都市のある省の部屋に通され、その省の人民代表(おそらく。違うかもしれない。)と通訳を介して懇談したとの事。

まぉ、その時はあまり理解出来ていなかったけれど、とてもすごい事なんだ、と言うことと、写真で見る素朴な国へ行ってみたいと思うようになった。

3.漢文に出会う、中国の歴史に触れる

今思うと、訓読文にした時点でもう日本語に翻訳された様なもので、純粋な中国語とは違うのだけれど、漢文が大好きだった。

一度聞いたら訓読文は書けるし、意味もすらすら入ってくる。テストの点も漢文だけ良い。あれ?これもしかして英語よりいけてるぞ?

古文なんかチンプンカンプンだけど、漢文だけは点数が高かった。それで、かなり調子に乗った。

その上日本の歴史には古代中国は外せない。漢字も中国から来たものだし、遣隋使や遣唐使を派遣していた。

特に阿倍仲麻呂の眠る西安に行ってみたい!

そう強く思った。

しかし、123の理由がありながら、同時にあと2つの夢もあった。

アニメーターと考古学者。

アニメーターは、テレビで風の谷のナウシカを観て以来、高校生までなりたかった職業の一つだった。

考古学者は、小中で吉村作治先生がエジプトでピラミッドや死の谷での研究をされており、テレビで頻繁に特集をしていた。

しかし、高校の進路を決める時、担任から「考古学者になりたいなら、4大出ないとな。お前の成績だと相当頑張らないと…」と言われたので、諦めた。(諦めるんかい!)

アニメーターも、両親に大反対され、断念。(意思弱すぎ)

消去法で中国語を選ぶことになった。

初めは専門学校へ行くつもりだったが、母が猛反対し、高校の担任に相談したら、私の成績だと2つしか選択肢が無いと。

北陸の大学(4大)か、隣の県の大学か。

母は実家から通えるので、隣の県が良いと。

私は、実家より雪の降る寒い所で4年も暮らすのは無理…と言うことで、隣の県の大学を志望する事になった。

ちなみに、この担任はすごく良い先生で、英語の成績が悪すぎる私に、1学期だけ英語頑張れ、アドバイスしてくれたり、

うちの高校ら志望大学の指定校だったのだか、英語専攻に1人希望者がいて、枠が無かったのにも関わらず、中国語だから行けるかも。と、志望大学に掛け合ってくれたりしたのだ。

先生の多大なる助力があり、私は志望大学にわりとすんなり入学する事が出来た。

ありがとう、S先生!

大学時代の勉強については、また後日。

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