還暦からのライフスタイル

今年の6月に還暦を迎えて、特にこれといった心境の変化もなく何事も変わらない日々が続くのかと思っていたんだけど、先日「二十歳に帰りたい」という映画を見る機会があって、80を越えた老人がハタチに戻って違う人生を歩んでみるちょっとしたパラレルワールド的ストーリーに、「自分ならどうなのか?」を考えてみた。
自分の場合は社会人になってからも若く見られることの方が多くて、ずっと早く大人になりたい!と感じていて、なんかようやくこの歳で大人の仲間入りが出来たな。。という実感が湧いた。そうだよ!やっと大人になれたんんだから、自分の場合は二十歳に帰りたいとは思わないけど、、まだこの先「どう生きていくか?」という選択を自身でちゃんとしていこう。と。。

今日はたまたま偶然見つけたnoteに登録して、普段やらないブログ的な発信で自身のライフスタイルを残していこうと思ってみた次第、
クリエイティブ?な仕事も、あと何年やれるのか?今のところは生涯現役のつもりだけど、歳を重ねてその変化も綴って行ければ嬉しい限りだ。

まずは、プロローグ

生まれ育った新潟から上京したのは10代後半、高校を卒業した頃はイラストレーターを目指していた!美術の先生から勧められた阿佐ヶ谷美術専門学校のデザイン科に入学。ここにイラストレーターの専攻もある。しかし、、この道がそんなに優しいものではないということが入学して僅か数ヶ月で突きつけられることになる。こんなにも絵の上手い!!才能が一人や二人でなく校舎中に溢れている。。当時は自分だって、そこそこは描いてきたつもりでも、そこそこでは駄目なんだ!と、
中でも、同期で片時もクロッキー帳を手放さないでパステルで描き続けてる猛者が居た。
それが現在もイラストレーターとして活躍をしている寺田克也。まぁーこんな奴が近くに居た日には、簡単に筆を折っても仕方ない。。早々に、、イラストレーターへの道は断念していた。しかし別の道が開かれる、。この専門学校は3年製で2年に進級する時に専門コースに進む。小さい学校なので先輩達とも仲良くなり、いつしかインテリアデザインの教室に出入りさせてもらえると、もしかしたらパースなら食べていけるかな?と思い始めたのだ。今となってはもう当時の記憶も薄れてるけど、現在の仕事の原点となったのは間違いない!
この学校で2年の専門コースを学び、卒業してディスプレイの会社に入社。商業空間のデザイナーを経て7年後独立。ウンウン順調!!と思いきや仕事に溢れていると思ったこの業界もバブル崩壊で、独立開業の仕事もほとんどが頓挫。そこで商業空間デザイナーは、一旦手放し母校である専門学校の非常勤講師をしながら、家具デザイナーの道を模索し始めた。ちょうどデザイン科コース長の藤川先生がプライウッド家具で有名な天童木工を退職されたばかりで、新たに事務所を開くから手伝わないかと声をかけられる。シェーカー家具や北欧家具、福祉家具を直に学べる機会を得た。そんな中、また別の道が開かれようとは。。

家内と始めるガーデンデザイナー

さて独立を応援してくれた最大の人物は他でもなく家内だった。ディスプレイ会社のクライアントでアートポスターの販売員をしている彼女と知り合い、若くして結婚、特にライフスタイルには同じ価値観を持っていて、白馬のペンションや西洋のアンティーク家具などに惹かれ、いつかこんな暮らしをしたいと二人で夢を抱いた。そんな彼女と最初の引っ越しで選んだ場所は埼玉のコンクリート打ちっ放しのメゾネットマンション、玄関は1階、階段を降りると地下だけど小さな専有庭がある。何もない地面、、。
正直な話、それまで地面の無い生活を送っていたので、土を触れたことも無い。。
庭に出て隣を眺めると、芝にしていたり、デッキ調のパネルを敷いたり、どうやら自由に使って良さそう、。僅か4メータ四方の庭という白紙のキャンバスが与えられた。当時はオマケだね!と。
しかし、、そこは園芸のエの字も知らない訳で、さて何をしていいやら。
ガーデン専門店に通って何かを買っては、日曜大工さながらDIYで庭づくりがスタート!それに魅了されたのが家内だった。
彼女は、その庭づくりに留まらず、専門の学校に行って学ぶことを決意!
その本気度も想像を超えていた。そしてグリーンアドバイザーも取得、ガーデンデザインの図面まで修得していた。まさにそんな時に輸入住宅ビレッジのモデルハウスのデザインが舞い込み、そのガーデンを最初の仕事として受けることに!
その直後に訪れたのがガーデニングブームである。これはもう、二人でやるしかない!?という全てが整っていた。
「庭とインテリアを共に考える環境設計」という名刺を掲げてスタートしたのが
27年前、僕が33歳の歳である。

それからは、まさにがむしゃらな日々、、。2、3年前まで土いじりもしてなかった僕も、すっかりガーデンデザイナーの仲間入りを果たしていた。
植栽は全て家内に任せていたので、分業ではあるけど造園工事のスキルもコツコツと積んで行った。そしてクライアントに恵まれた!中でもネイチャーデコール率いる大浦比呂志氏は僕らがスタート直後から仕事を提供してくれて、彼のデザインする素晴らしい家や店舗の庭を数々手がけることが出来た!幸運とはこういうことであるとしみじみ思う。そして今も彼の仕事をお手伝いさせていただいている。
それが、彼がクライアントに見せる為の完成予想スケッチだ。かれこれ、このお付き合いも17年程になる。彼の門下達からも同じ仕事をもらい続け、今朝も納めた
僕の描くスケッチで、喜んでいただけたと報告を受けたばかりだ。

さて、この仕事をなて言おう、、。プレゼンスケッチ請負人?
まぁ、請負人というよりは、参加させてもらっている感じ、、。
彼らの目指すものをビジョン化している役割で、そこに必然的にガーデンのスケッチも加わる。。その味付けは任されている!
今でも、純粋にガーデンデザインだけの依頼を請けることもあるが、どちらかというと生活環境全般を絵にしたり、時にはそこに配置される家具の設計をしたり、照明の演出や、モノの飾り方を考えて提案することもある。

いろんな仕事をさせてもらって、気付いたら、、
ライフスタイルを発信する立ち位置に限りなく近く、、そして、それを絵にして
具現化に導いていく、そうしたクリエイティブな分野にどうやら居るようだ(笑)

こんなにいろんなジャンルの仕事をさせてもらって、
空間デザイナー冥利に尽きるような楽しい仕事も沢山経験させてもらって、、
さーて、、次は、どんな仕事が待ってるのか?
今日のところは、、これくらいにして、
また、次回
仕事と、自身のライフスタイルをちょっとづつ綴って行くとしよう、。


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