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みんな違ってみんな孤独

・この前大学の友達に、「どうしてそんなに元気で明るいの?誰とでも仲良くなれるのすごいよね」と言ってもらった。


・笑顔で「マジ?ありがと~」と返して、頭の中で考える。




・すごく嬉しい。本当にありがとう。でも、違うんだ。それ天性の性格じゃなくて、めちゃくちゃ頑張って元気なフリをしてるだけなんだ。

・本当は「おはよう」のたった一言を家で一人で何回も何回も練習して、気づかれなかったらどうしよう、返してもらえなかったらどうしようって冷や汗ブルブルかきながら絞り出してるだけなんだ。ほんとは生きづらくて仕方ないと思ってしまうんだ。毎日。

・そんな風に自分の社交性を褒めてもらうたびに、相手に嘘をついているような気がして罪悪感が募る。本当の自分の性格はとても褒められたもんじゃないのになあと思ってしまう。


・こうやって相手の好意を素直に受け取れない自分の性格にもまた嫌気がさす。悪循環が止まらない。


・この感覚に共感してくれる人はきっとたくさんいるだろう。


・私の大好きな高校の時の先生も同じことを言っていた。当時、何かの話の流れで私の友達が「先生って、すごくポジティブですよね」と言った。すると先生は「全然そんなことないよ。落ち込んでばっかりだし、休日は引きこもってばかりだし(笑)」と明るく笑っていた。

・当時はへ~って聞き流していたけど、今なら先生の言っていることが分かる気がする。


・本当の性格は全く明るくないし、引きこもりがちだし、大人数で活動するとみんなの顔色を伺うのがしんどいし、気の置けない仲の人間としか会いたくないし、突然何年も前のことを思い出して「あの時ああするべきだったのになあ。。。」って後悔する夜があるのだ。

・それでも、自分以外の人にそんなところを見せるのは、情けないし迷惑をかけるし良いことが一つもないから、何にも考えてないように明るく振る舞っちゃうのだ。


・ここは私が自由に自分の思いを書ける場所だから遠慮なく言わせてもらうけど、こういう人間はかなり損な役回りだと思う。

・明るい性格を演じられるから平気なフリをするのも上手だし、そのせいで言いたくても言えなかった悩みがたくさんあるだろうし、そもそも「苦しい」と口に出すことが一番苦しいと感じちゃう人がたくさんいるだろう。


・みんなつらくて、孤独で、生きづらくて仕方ないのだ。ただそれを言える人と、言えない人がいるだけ。

・それでも、言えない側の人って、人と関わることを怖いと思わない子や、親は自分の味方だと信じて疑わない子や、人前で上手に泣ける子が死ぬほど羨ましいのだ。自分もそんな風になりたいと思って、頑張ってつらいと思っていることを言ってみようとしたら、相手が先に泣きだしてしまって、慰め役をするしかなかったこととかも、あるかもしれない。



・自分が何を考えていて、どれくらいつらくて孤独かなんて自分自身にしか分からない。比べる対象だって存在しない。社会では、言わなきゃ最初からないものとして扱われる。

・それでも、「フリ」が上手な私たちには、言葉にならなかった孤独を見る力があると思う。

・太宰治が『如是我聞』の中で「本を読まないということは、その人が孤独でないということだ」と書いたのは有名だ。なぜそんなことを書いたかというと、太宰が本を読む人だったからだ。



・同じく、元気なフリをしている苦しさは、同じ感覚を持って生きている人と共有できると思うのだ。

・みんな違う人間だから考えてることなんてその人にしか分からないし、みんなのつらさの度合いなんて測れないから、それぞれの苦しさをそれぞれ持ち寄って、隣に座って苦しめたら、ちょっとマシだと思うのだ。


・おわり


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