見出し画像

料理をするということ

(※2/26 話中のレシピを公開しました→こちら)

先日、子供の頃時々食べたおかずのことを思い出して、その味付けを母に質問した。美味しかったことだけは覚えていたが、調味料は何が入っていたのか全く見当がつかなかったのだ。
よく考えてみれば、これまで母にこうしてレシピを聴いた記憶がない。なにがしか料理のことを尋ねたことがあったかもしれないが、ほとんど覚えがない。
母の名誉のために言っておくと、母は料理をしない人でもないし、いわゆる「メシマズ」のひとでもない。料理を教えてくれなかったのではなく、単に、実家にいた頃の私が今よりズボラ極まれりで訊こうとしなかっただけだ。
ただ、なんの話の流れでかは定かでないけれど、母がはっきりと「料理は好きじゃない」と言ったのはよく覚えている。
私はその時まだ子供で、母のその答えが不思議で仕方なかった。母は家族のためにほぼ毎日、最低でも朝晩と食事を作ってくれていたから。

大人になって実家を出て、自分が食事を作る役割になって、母の気持ちがようやく解った。毎日毎日料理をするということは結構大変なことだ。それなりの心得も知識もいる上に、食べる人の好みにも配慮しなきゃいけない。
もちろん、本当に料理が好きで、三食自炊も苦にならないというひともいるだろう。個人的には、それはもう秀でた一つのスキルで、一種の才能だと思っている。私もそうなりたかった。だってねぇ、お昼ご飯食べながら晩ご飯の献立を悩むんですよ。そんで、お腹が膨れ始めた家族に「何がいいかね」って訊いて煙たがられるんですよ。

ある程度の年齢になってくると、「料理する?できる?」と訊かれることが多くなる。特に女性はそうかもしれない。
「料理する・できる」の基準は結構曖昧だ。
例えばお味噌汁。具を簡単に切って出汁入り味噌を溶くだけでも、出汁引きから始めても、どちらもちゃんと"料理をしている"ことになる。
そして、後者の方が確かに手間はかかっているけれども、それが正解とは限らない。
何のことかって、料理をするということは、確実に食べることにつながっている。自分だけの場合もあるし、家族や他の誰かと一緒だったりもする。食事は生活の一部で、繰り返すものでもある。毎度毎度手間暇お金をかけるわけにもいかない。カレー作るのに都度スパイスから調合できないし、ラーメン食べるのに出汁とってチャーシュー煮てっていうのも現実的ではない気がする。そりゃもちろん、別に出来る人はやったらいいと思うけども。
大体において、お屋敷の料理人さんでもなければ、食事の準備しかしない人なんてまずいない。学校があったりお仕事があったり、その他の家事をしたり、お世話をする必要のある家族がいたり。
だから個人的には、"決まった時間とお金の範囲で、継続する、生活に合わせた食事のための調理ができる"ことが、「料理ができる」という一つのラインだろうなぁと思っている。
絶対に誤解されたくないのは、決して「調味料から何から全部揃えて毎日作れるレベル」を言っているのではない。顆粒出汁使ったって麺つゆ使ったって、レトルトの合わせ調味料使ったっていい。おかずの素とかいっぱいでてますよね、美味しいよねあれ。企業さんの努力の賜物ですよ。

朝昼晩と生活に合わせた食事ができるってすごく大事だし、結構大変。
だから食べる担当の方、感謝とか労いとかもらえたら嬉しいけども、私自身実際作ってもらっている時は言えなかったから、せめて文句は言わないであげてほしいなぁ、と願う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?