「大丈夫」になりたいなんて、もう思わない。
「こいつだめだな」って思われていたいのは、おかしいだろうか。
「こいつなら大丈夫だ」って思われるのは、なんだか重たくて、しんどくて、さみしくなる。
大丈夫な私しか必要としてくれない人たちよりも、だめな私も含めて必要としてくれる人たちのために、私はがんばりたい。
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がんばることをやめた。
だってもうさ、しんどかったんだ。
いつからか、困らせちゃいけないとか、ちゃんとしなきゃとか、とにかくいい子でいなきゃいけないと思っていた。
先生とする1対1の面談では、私について話すのは決められた時間の半分くらいで、気づけば先生の愚痴めいたことを聞いていた。
私が中学3年生ではじめての受験の年、お母さんが私によくする話は、中学に入学したばかりの妹の成績への心配だった。
私は大丈夫だと思ってもらえている感覚は、ちゃんとできていることへの安心と、心配してもらえないさみしさが混ざっていた。
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でも、あきらめの気持ちもあった。
そこにいるだけで許されて愛されるキャラクターのあの子たちと、私はちがうんだろうなって。
ちゃんとできないと必要とされないんじゃないかという恐怖もあったんだと思う。
けれど、社会人になって倒れるほどにギリギリまでがんばってみても、無理だと叫んでも、渡されたのがお金だけだったとき、
無理だよって泣いて、恨み言のようなことばかりを言っていた私のそばで、受けとめてそばにいてくれる人がいると気づいたとき、
ちゃんとできるだとか、困らせないだとか、重要なのはそこじゃないのかもしれないと思った。
それなら、私にとっても大切で、そのままの私でいいと私を大切にしてくれる人たちのために、がんばりたくなった。
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がんばらなきゃ「大丈夫」になれない私は、「だめな私」でいないと、大切じゃない人のために消耗してしまう。
だからもう、だめな私のままでいい。
大切な人たちはだめな私も肯定してくれるから、私が「大丈夫」になるためじゃなく、大切な人たちの喜びのためにがんばるんだ。
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