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みんなのヒーローアンパンマン

うちには今2歳の子供がいる。
我が子がアンパンマンに出会ったのは、生まれて半年くらいだったろうか。義姉がぬいぐるみを買ってくれて、その後もなんのかんのとアンパンマンの乳児幼児用品が増えていったのだが、動いて喋るアンパンマンを見たのは、去年の春頃が初めてだったと思う。私も夫も仕事をしているので、アニメの放映時間にはちょうど保育園にいるのだ。夕方放送のイメージが強かったけれど、日本テレビさんの放送枠は現在金曜日のお昼前らしい。
どうもHuluさんでアニメシリーズと映画が見られると分かり、夫が契約してくれ(ありがたい)、家事なんかで手が離せない時には大抵アンパンマンを見ている。もういい大人の私は、それこそ自分の好きな漫画や小説が映像化するときは、イメージと違ったらどうしようとかひねたことを考えてしまうもんだけど、まったくそんなことはないようだ。アニメを本格的に見る前から「アンパンチ」を繰り出していたが、最近はそこに「やめるんだばいきんまん!」という台詞が加わった。

家事の傍らに、なんとなく、ある程度必然的にお話が入ってくるわけだけども、アンパンマンは、アンパンマンの世界でさえ、「希望」そのものだ。
困っている人はいないかと飛び回り、見つければ手を貸し、お腹が空いたり元気がない人には、自分の顔を分け与え、ばいきんまんや、何か人々を困らせるような存在には果敢に立ち向かう。住人たちはそんなアンパンマンが大好きで、尊敬していて、彼はきっとやってくれると信じている。
アンパンマンは完全無欠のヒーローではない。なんなら毎回ピンチになっている。それこそ、顔を分けちゃったせいで全力が出せないこともしょっちゅうだし、その勇敢さも、実は「勇気の花のエキス」がないと発揮されなかったりする(映画「勇気の花がひらくとき」より。この映画、"勇気3倍"のヘタレアンパンマンがお目にかかれる)。それでも、アンパンマンはヒーローだ。お話としてそうでなければならないとしても、やっぱりヒーローなのだ。

自分が困っても手を差し伸べて、大きくて強い相手にも怯まずに挑むというのは、現実にはなかなか難しい。「悪いこと」「悪者」は単純悪でないことがほとんどで、なかなかお話のように、それをやっつけて取り除いたら大団円!とはならないし、アンパンマンみたいに、壊れたところを取り替えられるわけでもない。だから、あくまで物語で、言ってしまえば綺麗事なんだろうと思う。
でも、綺麗事は綺麗事として、理想は理想として存在するのはきっと大事なことだ。心優しいアンパンマンが「ヒーロー」であることは、これから長い道のりを歩いていくこどもたちに、とてもいいことだとわたしは思うし、それを笑わない大人でいたいと思う。

あとねぇ、純粋に面白いのよアンパンマン。
映画いいですよ映画。
見た中だと、2018年公開の「かがやけ!クルンといのちの星」が胸熱展開でした。
大体一本1時間くらいなので、おうち時間に是非。

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