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私が"はたらく"理由

子を持つと自然と家の事が中心になる。
それは、定型発達であろうと凸凹発達であろうと同じで。

長男の時は、仕事に出るのはただ漠然と将来に必要な金銭を稼がなくちゃという思いが一番だったかと思う。

次男が生まれ、障害がわかってから私が
"はたらく"ことの意味が変わってきた。

自分を保つため。

乳飲み子の時から癇が強く
成長と共に出ないことばを推しはかれよと
言わんばかりに暴れる次男。
彼も苦しいが、攻撃を受ける私も苦しい。
苦しくて、痛くて、そのうち呼吸も苦しく
びっくりするほど胸が痛い。あれ?おかしい。
日々受ける頭突きで肋骨が骨折していることもあった。

理由があっての癇癪ならまだ対応できる。
困るのは、フラッシュバックからの癇癪。
今のいままでご機嫌かと思いきや、
パーンと風船が弾かれたように
掴みかかってくる。顔つきも変わり、
泣き怒りながら殴りかかり、蹴りが入る。
逃げても所詮狭い家の中で追いつかれてしまう。トイレの鍵もこじ開けられてしまう。
小学生とはいえ、その形相と力はもはや対応しきれないほど、ただただ怖い。
無我夢中なので知らないアザや
引っ掻き傷がたえない。

いつどうなるか本人さえわからない癇癪に
気が休まる時などない。

最近安定しているな。

なんて口にしようものなら、気を抜くなと言わんばかりに一気に
ゲリラ豪雨のように激しい雷を引きつれて
打ちつけてくる。

泣かない日はないというくらい
毎日のように泣けてきて、
考えても意味のない、責めても何も解決しない
自己否定を繰り返している。

どんなに家庭が大変でも、くたくたになっていても、入れた仕事は行かなくてはいけない。
いや、大変だからこそ行かなくてはならない。

私の仕事はカメラマン

おはようございます。
今日はここの園ですね。
行ってきます。

私の仕事は保育園の写真撮影。
園児の日常や行事などを撮影していく。
小学生の次男よりもはるかに
社会的能力の高い彼らの中に
入れてもらいながら、
それぞれの今日の一番をおさめたいと
集中する。
加配が付いている子を見れば
関わりの中で安心してふっと出る表情を
見逃さないようにする。
そこには、次男の顔が浮かぶ。

あー、会いたいな。

毎回そう思う。家族なのだから毎日会う。
それでも思う。
自分の次男への想いをちゃんと感じる事ができる。

それだけではない。
私の職場は、次男のこともよく知っている 
スタッフばかり。
次男が療育園に通っていた時に撮影してもらっているので特性もよくわかっていて、
気にかけて声をかけてくれる。
私がこの職場を選んだのは、
自分では追いかけたり、見守りが精一杯で
撮影する機会がなかなかない 
次男の写真を撮ってもえた喜びからだった。

大変なのによく仕事できるね。
無理してない?
そうやって聞かれることもよくある。

仕事に出るまで昨日起こったことへの
虚無感や絶望感を引きずっていても、
学校への送り出しでくたくたになっていても、
職場のスタッフ、仕事先の園の先生方や子どもたちのおかげで気持ちがリセットできる。

どの人たちも無意識に私を支えてくれている。
他人との繋がりで、自分が立っていられる。

紙一重の毎日を、私は家の外で
"はたらく"ことで自分を守っている。


#私にとってはたらくとは

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