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中国の話1

プロフィールにも書きましたが、

私は1993年3月から1996年7月まで、

中国は北京、語言学院(現:語言大学)に留学していました。

当時、バブルが弾けた後でしたが、まだ世の中浮かれている感じがあり(就職氷河期は始まっていましたが)、欧米至上主義的な雰囲気もありました。

うちの大学は(詳しく書くと身バレするので少しボカして書きます)、英語専攻とフランス語専攻と中国語専攻があり、定員の比率は5:4:1くらいでした。

中国語専攻は募集人数42人。私は数少ない中国語専攻でした。

学内では本当に肩身が狭く、付属上がりの女子が多いので、バブリーでした。

当時、ラルフローレンが流行していたのですが、英語とフランス語の子は洋服、靴下、バッグ全部ラルフローレン。

私は田舎者で、ブランド品なんてパチもんしか知らず、しかもそのパチもんがブランド品を模していることすら知らないと言う感じでした。

中国語専攻の子は4人くらい派手な子はいましたが、ブランド至上主義ではなく、気に入ったものを身につける感じの子達でした。

なんか話しそれました💦

とにかく、大学に入ってラルフローレンを初めて知り、同時にそれがすごく高いブランドと知りました。

なので、大学内では一目で英語なのかフランス語なのか中国語なのか判明してしまうと言う(笑

そんな状況だったので、就職せずに留学する、と周りに言った時の反応たるや。

親戚のおじさん達「おー、いいぞ、いいぞ。これからは中国の時代だ!」

小・中・高の同級生「物好きだね」

大学クラスメイト「いいなぁ、勉強してること活かせるね!」

まぁ、こんな感じ。

英語とフランス語専攻の子で仲良い子が居なかったので、知らん。

でも、アメリカやイギリス、オーストラリアに留学した子もいたみたいだし、中には在籍中に大学受験し直した子もいた。

では、何でそもそも中国語を勉強する様になったのか?

は次回書こうかな。


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