慟哭の夜と眩しい朝と
私は緊張と冷や汗と動悸を堪えながらある場所へ向かった。
到着して数分、来るべき人間ではないかもしれない。
私は何と場違いなのかと責めた。
だけど、どうしても届けるべき声を託す、その役目は果たして
帰ろうと思った。
その時間、私はずっと思った。
なんて遠いんだろう、近くてうんと遠いのだろう。
たった2時間が半日くらいに感じた。
気づけば私の腕には自分の爪跡が出来、じんわり血が滲んでいた。
悔しかった。
辛かった。
痛さよりもずっと。
求人はたくさんある
職業案内はいくらでもあるじゃない?
それで解決したら、苦労しない。
住み慣れた場所で働きたいと思うことが、どうして叶えられないのだろう。
高望み?
わがまま?
選り好み?
自己責任になってしまう。
とても辛かった。
私が働きたいと思っても躊躇う理由は、単にスキルがとか、技術がとかって問題じゃない。
「またもし辞めなければならないほど、辛くなった時が怖い」
ただ、それだけなのだ。
割愛するが、私が働けないという前例を作ることは
誰かの働きたい選択肢を減らしてしまうことになりはしないか?
それだけ。
職業ストレスが極めて高い看護師。
ストレス対処能力の高い、辛くても一晩寝ればへっちゃら!そんな看護師に私だってなりたかった。
どれだけ身体と心の寛解を迎えても、社会の中で揺らぐしかない。まるで船酔いをし続けているような中途半端な潜在看護師。
看護師あるあるだけど
自分が入職したとたん、数日後には誰かが退職するとか
入職してくれたから、安心して辞めれるー!
そんな場面を一体何度経験したか。
採用面接時には打ち明けづらい、家庭の事情をかかえていたりする。
それは、他の職業でも同じですが。
万年人手不足を分かっているから、怖くて復帰できない。
自分のライフワークバランスを求めた働き方をしたら、誰かが割を食うではないか…とか。
考え過ぎだろうか。
嗚咽が止まらない、涙が止まらない、声を上げ帰りの車内で泣いた。
働きたいが、とても遠いのだ。
働ける人が羨ましいと、嫉妬のようなドロドロした感情が湧いてしまうほど。
「自信がない」と一言いえば
皆口を揃えていう「慣れだよ」と。
その「慣れ」にすら辿り着けない人々はどうしたらいいの?
奨学金や働き方改革では解決はしないよ?
減った数は増やせばよいなんて、なんだか辛い。
「がんばらなくていいんだよ」そう言ってる人は働けてて羨ましい。
働きたい。
喉から手が出るくらいに。
だけど、近くて遠い。
泣き明かし夜が明けた。
住み慣れた場所で最期をとねがう人がいるように
住み慣れた場所で働きたいと思う人はいるのではないか。
個人の努力や工夫だけでは乗り越えられない、その打ち明け先すらないことに
絶望した。
ああ、帰りたいと。
移住して初めて感じた夜だった。
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