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花と子供のはなし

今年が始まってすぐに引っ越した。
前に住んでいた家は、大人2人が生活するには十分だったけれど、子供が産まれて動き回るようになったら少し手狭になったのと、とにかく保育園が遠かったからだ。片道諸々トータル30分ちょっとかかっていたのが、自転車で10分程度になった。いやはやありがたい。

そして、今の家に住むようになってから始めたことがある。それは、花を飾ること。
ある日、夫が一輪挿しと花を買ってきた。実は前からずっとやりたかったらしいのだ。花が大好きな我が家の2歳がそれに食いつき、ここしばらく近くの花屋さんに隔週くらいで通っている。季節の花を一輪か二輪、子供に好きなものを選んでもらって買って帰るのだ。お店の人も、週末に花を買いに来る小さな客を覚えてくれたようで、とても親切にしてくれる。これも、とってもありがたい。

ひとつ、さてどうしたものかと思っていることがある。
買ってくるのは切り花なので、当然そのうちしおれたり、枯れたりしてしまう。花の持ちを良くする栄養剤を使おうが、水をちゃんと足したり換えたりしようが、いつか必ず終わってしまう。
色褪せたりくたくたになってしまった花を見ながら、子供は「お花元気ないね」と言い、私は「お花はどうしても枯れてしまうから、また買いに行こうね」と言うわけだけれども、それでいいんだっけ?と、頭にちりりとひっかかっている。花だって生きているものだ。大抵の生き物は、元気がなくなったら新しいものを、とか、替えがきくようなものじゃないからだ。

大事なことだからちゃんと伝えねばと思うものの、どうにも説明が難しい。突き詰めていけば、「生きているとは」「命とは」みたいなスケールの大きい話になってしまうだろうし、そもそも2歳児に理解しろというのは酷な話だ。大体、「命とは」みたいな話は、多分大人にだって難しい。失われたら戻らないから大事なものだよねって、それはそういうものとして理解して生きてきて、とはいえ自分が生きるには何かしらの命を頂かないとならないわけで、そこら辺には理屈だけじゃない色んな想いがあるからだ。

そんなわけで、今のところはせめて、もう咲き時を終えたお花を片付ける時、一緒に「ありがとう、バイバイ」と言うようにしている。

「命」についての、言葉にしにくい真ん中のところは、これから大きくなっていく中で、経験して覚えていくのだと思う。
悲しいお別れもあるだろうけど、「命は大事なものだ」ということを、尖りすぎず重すぎず、できるならバランスよく解ってくれたらいいなと、母は思うのだ。

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