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捨てたものの中に、欲しいものがあるかもしれない。

「べつにそれいらない」って思っていることは、心底欲しくないからいらないって言っているんだろうか。

それを得るために必要な対価を払ってまで、欲しいとは思わないだけなのか、それとも対価なしでもらえるとしてもいらないのか。

同じ「いらないもの」でくくるのは、乱暴なのかもしれない。

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なにかを欲しいと思ったら、それを得るためにはなにかしらの対価が必要なわけで。

たとえば値札を見て、この金額ならいらないと思うように、頭の中で欲しいものを得るための対価を計算している気がする。

お金が欲しいと思ったときは、そのために働く時間を。

新しいことを始めたいと思ったときは、そのために必要なエネルギーを。

天秤が対価に傾くことがたくさんあって、それならばと、「いらない」がどんどん積み上がっていく。

そこにある「いらない」は、欲しい気持ちがあったものなのに、最初からいらないものだったみたいに捨て置かれる。

気づけば新しく思いつく欲しいものがなくなってしまって、なにが欲しいのかわからなくなっていたりする。

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たまには「いらない」に入れてしまったものを取り出してみて、ほんとにいらないものなのか確かめてみるとおもしろそうだ。

確かめてもいらないならそれでいいし、もしかしたら欲しいものがみつかるかもしれない。

得られるかはべつだけれど、欲しい気持ちがみつかるなら、欲しいものがわからないって立ち止まっているよりいいんじゃないかな。

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